第97話元は山岡保の音楽に引きずり回される

文字数 1,358文字

元が以前から抱いて来た「指揮者山岡保」のイメージは「端正にして雄大な音楽、現代の巨匠」だった。
「こんな世界のトップクラスの指揮で、この自己流に過ぎない俺が?」と戸惑いはあるものの、指揮者山岡保は万雷の拍手を浴びてステージに上り、合唱団そして自分をゆったりと見つめている。
元は山岡保に目をやり、そのやりたいことを感じ取ろうと試みる。
「つまり大らかに、ゆったりかな・・・アヴェ・ヴェルム・コルプスらしく」
不思議なことに、元がそう感じ取ったと同時に。山岡保の指揮棒がゆったりと動いた。
「うん、これでいい・・・」
そう思うのか山岡保も、オルガンと合唱団の響きに満足した様子。
時々、元に目を走らせるので、元も頷き、安心感に包まれる。
「やはりモーツァルト、曲がいいからだ。こんな馬鹿な俺でも天国にいるような気がしてきた」

アヴェ・ヴェルム・コルプスは、ゆるやかに美しく終わった。
聴衆は全て立ちあがり、再び万雷の拍手、アンコールの声がやまない。
元がその反響に戸惑っている時だった。
春麗が合唱団を抜け出し、一枚の楽譜を持って元に手渡した。
元は、腰が抜けるほど驚いた。
「え?この俺がハレルヤコーラス?マジ?そんな資格はない・・・俺は・・・罪の固まりで」
しかし春麗は、元の背中をポンと叩く。
「すぐに始めるよ、もたつかない!」と、そのまま合唱団に戻ってしまった。

その春麗の言葉通りだった。
山岡保は元をじっと見ている。
元は、逃げようもない。
気持ちを固めて、山岡保を見返すと即座に指揮棒が舞った。

実際、凄まじいハレルヤコーラスになった。
明るく速めのテンポ、合唱団の声量も協会のホールの壁を揺らすほど。
元は、無我夢中で山岡の指揮に合わせ、強めの音で、山岡に迫る。
すると山岡もそれに合わせて、音楽のスケールを更に大きく導く。

マスターは、聴きながら、嵐のような感動。
「元君が本気の目に」
「すげえや・・・このハレルヤ・・・山岡さんも本気で元君を引きずり回して・・・元君も本気で応えて」
探偵中村と音楽雑誌社の杉本は口をポカンと開けたまま、声が出せない。

その圧倒的な、神がかったとでもいうような、ハレルヤコーラスが終わった。
万雷の拍手の中、元もオルガンから立ちあがる。
息もゼイゼイとしている。
「マジに、引きずり回された・・・この俺が圧倒された・・・」
呆然と山岡保を見ていると、その山岡保が「元君!ステージ中央へ!」と大きな声と手招き。
元は、また戸惑った。
「は?何のこと?」
「俺は日陰者、暗闇のピアニストなのに」
しかし、そんな元の戸惑いに関係なく、聴衆からも「元君!」の声が止まない。
マルコ神父からも声がかかった。
「主役は前に出なさい」
春麗からも声が飛んだ。
「ほら!客を待たさない!」

「マジか・・・」
そう思いながら、渋々と元がステージ中央、山岡保の隣に立つと、また万雷の拍手。
ぎこちなくお辞儀をすると、また万雷の拍手。
しかし、意外なことはこれでは終わらなかった。
山岡保は、本多美智子も手招き。
元を真ん中に、本多美智子、山岡保が並ぶことになった。
「何が始まる?」
再び元が戸惑う中、山岡保が一歩前に出た。
「皆様、ここで、ご報告をしたいと思います」の大きな、よく通る声。

元はキョトンとするばかり。
しかし、その元の手は左右から、スッと山岡保と本多美智子に握られている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み