2-10 恋のおわり

文字数 4,460文字

 最初に僕の視界に飛び込んできたのは、大きな噴水。

 夜空に手を伸ばしているかのような水のアーチを描いている。

 そのアーチが赤、青、黄色……とくるくると色を変えている様子は、花火みたいだ。

 でも、僕の手を引く実ちゃんは噴水をスルーし、その奥の景色を指差した。

ほわあ……。
 カラフルな噴水を通り過ぎた先には、ネイビーブルーに染まった川が見える。

 その手前には赤煉瓦が敷き詰められた遊歩道があった。一定の間隔で置かれた街灯にほんのり照らされたその歩道は、噴水に負けず劣らずロマンチックな雰囲気を醸し出している。

いい眺めだろ? 

ま、この公園は定番のデートスポットとして、何度も雑誌に取り上げられてるから、有名だけどな。

平日だと今みたいにすげー空いてるんだ。

、言われてみれば……。

縁がなさすぎて、すぐに分かんなかったよ。

だろうな〜。ぶっちゃけ、恋人がいたとしても、こういうムードのある場所って小晴に似合わねーし。
ひどいなあ、その通りだけどさ。

 拗ねる僕に、実ちゃんがケラケラ笑いながら煉瓦道に繋がる階段を下りていく。

 一定の間隔で並ぶ、木製のベンチと真鍮の街灯。よく見るとベンチの背もたれや街灯の柱に、精巧な花模様が彫られている。

 三つ目までのベンチをスルーし、四つ目のベンチで「ここ」と実ちゃんが腰を下ろした。


このベンチじゃなきゃいけない理由があるの?
お前にしては察しがいいじゃん。その理由、分かるか?
……瞳さんとのデートで来たことがある、とか?
せーかい。俺と瞳の初デート場所でもあるし、初めて顔を合わせた場所でもあるんだ。
初めてって……デビューした頃のこと?
そ。その頃にさ、ここで、瞳とツーショット写真、撮ってるんだよ。

そん時が、瞳との初対面だったんだ。

その写真は雑誌に掲載されたから、お前も見たと思うけど。

もう五年も経っちまってるしな〜。覚えてなくても無理ねーだろうな。

 言われてみれば、そんな写真、あった気がするかも。

 雑誌に掲載された実ちゃんの写真は全部スクラップして、ファイルに纏めてあるから、帰ったら確認してみようかな。


瞳とはさっきのカラオケはもちろん、ラブホも行ったし、お互いの部屋も行ったし、遊園地とか旅行とか、色んなところに行ったし、それぞれに思い出もある。

でも、俺にとっては、ここでの出会いや初デートの思い出が、今でも一番大切なんだ。

そう、なんだ……。
……うん。

瞳との出会い、めっちゃくっちゃ最悪だったなあ。顔合わせ前、俺は瞳の見た目に惹かれててさ、いい印象持ってたんだよ。

けど実際会ったら、瞳は俺のことを睨みつけて。

こんなアホ面と並んで撮るのは嫌だ。
って、いきなり言いやがったんだよ。

俺もカッとなって「てめーみたいなキザ野郎と俺だって撮りたくねーよ!」って言い返して。そっから、撮影始まる直前までずっと喧嘩してた。

な、何となく想像つくよ……。

(カメラマンさんやスタッフさんの困った顔も……)

今思い出しても、あの時の瞳の態度はすげー腹立つ。

今でも腹が立つくらい、忘れられない。

こっちを小馬鹿にする冷ややかな声とか、眼差しとか……俺の中に強烈に刻み込まれちまってるんだ。

 夜の色をした水面を見つめながら、実ちゃんが言う。


初デートの時も、その最悪な初対面の時と同じように、このベンチに並んで座ったんだ。

でも、俺はどうしていいか分からなくて、瞳の顔を見るのも精一杯だった。

さ、実ちゃんが? 付き合ったその日にエッチしたってドヤ顔で報告してた実ちゃんが?
 意外すぎて思わず声を上げてしまった僕に、実ちゃんがむ、と唇を尖らせた。
人をビッチみてーに言うなっての。俺だって、スキンシップに躊躇うことくらいあるんだよ。

特に瞳はさ、片思いを長く拗らせたせいか、なかなかライバル兼友達っていう関係を崩せなかったし、告る時も振られる覚悟決めてたから……付き合う前から消極的になっちまう癖がついちまってたみたいで。

瞳と両思いだって知って嬉しかったし、初デートも滅茶苦茶楽しみにしてた。

けど、絶対付き合えないって思ってた瞳が、俺の恋人になったって実感がどうしてわかなかったんだよな。むしろ、俺と瞳がこんな恋人っぽいことしてていいのかって思いでいっぱいになっちまって、変に緊張しちまって……。

だから、かな。今まで付き合ったカレシと同じように、瞳に触れたいのに、触れられなくて。

 息苦しそうに眉を寄せたかと思うと、実ちゃんがゆっくりと僕の方を振り返る。

 目が合った途端、ふっと笑った実ちゃんに、僕はびくり、と肩を揺らした。


今の俺たちみたいな、距離でさ。

キスしようと思えばできたし、手を繋ごうと思えばできたんだ。

 こっちに顔を近づけてきた実ちゃんに、僕は思わず目を瞑る。

 数秒後、頬をむに、と引っ張られた。

 慌てて瞼を押し上げれば、実ちゃんがにや、と意地悪そうに笑っていた。


いひゃい。
バカ。いつもならまともに目、瞑れないくせに、何で今はできるんだよ。
……わかんひゃい。

 実ちゃんに指摘されて何だか気恥ずかしくなってしまった僕は、俯いてしまった。

 しばらくして、僕の頬から実ちゃんの指先がそっと離れていった。


結局、初デートだったのに、俺は瞳に触れずじまいでさ。瞳も、俺のこと、全然触ってくれなかった。
瞳さんも?

そう。その初デートでできたことって言ったら、とりとめのない話をしたくらいだな。

んで、デートを重ねて、まず手を繋ぐところから始めて。

キスもここで初めてしたんだけど、そん時も、それ以上のことはできなかったな。

回数を重ねる内に、いつの間にかセックスもするようになってたけど。

……とにかく、あの頃の俺と瞳は、多分今のお前よりも恋愛下手だったと思う。

……。
意外だろ?
全然二人のイメージにそぐわないというか……らしくないというか……。

そう、らしくないんだよ。俺たちの始まりが、あんなウブなものだったなんて。

今の俺とお前の『恋人ごっこ』と似てるだろ? 

まるで初恋みたいにアワアワして、まずは指先から触れていくところから進めて行って……拙い始まりだったけど、あれだって俺の本気の恋愛だったんだ。

瞳も……俺と同じ気持ちだって言える自信、今はなくなっちまったけど。
……実ちゃん。
お前が知りたかったことは、こういうこと……でいいんだよな。

特に面白いことも、盛り上がることもないと思うけど。

……。
……ちょっと迷ったけど、ここに来て良かった。

お前に話せてスッキリしたし、瞳のこと、すっぱり断ち切るにもちょうど良い場所だし、ここ。

 その言葉にはっとして顔を上げると、実ちゃんはまた川の方へ視線を向けていた。

 まるで眩しいものを見ているみたいに、目を細めて。

俺、瞳に別れを告げられて、思ったんだ。

瞳の傍にいたいから、俺、モデルって仕事にしがみついてたのかなって。

仕事の本数が減って、イベントでもメインじゃなくて雑用ばっかになっちまって。

対する瞳は、年を重ねれば重ねる程仕事も増えるし、デビューした頃よりもファンが着実に増えてる。

ライバルとして悔しく思わないこともないけどさ、それ以上に恋人として嬉しかったんだ。

モデルとして成功する瞳のことが、すげー好きだったから。

だから……誰よりも近くでそんな瞳を見ていたかった。

ホント、仕事と恋愛(プライベート)は関係ねーのにな。

瞳と付き合っている中で、それがいつの間にかごちゃごちゃに混ざっちまって、自分でも分からなくなってた。

『ハル』としてのプライドはねーのかよって感じだよな。かっこ悪いよな。

……っ。
 僕は必死に首を横に振ったけど、実ちゃんはこっちを見てくれない。
瞳が恋人じゃなくなったって、モデルの俺が死んじまう訳じゃない。

瞳程じゃなくても、俺には応援してくれるファンが……小晴がいるんだもんな。

いつまでも、瞳に未練タラタラのかっこ悪い姿、見せてる訳にはいかねーから。

 だから、と実ちゃんがそっと瞼を下ろした。
もう瞳とは終わった。この恋には、もうしがみつかない。

 ぷるぷると閉じた瞼が震えて、目尻からうっすらと光るものが見えた瞬間。

 僕は実ちゃんの肩を掴んでいた。

 ぷちゅ、と小さな音を立てて触れた実ちゃんの唇は、塩味だった。

 ぱっと見開かれた実ちゃんの目。その縁からぽろ、と涙が零れ落ちるのを見ながら、僕はそっと唇を離した。


かっこ悪くなんか、ないよ。実ちゃん。
……小晴。
言ったでしょ? どんな実ちゃんでも、僕の目に映る実ちゃんはキラキラしてるって。

今だって、そうだから。

誰が何て言おうと、僕は何度だって言うから。

実ちゃんはかっこいい。

瞳さんと付き合う前からずっと、僕は傍で見てきたんだから、間違いないよ。

……。

実ちゃんは実ちゃんらしく、キラキラできるよ、これからも。

実ちゃんが、モデルとしてまた頑張りたいって思う限り。

僕も……もっと見たいよ、実ちゃんがキラキラしてるところ。

だから、これからも見せてよ、実ちゃん。

 実ちゃんの肩を掴んだままの僕の手が、ばくばく言っている心臓に連動するように震えている。

 でも、心臓の高鳴りに反し、僕の心はとても静かで落ち着いていて。

(心臓の音すごいけど、結構大丈夫、かも。嫌な感じがしないどころか、むしろ……)
……あー、くそ。
実ちゃん?

 突然、ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を掻く実ちゃん。

 僕がきょとん、としていると、実ちゃんはぼそぼそと小さな声でこう漏らした。


相手は小晴なのに、滅茶苦茶ちゅーしたくなっちまったじゃねえかよ。
……僕も、もう一回したいかも。
そうだよなー、もう一回し……したい?!

 実ちゃんが食い入るように僕を見つめる。

 実ちゃんにまじまじと見つめられ、僕は頭のてっぺんから足の爪先まで熱くなるのを感じながら、小さく頷いた。

い、今なら……『練習』……できるかもって思って。
……まあ、さっき、自分からしてたもんな、お前。

 実ちゃんの方を見ることができず、そわそわと体を揺らすことしかできない僕。

 すると、僕の両頬をそっと柔らかなものが包み込んだ。


あ……。
目、瞑れるか?
……ん。

 いつもだったら「絶対無理ぃ!!」って言いながら固まっているところなのに、やっぱり今日の僕の瞼は実ちゃんに対して素直なようだ。

 瞼を閉じていると、心臓の音がより大きく聞こえる。

 人間の心臓って、こんなに力強い音をしてるんだなあ。お祭りで聞く和太鼓みたいに、お腹にまで響く感じがする。


(……でも、やっぱり嫌じゃない。この音、心地いい)

 そう思うと同時に、僕の唇は柔らかい感触に包まれていて。

 僕の唇の表面を、柔らかくて温かいものが擦っていく。

 さっきはポテトの塩味しか感じなかったのに、甘い味もする。

 甘い味は、カラオケで実ちゃんが飲んでいたコーラかな。


 コーラって、こんなに甘くて、全身が蕩けそうな熱い飲み物、だったっけ……?


 僕がふぅ、と鼻先を鳴らすと、するり、と甘じょっぱい味が遠ざかって行った。


ちゃんとできたじゃん、お前。
 ぼぅっとしながら僕が瞼を開けると、実ちゃんの優しい笑顔が待っていた。
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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