第13話元は山下公園でもハーモニカを吹くけれど

文字数 1,091文字

翌朝、元は6時に家を出た。
早過ぎる、そんなことよりも、寝すぎて腰が痛かった。
万が一、遅い時間になると、またピアノ講師に押し掛けられるとか、顔を見られるのが嫌だった。

それと、かなり腹が減っている。
途中にコンビニがあったので、牛乳とアンパンを買い、そのまま胃に流し込んだ。
「少しは腹も落ち着いたか」

元は、そのまま千歳烏山駅まで歩き、京王線に乗った。
明大前で乗り換えて、渋谷に着き、東横線に乗る。
「とにかく都内を出よう」
そんな思いしかない。

少し酔いが残っているので、目を閉じた。
結局眠ってしまい、終点の元町・中華街の駅に着いた。

そのまま少し歩き、山下公園に入った。
「のどかだ、人も少ない」
「都内より、気持ちがいい」

自販機で珈琲を買い、ベンチで飲む。
「間違えたか、甘過ぎる」
ブラックを買うつもりで、違うボタンを押したようだ。
「だから、俺は間抜けだ」
「珈琲もまともに買えない」
そんな自己批判をしていると、胸に当たる物がある。

「ハーモニカか」
「入れっぱなしで」
そう思いながら、ハーモニカを取り出して、ハンカチで拭く。

「吹いてもいいのかな」

元は周囲を見回した。
見える範囲では、10人から多くて20人。
かなり離れている人もいる。
「まあ、ハーモニカの音量、聞こえないだろうし、邪魔にはならないだろう」
「怒られたら、謝って逃げればいい」

元は、ハーモニカを吹きはじめた。
曲はボサノヴァ、アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲ウェイブ。
横浜の波が静かなので、吹きたくなってしまった。

「うん?」

最初は目を閉じて吹いていて気がつかなかったけれど、薄目を開けて見ると、30人以上に囲まれている。
「シーバスでも来たのかな、それで人が増えたのか、失敗した」
と思うけれど。聞きながらリズムを取る人までいるので、止めづらい。

「これは一曲でやめないと、通報されても困る」
元は、吹きながら焦って来た。

クラブではアドリブを入れるけれど、そんなことをすると、演奏が長くなる。
「適当に終わろう、そして逃げるしかない」
そう決めて、元は吹くのを止めて、ハーモニカをジャケットにしまう。

「50人は軽く超えている、100人くらい?」
元は、聴衆に一応、お辞儀。
そのまま歩き出す。
「アンコール」や「もう一曲」の声が止まらないけれど、全く耳を貸さないし、振り返ることもない。
そのまま歩いてフランス山を登り、そして港の見える丘公園に出た。

ベンチが空いていたので、どっかりと座り、再び自己批判。
「また癖が出た、俺は馬鹿だ」
「きらきら星変奏曲を吹き逃げしたばかりで」
「その前には吉祥寺で、あれほど酷い目にあったのに」

元は肩を落として。海を見つめている。
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