1-5 再会は、不自然に?
文字数 7,826文字
日曜日。
自宅の最寄り駅から、電車に乗って30分。僕は約束の時間ぴったりに、待ち合わせの駅に到着した。
この駅は、色んな路線と繋がっているから、乗り換えがしやすい。その上、駅に直結している大きな百貨店やショッピングモールもあって、買い物や遊びの場としても便利だ。だから平日はもちろん、休日も多くの人でごった返している。
後ろからどんどんと押し寄せてくる人波から逃げるように、中央改札を抜ける。
実ちゃんの姿は、すぐに見つけられた。実ちゃんの方が先に到着すると、彼はいつも改札口右横の柵に寄りかかって待っているから、すぐに分かるんだ。
メタリックブルーのスマホを、俯き加減でじぃっと見つめていた実ちゃん。
でも、僕が声が掛ける前にぱっと顔を上げて、その大きな目をこちらに向けてきた。
部屋のポスターで毎日見ていたはずの、実ちゃんの笑顔。
でも、今日は何故だかその笑顔を直視できなくて、つい視界を両手で遮ってしまった。
1年ぶりの本物の笑顔だから、かな? 僕だけに向けられたその笑顔は嬉しいんだけど……。
実ちゃんに怒られて、僕は恐る恐る両手を下ろす。その途端、僕の視界に実ちゃんのムスッとした顔が飛び込んできた。
1年前のお正月以来の実ちゃんだ。子供っぽさが残る顔立ちも、頭のてっぺんから爪先まで完璧に整えられた姿も、全然変わらない。
それなのに、それなのに!
ずいずいと顔を近づけてくる実ちゃんに背中を向けると、僕は一目散に駅の出口へ駆け出した。
そんなこんなで、僕らがやって来たのは、カップルから家族連れまで楽しめるショッピングモール。
アパレルショップからアミューズメントまで揃うこの場所が、中学・高校生の時の僕と実ちゃんの主な遊び場だった。
思えば社会人になってから、こうやって遊びに来たのは初めてかもしれない。休みが合わないせいで友達と会っても、精々できたのはご飯を食べに行くくらいだ。買い物も、社会人になってからはネット通販で済ませていたから、ますます来る機会がなかったんだ。
ショッピングモールに入って、最初に僕らが立ち寄ったのは、シックなデザインの洋服や小物が揃うセレクトショップ。僕のお気に入りのお店で、ショッピングモールに来ると、必ず足を運ぶ場所だ。
木目調の陳列棚に並べられたネクタイのうち、僕が手に取ったのは小さな魚が鏤められた柄のもの。端に『NEW ARRIVAL』の小さなタグがついている。
スーツを着るようになってから、僕はネクタイ選びに力を入れるようにしている。人から服装を見られる時、ネクタイは一番目につくアイテムだなって思うからだ。
かっちりしたスーツに浮くことなく、人から見られた時に「おっ」と思われる斬新なデザイン。そういうネクタイはどれだろう、って探すのが楽しいんだ。
本当は普段着や靴下、ネクタイ以外の小物もきちんと選びたい。
でも、ネクタイ以外まで、お金も時間も掛けている余裕がないという現実がありまして……。
だけど、今日の買い物は実ちゃんと一緒だ。見た目通り、ファッションに人一倍厳しい実ちゃんがいる前で、そんな弱気なことは言えない。
今日は普段着も探してみようかな。とりあえず、このネクタイは買って行くとして。
なんて思ってたら、実ちゃんがひょっこりと僕の左隣に現れた。
嫌な予感がするから、実ちゃんにネクタイを見せちゃダメだ。
そんな心の声を無視するように、僕は咄嗟に持っていたネクタイを実ちゃんに見せてしまった。
嫌な予感は見事的中。ネクタイを見た実ちゃんの眉が寄せられ、不機嫌な皺がこめかみに刻まれてしまった。
ああ、そのリアクション、すっごく懐かしい。
僕が洋服や小物を選ぶ度に、実ちゃんがよく浮かべていた表情だ。
で、僕が「これ、どう思う?」と聞いてしまうと、
などなど、実ちゃんの口から出て来るのは、僕のファッションに対する否定的な意見ばかり。
実ちゃん曰く、僕は天才的にファッションセンスゼロ……らしい。
従兄弟じゃなかったら、他人のフリをしたいレベルの酷さだそうだ。
……身内とはいえ、結構酷いこと言うよね? ね?
だから、今、実ちゃんが僕のネクタイを前にして考えていることは、何となく分かってしまう。
実ちゃん基準で、このネクタイはダサいんだ。なかなか口を開かない辺り、言葉にするのも嫌なのかもしれない。
こんな展開、この十何年間、嫌ってほど経験してきたことなのに、自分の学習能力のなさに泣けてくるよ。
とは言え、僕も何となく自分のセンスが変わっていることは自覚してるんだよね……。
友達や同期の渡辺くんに「魚谷の服のセンスがよく分からん」って苦笑混じりに言われたことあるし。
ちょっとばかり不本意だけど、ここは一つ、「なーんて冗談だよ☆」って誤摩化してしまおう。
で、何事もなかったかのように、次のお店に行けばいい。実ちゃんお気に入りのアパレルショップを巡れば、きっと機嫌を直してくれるかも。
予想外の返答に、僕はまじまじと実ちゃんを見つめてしまった。
聞き間違いを疑いたくなるくらい、信じられない。
実ちゃんの唇の端が引きつっていたり、視線が泳いでいたりしているように見えるけど、気のせいだよね。実ちゃんはファッションにプライドを持ってる人だから、お世辞なんて言わないと思うし!
そう言えば、今日の僕の格好について、実ちゃんは1つも文句を言っていない。
これは僕も、実ちゃんに認められる程にセンスが良くなったってことかも!
そう考えたら、今までのネガティブな気持ちがスコーンと心地よい音を立てて吹き飛んで行った気がした。
実ちゃんに軽く肩を叩かれた途端、僕の胸の奥から一際大きな音が鳴り響いた。
ばっくんばっくん、と高鳴る心臓を誤摩化すように、僕はネクタイを握りしめ、ぐるん、とレジの方向へ回れ右をした。
ほ、褒められたのは嬉しいけど、折角収まっていた『動悸』が復活しちゃったよ。会計している内に落ち着きますように……。
実ちゃんのお墨付きネクタイを購入した後、僕らはアパレルショップを中心にお店巡りをした。
最初の店では何も買わなかった実ちゃんだけど、その後のお店では1品ずつ買っていた。といっても、買っていたのはモデル雑誌で着ているような高価なブランドものじゃない。無地のカットソーとか、ワンポイントのみのTシャツとか、ピアスとかブレスレットとか。どれも値の張らないものばかり。
でも、実ちゃんが身につけると、途端にファッション雑誌の1ページのような光景が僕の前に現れるのだ。
読者モデルとしてスカウトされた高校生の時よりも、実ちゃんはより魅力的になったように思う。そう見えるのは、実ちゃんが日頃努力しているからだとは、もちろん分かっている。
だから、僕は思うんだ。
やっぱり実ちゃんは、僕とは違う世界の、とびきりキラキラした場所で生きるべき人なんだって。
見た目も中身も地味な僕とずっと一緒にいたのは、奇跡みたいなものだったんだなって。
実ちゃんが僕の方を向くだけで、僕の心臓は忙しない音を立てる。笑顔だと、更にひどくなって、まともに顔を見られなくなってしまうから、その度に不自然だと分かっていても視線を逸らしちゃうんだ。
思えば、高校生の時からの付き合いなんだよね、この『謎の動悸』って。
ある日、突然だった。実ちゃんの顔を一目見た途端、胸の奥がドキドキして、頬がカーッと熱を帯びたんだ。最初は風邪を引いたと思って病院に行ったけど、「異常なし」と言われて、薬すら出なかった。
なーんだ、勘違いかって思ったけど、その後も実ちゃんと会う度に僕の心臓は高鳴りっぱなしで。でも、病院へ行っても「異常はない」と言われてしまう。だから、僕は極力実ちゃんと顔を合わせないよう、彼との接触を避けるしかなかった。
幸い……と言うと、語弊があるけど、実ちゃんはすぐに読者モデルとして活動を始め、一緒にいる時間はどんどん減っていった。
そっか、高校生の時といえば、実ちゃんの読者モデルデビューの時期とも重なるのかあ。
にやり、と笑った実ちゃんが、ぴたり、と歩みを止める。
その視線の先にあったのは、このショッピングモール最大の遊び場、ゲームセンター。中学、高校と何度も足を運んだ、僕らにとって思い出深い場所の1つだ。
僕の意志を尋ねながらも、実ちゃんの足はずんずんとゲーセンに近づいている。
僕に拒否権なんてないじゃん。いつものパターンだけど。
でも、まあいいや。実ちゃんと勝負なんて、すごく久しぶりだし。嫌々やるより、楽しんでやりたい。
それに、何かの拍子でぽろっと勝てるっていう展開も、もしかしたらあるかもしれないじゃないか。
こうして、ゲーセンで熱いようで、そうでもないホッケーゲームで、1時間を潰した僕たち。
ゲーセンから出ると、空腹感を訴えるお腹を擦りつつ、ランチセットがお財布に優しい<ゴールデンカフェ>、略して<ゴルカ>に向かった。
ちなみに、勝負はいつも通り、実ちゃんの圧勝で終わった。
僕って実ちゃんに勝てた試しがないんだよね……。友達相手だと勝てる時もあるのに、実ちゃんだと、「僕って壊滅的にゲームセンスがないのかも」って落ち込みたくなるくらい勝てないんだ。
1番安いピザトーストをかじる僕の正面で、実ちゃんが肉厚なBLTサンドを豪快に頬張る。
駅で会った時やアパレルショップで1人ファッションショーをしていた実ちゃんは大人っぽく見えたけど、ゲーセンで勝負した時やこうやってご飯を食べている時の実ちゃんは、実年齢よりも幼い印象がある。
大人っぽくなっていく実ちゃんが嫌って訳じゃない。でも、昔から変わらない彼の姿を見ると、ホッとするんだ。
僕が青いコーヒーカップを片手に首を傾げると、実ちゃんはストローを咥えたまま話を続けた。
実ちゃんが欠伸するネコみたいに目を細めて、ストローから口を離す。
つまんねー奴だな、小晴って。
そう言いたげな実ちゃんの眼差しに、僕は思わず苦笑を浮かべた。
「エッチ」のキーワード1つで熱くなる頬を冷まそうと、僕はぷるぷると首を横に振る。
透明なプラスチックのカップの中で、コーラ色に染まった氷がカラカラと音を立てた。
自分で言うのもあれだけど、僕って本当に面白みもないし、何か得意って呼べることもない。話を聞くことはできるけど、それだけだし。
それだと、つまらないでしょ?
実ちゃんがぴたり、とストローを揺らす手を止めて、はあ、とため息を吐いた。
何だか落ち着かない気分になってしまった僕は、俯いてコーヒーを啜った。
面と向かって「好き」って言われるのって、結構恥ずかしいかもしれない。家族みたいな存在である実ちゃんに言われただけなのに、照れちゃうな。
いつか恋愛的な意味で誰かに「好き」って言われたら、僕、どんな風になっちゃうんだろう。
トーンの低い実ちゃんの呟きに、僕はハッとして顔を上げた。
実ちゃんは、カップの中の氷をじぃっと見つめていた。その視線は険しくて、どこか思い詰めているように見える。
何か、あった?
そう尋ねようと口を開いた時、実ちゃんの視線がおもむろにこっちへ向けられた。
僕はどぎまぎしながら、必死に声を掛けた。実ちゃんから「誰が不気味だっ!」ってツッコミが返ってくることを期待して。
でも、実ちゃんは眉一つ動かすことなく、じっとこっちを見るだけ。
実ちゃんと言えば、喜怒哀楽が激しくて、僕よりも口数が多い人。彼が黙る時と言えば、泣いている時くらいかな。理由はもちろん、失恋で、だけど。
だから、今の実ちゃんが何を考えているのか、分からない。そのことがたまらなく不安で、顔が強ばってきてしまう。
カッと実ちゃんの見開かれた目の向こうで、ぽかん、と口を開ける僕が映っていた。