第89話演奏前夜 

文字数 759文字

夕食後の元はピアノに向かうことはなかった。
高名な本多美智子と指揮者山岡から見れば自分の演奏など「ド素人のママゴト」。
遊び半分にお世辞を言われるのが「関の山」。
弾きたいように弾くだけで、後はなにを言われて「どうでもいいい」としか考えられない。
何となく手元にあった電子書籍の「漱石全集」から「吾輩は猫である」の、「名前はまだ無い」に少々興味を感じて、全体の半分を詠んだ。
その後は明日弾く曲のスコアだけを適当に見て、夜の11時には寝てしまった。


春麗と美由紀、奈穂美はそれどころではない。
世界の超大物を直接見て食事もして不十分ながらも会話をしたのだから。
しかし、明日の演奏前に、元を不用意に刺激するような部屋への「押し掛け」をすることは、遠慮すべきとの認識ぐらいは、持ち合わせている。
結局、それぞれが悶々として一夜を過ごしたのだった。

マルコ神父とシスター・アンジェラは、本多美智子と山岡に対して「元の今後」に責任を持つように促した。
明日の演奏はともかく、いつまでも教会に元を留められるものではない。
その考えに関しては探偵の中村、雑誌者の杉本も異論を挟めない。
本多佳子とて、孫の元が不憫でまた愛おしくてならない。
マルコ神父とシスター・アンジェラの考えが、今では妥当と理解している。

難しいのは、元の反応が予想できないこと。
とても素直に「はい、そうですか」と納得する性格でもないし、納得させるにも、大人たちに「負い目」が大き過ぎる。
「ほぼ捨て子で、苛めの限り」を尽くされ続けて来た元に、「その原因を作っておきながら親を名乗るとは・・・今さら何を?」と憤られ、言われることは、わかりきっている。

結局、普通に眠ったのは元だけ。
それ以外は後悔と苦々しさ、「事実」を打ち明けた時の元の反応への不安から眠ることができた者は、一人もいなかった。

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