碧人番外編 〈ウラ・イミテーション〉7.面倒くさい

文字数 2,660文字

 瞳と初めて『デート』をした後。

 僕らはセックスだけでなく、デート『まがい』のことをするようになった。瞳曰く、デートをするとよりいい締まり具合になるからだとか。

何だかんだ言って、仮面を被っている時の俺が好きなんだろう?

 なんてドヤ顔で言われたから、それは断固として否定した。

 むしろ、演技をすることで救われているのは瞳の方なんじゃないかと思う。演技だから当然、あからさまに嫌な態度は取らないし、好きだの愛してるだの可愛いだの、俗に言う甘い台詞をことごとく口にして、僕に触れてくる。でも、それを目の当たりにする度、僕は分かってしまうのだ。

 瞳は、僕を「ハル」だと思って演技しているんだって。

 『デート』をするようになって、セックスの時に「ハル」と呼びかけられる回数が格段に増えた。最初はそのことを指摘したけど、瞳は全く自覚がなかった上に認めず、「聞き間違いだろう」って言ってた。でも、相変わらず呼ばれ続けているし、特にそのことを本人が気にする様子もないので、やっぱり気がついていないんだ。

 僕はそのことについて、敢えて指摘していない。「ハル」って呼ばれる度、確かに痺れるような快感が広がって、悪くないからだ。

 同時に、瞳がいかにハルに執着しているかも理解してしまう。

 僕にしていること、演技じゃなくて、本当はハルにしたいことなんだろう。

ひとつ、聞いてもいい?

 一通り終えて。シャワーへ向かおうと起き上がる瞳に、僕は掠れる声でそう問いかけた。

 返事をせず、ただ静かに僕を見下ろす瞳。今日はいつもより大人しかったから、疲れているのかもしれない。

もしも、だけど。

ハルがモデルとしてまた注目されるようになって、君の望む形で現れたとしたら、やっぱりよりを戻すの?

 数回の瞬きの後、瞳はふい、と顔を背けてからぽつり、と呟いた。
しない。
でも、君はそんなハルが好きなんでしょう?
あんなやり方で振った手前、モデルとして返り咲いたハルにヨリを戻そうなどと言うのは、虫が良すぎる。あれだけ諦めの悪いところを見せたハルも、今回の件で流石に俺に対する思いも冷めているだろう。今更受け入れる訳がない。
そうかな。

俺が最終的に選んだのは恋人としてのあいつじゃない。

俺のライバルであるモデルとしてのあいつだ。その関係を崩すことは、もうしない。

……面倒くさい。
どうとでもいえ。
 腰を浮かせ、瞳が静かにシャワールームへ入っていく。ぱたん、と静かな開閉音を聞いた後、僕は弾力性のある枕を胸元に抱えた。
僕だったら、どっちかな。

 恋人か、ライバルか。

 どっちも存在したことがないから、いまいちピンとはこない。

 けど、どちらも自分の心を揺さぶるものなら……どちらか一方なんて選択できない。

欲しいものは、何が何でもこの手にしなさい。

 母親(あのひと)が度々口にするその言葉は、ずっと耳障りの悪いものだと思っていたけれど、今は何となくしっくりくる。








 

 僕がハルと再会したのは、それから2日後のことだった。

……よぅ。
 事務所での打ち合わせ後、ラウンジに入った途端、ハルに声を掛けられた。

 ハルに声を掛けられること自体久しぶりで、僕は咄嗟に反応できず立ち止まってしまった。

 


お疲れ。また〈サミダレボーイズ〉の表紙、やるんだってな。
知ってるんだ。
事務作業やってると、嫌でも耳に入ってくるからな。
 肩を竦めて、ハルが持っていた缶を僕に差し出す。〈ほうじ茶ラテ〉と書かれた茶色のパッケージのそれは、僕が気に入っているメーカーのものだ。
どういう風の吹き回し?
別に、たまたま自販機で見かけて、間違って2本買っちまっただけだよ。好きだろ、これ。
……ありがとう。

 素直に受け取ると、ハルが満足げに笑った。

 そのままプルタブを回してハルがほうじ茶ラテを傾ける。それに倣って僕も口をつけて、しばらくその絶妙な甘みに浸っていたんだけど。


瞳は、元気か?
……気になるの?
別に。

 嘘、ハルってば目が泳いでるもん。

 嘘つくの下手にも程があるでしょ。『本命』くんの1件で知ってるけどさ。

元気だと思うよ、色んな意味で。
い、色んな意味って何だよ?
惚気話、聞きたくないでしょ?
 顔を真っ赤にして怒るんだろうなあ、と予想して挑発的に笑ってみせたけど、ハルは難しい顔でじ、と考え込む素振りを見せた。
……惚気るくらい、あいつのことマジなんだよな、お前。
遊びじゃ、ねーんだよな?
心配してるの? 瞳のこと。
どうなんだよ?
ーー決まってるでしょ。

遊びで誰かのものなんか盗る趣味、ないよ。

 ハルに全てをぶちまけて瞳とのことを終わらせるなら、このタイミングだと分かっていた。

 でも、僕は敢えてそれを回避した。


 それは瞳とのセックスに慣れて、そう悪いものではないと思えてきているからか。

 それとも、ハルに執着し続ける瞳に対して、所謂「情」が移ってきているから……いや、これはないな。

 

そっか。じゃ、いい。
 そう答えるハルはモヤモヤする僕とは対照的に、ちょっとだけホッとしたような表情を見せた。
僕は君の恋人を奪ったんだよ? 憎いはずでしょ?
すっげー腹は立つけど、憎い……とか、そこまではいかねえよ。

誰かを恨んでたって、何も進まねえしな。

 ぐい、とほうじ茶ラテを飲み干すハル。ぷは、と息を吐いたその目は明るい。

 もしかして、あの『本命くん』と進展したのかな。デートもしてたし。

 そう尋ねようとしたけど、ハルはくるり、と踵を返して「じゃ」と足早に去って行ってしまった。


 心配するくらいの情は残っているハル。

 明らかに未練を残しているのに、それを否定し続ける瞳。


 はっきり言って、お互いに「まだお前のことが好きなんだ」と言い合えば終わる話だ。

 でも、2人ともそうする気がないし、ヤキモキする様子すら見せない。

 しかも厄介なことに、2人の気持ちを把握しているのは多分、僕だけ。

 『本命くん』、超ニブそうだもん。ハルのことは分かってるかもしれないけど、瞳のこと絶対分かってないだろうし。

ほんとに面倒くさいなあ……。
 ぐしゃ、と頭を掻いて、ほうじ茶ラテに口を付けた時、僕のスマホが振動した。、の文字にうげ、と漏らしつつ、メールを開いて、僕は更に眉を寄せた。
『午後9時。××駅南改札口前。

魚谷小晴も同行する予定だ』

何で接点のないそこが会っちゃうのかなあ、もぉ……。
 魚谷……って、あの『本命くん』のこと、だよね。確か……。何で普通に接触してるんだろうか。

 今夜のデートに同行させるって、一体どんなあくどいことを考えてるのやら。


 あー、面倒くさい。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色