5-2 辛いアドバイスは、慣れると美味しい
文字数 5,435文字
突然、木谷くんから衝撃の告白を受けた。
もちろん、恋愛経験ゼロの僕にとって、生まれて初めての愛の告白だった。
その後の打ち合わせでは挙動不審になりつつも、何とかこなすことができて。
盛りだくさんの打ち合わせだったから、職場に戻ったら、すぐにその内容を纏めないと!と意気込んでいた。
……んだけど、
パソコンの前で固まること30分。
僕の指はキーボードに置かれたまま、オブジェ化してしまっている。折角淹れたコーヒーもすっかり冷めてしまった。
こういう時、隣の渡辺くんが「お前、今日もおかしいな!」って生温い視線を送りつつツッコミを入れてくれるんだけど、生憎、今日の彼はお休みだ。
実ちゃんとのアレコレで、恋愛のことで何か起きても早々取り乱さないだろうと思っていたのに、このざまだよ。何も成長していないじゃないか……。
だけど、告白してきた相手は、他ならぬ木谷くんなんだもんなあ……動揺しないなんて無理だよ。
渡辺くんの席に座って、にっこりしていたのは編集長だった。
まさか、編集長まで?!
そんなっ、何この展開?! 5章にして僕の謎のモテ期が……?!
アワアワする僕に、編集長はニコニコしたままこう続けた。
と言う訳で、やってきたのは編集長お気に入りの中華料理店。
店内に漂う異国情緒たっぷりなスパイスの香り!
赤の主張が激しい派手な内装!
ギラギラと眩しい龍の置物!
壁に貼ってあるポスターの「マジで辛い」の殴り書き!
BGMは中華関係ないJPOP!
……と、様々なインパクトが僕たちを出迎えた。
通りかかった恰幅のいい店員さんに声を掛け、編集長がメニュー片手に注文する。
子供の頃から見知った相手だけど、編集長――日和さんと2人きりで食事をするなんて、初めてだ。
ぽんぽんとリズム良く注文して行く編集長。
子供の頃、一緒にうちの食卓を囲んでいた時もたくさん食べていて、おばあちゃんが「作りがいのあるイケメンだ」って喜んでたっけ。
あれから長い時が流れたけど、その食欲は健在らしい。それでいて、この痩身。一体食べたものはどこに吸収されているんだろう。
10分後。僕らのテーブルには注文した料理がびっちりと並んでいた。
確かに編集長、たくさん注文してたけど……こんなに頼んでたっけ。ざっと見るだけで、10品はあるし、どの料理も量も具の大きさもそれなりのものだ。
編集長に促され、僕は慌ててレンゲを手に取った。
折角だから、お勧めされた麻婆豆腐から食べてみる。
鼻を抜ける山椒の香りが心地よく、舌先を転がる豆腐も柔らかい。噛み締めるとコクもあって、これは確かにおいしい。
と、思った次の瞬間、僕は咀嚼を止めた。
否、正確には咀嚼を阻止されたのだ。舌先を襲った猛烈な辛さによって。
満面の笑みで編集長が言う。
その編集長の前で「辛すぎて吐きそうだ」なんて言えず、僕は無理矢理笑った。口の中が最悪な状況だから、喋れないけど。
ふふっ、魚谷くんは僕と舌の趣味が合うようで良かった。
凛子先生なんて、1回しか付き合ってくれたことなかった上に、「お前とは金輪際メシに行かない」なんて言ってたからさあ。
子供の頃の君を外食に誘ったら、「止めろ。子供を殺すな」って怖い顔で言うし。
(っお、思い出した! 子供の頃、お母さんに『日和から貰った食いもんは食べるな』って何度も言われてたこと……っ!
っていうか、ほんと、舌がびりびりするぅ! 頬が痛い! 目の前が霞む! 咀嚼するだけで痛い!)
そう言いながら、編集長は笑顔で唐辛子を小籠包や他の料理に振りかけ始めてしまった。
真っ赤に染まる料理という視覚の暴力に、僕はたまらず水で口の中のものを喉へ押し流すという強引な方法を取った。
でも、コップ1杯の水じゃカバーできなかった上に、水を感じたことで更に口の中の辛さが増したような気がして。
編集長が注いでくれた2杯目のお水もがぶがぶ飲んだけど、それでも足りない。
自分でピッチャーから水を注いでは飲み、注いでは飲み……と繰り返すこと6回。ようやく辛さが落ち着いたものの、息は絶え絶えで、涙もぼろぼろ零れて止まらない。
たった1口の麻婆豆腐の威力、凄まじすぎる。
おしぼりで目尻の涙を拭う僕に、ぱちり、と編集長の紺色の目が開いた。
もぐもぐと唐辛子色に染まった小籠包を食べながら、編集長が穏やかな笑みを浮かべて促してくる。
そう。でも、君はもう子供じゃないから、お母さんに相談っていうのはハードルが高いだろう?
先生もそこを気にしていたよ。自分ではどうしてやることもできないって。
だから、いい具合に他人の僕が話を聞くのが適任かなって思ってね。
ね、と小首を傾げて促す編集長――日和さん。
「今日は何が知りたいのかな?」
子供の頃に見た日和さんの優しい問いかけを思い出す。全然変わってないんだなあ。
懐かしさとか気恥ずかしさとか、色んな感情が入り混じる中、僕はおずおずと口を開いた。
僕には、少し前から自分の恋愛の悩みとかそういうものを親身になって聞いてくれる知人がいるんです。今回の失恋話も聞いてくれて、そのお陰で少しだけ前を向くことができた。
でもその後、その知人に告白されたんです。
ずっと、好きだったって。
舌先がまだヒリヒリする。でも、そのヒリヒリはあの衝撃的な麻婆豆腐のせいじゃない。
実ちゃんとごっこ遊びをおしまいにしてから、いや、実ちゃんがまだ瞳さんのことを思っているかもしれないと思ってしまった時からずっと感じている。
僕は全然実ちゃんへの思いを断ち切れていないんだと、否応無しに実感させられる。
従兄弟に戻りたい。恋愛するなら、彼以外の人がいいんだ。彼への気持ちを忘れさせてくれるくらい、誰かを好きになりたい。
その願いを叶えるのに、木谷くんの告白はうってつけと言える。
だけど、それは同時に彼の恋心を利用して、僕が実ちゃんを振り切ろうとしていることになる。
でも、小晴はまだ、失恋相手のことが忘れられない。振られたばかりなら、まあ致し方ないことではあるよね。
タイミング良く自分を思ってくれる相手は現れたけど、まだ失恋を引きずっている身でその人への好意を受け取ってしまったら、その人を利用してしまうんじゃないか……。
なるほど、生真面目な小晴らしい悩みだ。あんな今にも死にそうな顔で悩むのも頷ける気がする。
聞こえは悪いかもしれないね。でも、そう悪いことじゃないと僕は思うよ。
今回の告白を君が受け入れた場合、相手は君と言う長年の思い人を得ることができるし、君は新しい恋に向き合うことができる。どちらにも利があることだし、恋愛的にも前向きな行動と言えるよね。
恋愛は生涯絶対に1人としかしちゃだめ、なんてケチくさいルールはないし、色んな人を知るのは勉強にもなるよ。
それこそ、一生傍にいたいっていう相手になる可能性もある。
言いながら、日和さんが天津飯を取り分けて、僕に差し出す。
天津飯だけは唯一唐辛子を掛けていなかったようで、その黄色のフォルムに妙な安心感を覚えた。
日和さんとの辛~いランチを済ませた後。
僕は編集部に戻るより先に、夕暮れ時の〈カフェ・うのはな〉へ足を運んだ。
木谷くんがいるかどうかドキドキしながら店に行くと、
早速ばったりと会ってしまった。途端に木谷くんが頭から湯気が出そうなくらい真っ赤になった。
わ、分かりやすい……僕も人のこと言えないけど。
それでもちゃんと、ぎこちない笑顔を浮かべて対応する彼に、僕は慌てて首を横に振った。
お昼前に言ってくれたこと、僕、ちゃんと考えてみたいんだ。すぐに結論を出すことはできないけど、その、前向きに考えたい。
だから……とりあえず今度、一緒にご飯食べに行こう? 話を聞いてくれたお礼もしたいから、奢るよ。
ぱちぱち。2回の瞬きの後、木谷くんは目を丸くしたままその左頬を思い切り抓った。
ふわ、と本当に嬉しそうに笑う木谷くん。初めて見る表情に僕は胸の奥がきゅんと疼くのを感じた。
僕がそう言うと、木谷くんはますます唇を緩ませて、小さく頷いた。
告白されたことによる影響、かな。木谷くんがいつもと全然違って見える。
僕に恋をする彼のことを更に知ることができたら、彼に対する見方がもっと変わっていくのかな。
その後、お互いに勤務中ということもあって、僕らは手早く連絡先を交換した。
スマホを見て、ゆるゆると唇を綻ばせる木谷くんは本当に可愛かった。
同時に彼の好きな人が本当に僕なんだって、改めて実感したら、ちょっぴり……いや、かなり恥ずかしくなってしまった。