第93話演奏を前に 実父と実母 そして元

文字数 745文字

元は本多美智子と山岡氏との朝食後、着替えをすると頭を下げ、自分の部屋に戻っていった。
その後ろ姿を見ながら、山岡が本多美智子に声をかけた。
「美智子さん、誰に言われることでもない」
本多美智子は、その真剣な口調に身体を震わせる。
「よくわかっています・・・保さん」
山岡の声も震えた。
「逃げることも、後戻りもしない」
「一緒に今度こそ、元を」
頷き、泣き崩れる本多美智子の身体を山岡保がしっかりと抱きかかえた。
「何が何でも、進むしかない」
二人が手をつなぎ、ベンチを立つと、別室の窓にマルコ神父の姿を見出した。
マルコ神父が二人を手招きしている。
山岡保の顔が引き締まった。
「演奏の前に少しでも段取りを」
本多美智子は山岡保の手を強く握る。
「何より、元のために」
山岡保と本多美智子は、手をつないだまま、マルコ神父たちが待つ、別室に向かった。

元は、ベッドで少し寝転んだ後、スーツ姿に着替えた、
「やはり、それなりにしないと」
「馬子にも衣裳程度か・・・所詮そんなものだけど」
不安もある。
「巨匠山岡氏に、気に入られるような演奏ができるのか」ということ。
「山岡さんの音楽の大きさ、強さに・・・引きずられるだけになるかもしれない」
「本多美智子が本気を出して来たら、単なる足手まといかもしれない」
「昨日の本多さんの涙は、今でも意味不明だけど・・・」
「俺とのデュオに感じたのではない、教会の響きに酔ったのか、そんな程度だろう」
そこまで思ってため息をつく。
「でもいいか・・・どうせ今日限り、会うこともない人たち」
「せいぜい、恥をかいて、終わりだ」
「元々、住む世界が違う」
「俺の程度の低い素人芸を心の底で嗤い、言葉では見え透いた定番のお世辞を言うだけ、俺は聞くだけのこと」
結局、元は、今日の演奏に、何の希望も楽しみも、見いだせない。
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