第1話酔いつぶれている元

文字数 903文字

吉祥寺駅近くのクラブ、6月下旬の午後11時。
元は今夜もカウンターで酔いつぶれている。

その隣でエミが不安気な顔。
「ねえ、マスター、最近、毎晩こんなでしょ?この子」
「いくら若いと言っても、いつか身体を壊すよ」

マスターと言われた中年の男も、冴えない顔。
「ピアノを弾いている時だけだ、目に光が戻るのは」
「客を寄せるから飲み代と食い物は、タダにしているけどな」

クラブのドアが開いた。
ユリが入って来た。
「元君は、今夜もつぶれた?」
「じゃあ、今夜は私が預かるかな、明日は非番だから」

エミは、ユリを機嫌悪そうに見る。
「朝起きたら、元君を食べるの?」
「いい加減にしなさいよ、それが目的でしょ?」

ユリは、そんなエミをせせら笑う。
「うん、その通り」
「一緒に寝て介抱して、朝飯をあげる」
「と言っても、起きるのがお昼ぐらい、そうなるとエミは店に間に合わない」
「エミだって、さんざん、食べて来たでしょ?」
「それにミサキと、そういう約束だったでしょ?」
「ゴチャゴチャ言わないでよ」

マスターは、また嘆く。
「世田谷に立派な家があってもなあ」
「両親は、揃って海外」
「ほとんど、世田谷には帰らなくて」
「エミとユリ、それからミサキか、三人の家で寝て」

エミは元の髪をなでた。
「私らには、ありがたいかな」
「元君との時は、仕事のことを忘れる」

ユリは元の背中をなでる。
「身体の商売は、ストレスもすごいの」
「演技もし続けるけれど、嫌な客も多い」
「でも、元君を食べている時だけが、それを忘れる」

マスターはやれやれ、と言った顔。
「ミサキも同じことをいっていたな」

その元の口が、動いた。
「マスター」

「ああ、これかい?」
マスターは、元の前に、冷えたレモン水を置く。

しかし、元はコップに手を伸ばさない。
「それじゃない」
「何も口に入らない」

エミが元の顔を覗き込む。
「飲み過ぎだよ、元君」
「で、何が欲しい?」

ユリも声をかけた。
「帰ろうか?そろそろ」

元は、声を出すのも、苦しそうな感じ。
「帰る?どこに?」
「それより・・・うるさい、寝たい」
「寒くて・・・眠い」

マスターは、そのままタクシーを呼ぶ。
「元君、あと10分ぐらいで来るとさ」

元は、またカウンターに突っ伏してしまった。
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