5-2 辛いアドバイスは、慣れると美味しい

文字数 5,435文字

俺、魚谷先輩のことが好きです。

俺のこと、前向きに考えてもらえませんか?




 突然、木谷くんから衝撃の告白を受けた。

 もちろん、恋愛経験ゼロの僕にとって、生まれて初めての愛の告白だった。



 その後の打ち合わせでは挙動不審になりつつも、何とかこなすことができて。

 盛りだくさんの打ち合わせだったから、職場に戻ったら、すぐにその内容を纏めないと!と意気込んでいた。


 

 ……んだけど、

(……ダメだ、全く仕事が手に着かない……っ)

 パソコンの前で固まること30分

 僕の指はキーボードに置かれたまま、オブジェ化してしまっている。折角淹れたコーヒーもすっかり冷めてしまった。

 こういう時、隣の渡辺くんが「お前、今日もおかしいな!」って生温い視線を送りつつツッコミを入れてくれるんだけど、生憎、今日の彼はお休みだ。

 実ちゃんとのアレコレで、恋愛のことで何か起きても早々取り乱さないだろうと思っていたのに、このざまだよ。何も成長していないじゃないか……。

 だけど、告白してきた相手は、他ならぬ木谷くんなんだもんなあ……動揺しないなんて無理だよ。

(そもそも、何で僕なの?

 僕の何がいいんだろう。顔……ないな。性格……も、木谷くんの方が余程魅力的じゃん。モテそうだもん。

編集者が彼の好きなタイプとか……いや、意味分かんないし)

(告白されたからには返事しなくちゃ、だけど……なんて? 振る理由も思いつかないけど、付き合う理由も分からない……あー、もーダメ、混乱してきた

誰か……へるぷみー……。

いいよ。

ハッ?!

やあ、お疲れさま。

 渡辺くんの席に座って、にっこりしていたのは編集長だった。


へっ、編集長っ、今の聞いて……っ?!

助けるのはいいんだけど、その代わり、付き合ってくれない?

えっ、つ、つつつつつ付き合う?!

 まさか、編集長まで?! 

 そんなっ、何この展開?! 5章にして僕の謎のモテ期が……?!


 アワアワする僕に、編集長はニコニコしたままこう続けた。

実はお昼ご飯、まだ食べてないんだ。

だから、お昼ご飯食べるの付き合って。

…………お昼ご飯?
そう、お昼ご飯。

たまには誰かと一緒に食べたくなってね。




 と言う訳で、やってきたのは編集長お気に入りの中華料理店。


 店内に漂う異国情緒たっぷりなスパイスの香り!

 赤の主張が激しい派手な内装! 

 ギラギラと眩しい龍の置物! 

 壁に貼ってあるポスターの「マジで辛い」の殴り書き! 

 BGMは中華関係ないJPOP!


 ……と、様々なインパクトが僕たちを出迎えた。


僕が奢るから、遠慮せず好きなものを頼んでね。

っい、いえ! そういう訳にはっ……!

誘ったのは僕なんだからいいんだよ。遠慮しないで。

で、でも……。

まあ、君なら謙虚な答えが返ってくると思ったよ。

じゃあ、僕が決めてもいい?

は、はい……。

注文、お願いします。

 通りかかった恰幅のいい店員さんに声を掛け、編集長がメニュー片手に注文する。

 子供の頃から見知った相手だけど、編集長――日和さんと2人きりで食事をするなんて、初めてだ。


小籠包と、飲茶と、あと、中華まんと……。

 ぽんぽんとリズム良く注文して行く編集長。

 子供の頃、一緒にうちの食卓を囲んでいた時もたくさん食べていて、おばあちゃんが「作りがいのあるイケメンだ」って喜んでたっけ。

 あれから長い時が流れたけど、その食欲は健在らしい。それでいて、この痩身。一体食べたものはどこに吸収されているんだろう。







 10分後。僕らのテーブルには注文した料理がびっちりと並んでいた。


 確かに編集長、たくさん注文してたけど……こんなに頼んでたっけ。ざっと見るだけで、10品はあるし、どの料理も量も具の大きさもそれなりのものだ。


どれも美味しいのは、保証するよ。でも、僕のおススメはやっぱり麻婆豆腐かなあ。好みの辛さなんだ。

ほら、遠慮しないで食べて食べて。

は、はい! いただきます!

 編集長に促され、僕は慌ててレンゲを手に取った。

 折角だから、お勧めされた麻婆豆腐から食べてみる。

 鼻を抜ける山椒の香りが心地よく、舌先を転がる豆腐も柔らかい。噛み締めるとコクもあって、これは確かにおいしい。



 と、思った次の瞬間、僕は咀嚼を止めた。

 否、正確には咀嚼を阻止されたのだ。舌先を襲った猛烈な辛さによって。


?!?!

美味しいでしょう?

 満面の笑みで編集長が言う。

 その編集長の前で「辛すぎて吐きそうだ」なんて言えず、僕は無理矢理笑った。口の中が最悪な状況だから、喋れないけど。

ふふっ、魚谷くんは僕と舌の趣味が合うようで良かった。

凛子先生なんて、1回しか付き合ってくれたことなかった上に、「お前とは金輪際メシに行かない」なんて言ってたからさあ。

子供の頃の君を外食に誘ったら、「止めろ。子供を殺すな」って怖い顔で言うし。

(っお、思い出した! 子供の頃、お母さんに『日和から貰った食いもんは食べるな』って何度も言われてたこと……っ!

っていうか、ほんと、舌がびりびりするぅ! 頬が痛い! 目の前が霞む! 咀嚼するだけで痛い!)

こっちの小籠包も美味しいよ。ここのは唐辛子をたっぷりつけて食べるのが最高なんだ。

 そう言いながら、編集長は笑顔で唐辛子を小籠包や他の料理に振りかけ始めてしまった。

 真っ赤に染まる料理という視覚の暴力に、僕はたまらず水で口の中のものを喉へ押し流すという強引な方法を取った。

 でも、コップ1杯の水じゃカバーできなかった上に、水を感じたことで更に口の中の辛さが増したような気がして。

っお水っ、至急お水を下さい!!

はい、どうぞ。

 編集長が注いでくれた2杯目のお水もがぶがぶ飲んだけど、それでも足りない。

 自分でピッチャーから水を注いでは飲み、注いでは飲み……と繰り返すこと6回。ようやく辛さが落ち着いたものの、息は絶え絶えで、涙もぼろぼろ零れて止まらない。


 たった1口の麻婆豆腐の威力、凄まじすぎる。


ふふっ、魚谷くんはやっぱり凛子先生とは違うね。人に合わせて我慢しちゃうところ。僕は嫌いじゃないよ。

……す、ずみばぜん……。

 おしぼりで目尻の涙を拭う僕に、ぱちり、と編集長の紺色の目が開いた。


そろそろ、君の相談を聞こうか。

へ?

悩み事があるんでしょう? 聞くよ。

 もぐもぐと唐辛子色に染まった小籠包を食べながら、編集長が穏やかな笑みを浮かべて促してくる。

で、でも……。

……実はね。凛子先生が心配してるんだ。最近、小晴の様子がおかしいって。

お、お母さんが?

そう。でも、君はもう子供じゃないから、お母さんに相談っていうのはハードルが高いだろう? 

先生もそこを気にしていたよ。自分ではどうしてやることもできないって。

だから、いい具合に他人の僕が話を聞くのが適任かなって思ってね。

そう、だったんですか……。

今は上司じゃなく、ただの日和智として君に接するよ。

だから、話してご覧、小晴。もちろん、先生には内緒にしておくよ。男同士、積もる話をしようじゃないか。

 ね、と小首を傾げて促す編集長――日和さん。



「今日は何が知りたいのかな?」



 子供の頃に見た日和さんの優しい問いかけを思い出す。全然変わってないんだなあ。

 懐かしさとか気恥ずかしさとか、色んな感情が入り混じる中、僕はおずおずと口を開いた。


……ずっと、好きだった……人がいたんです。

うん。

その人は別の人が好きで……はっきり言うと、僕、失恋したんです。


でも、失恋には、何と言うか、納得はしてるんです。でも、その人のことを考えるのが、今は少し辛くて……。

僕には、少し前から自分の恋愛の悩みとかそういうものを親身になって聞いてくれる知人がいるんです。今回の失恋話も聞いてくれて、そのお陰で少しだけ前を向くことができた。

でもその後、その知人に告白されたんです。

ずっと、好きだったって。

……そう。

その人がとても良い人で、優しい人だということは分かってます。告白されて、嫌な気持ちになったりもしませんでしたし。


……でも。

 舌先がまだヒリヒリする。でも、そのヒリヒリはあの衝撃的な麻婆豆腐のせいじゃない。


 実ちゃんとごっこ遊びをおしまいにしてから、いや、実ちゃんがまだ瞳さんのことを思っているかもしれないと思ってしまった時からずっと感じている。

 僕は全然実ちゃんへの思いを断ち切れていないんだと、否応無しに実感させられる。


 従兄弟に戻りたい。恋愛するなら、彼以外の人がいいんだ。彼への気持ちを忘れさせてくれるくらい、誰かを好きになりたい。


 その願いを叶えるのに、木谷くんの告白はうってつけと言える。

 だけど、それは同時に彼の恋心を利用して、僕が実ちゃんを振り切ろうとしていることになる。


失恋後に、告白される、か。

……。

でも、小晴はまだ、失恋相手のことが忘れられない。振られたばかりなら、まあ致し方ないことではあるよね。


タイミング良く自分を思ってくれる相手は現れたけど、まだ失恋を引きずっている身でその人への好意を受け取ってしまったら、その人を利用してしまうんじゃないか……。


なるほど、生真面目な小晴らしい悩みだ。あんな今にも死にそうな顔で悩むのも頷ける気がする。

ごめんなさい、仕事中にそんなこと考えてしまって……。

僕はいいと思うよ。その人を利用しても。

……ええっ?!

相手は君の失恋後に告白してきたんでしょう? ある意味、向こうだって君の失恋を利用している。

そんな、利用なんて彼は……。

聞こえは悪いかもしれないね。でも、そう悪いことじゃないと僕は思うよ。


今回の告白を君が受け入れた場合、相手は君と言う長年の思い人を得ることができるし、君は新しい恋に向き合うことができる。どちらにも利があることだし、恋愛的にも前向きな行動と言えるよね。


恋愛は生涯絶対に1人としかしちゃだめ、なんてケチくさいルールはないし、色んな人を知るのは勉強にもなるよ。

それこそ、一生傍にいたいっていう相手になる可能性もある。

……確かに。

だから、両手を広げて待ってくれている人のところに飛び込むのは、アリだよ。

案外、今まで見えなかったものが見えて、スッキリするかもしれないし。

今まで、見えなかったもの……ですか。

うん。恋は人の数だけ違うと僕は思うから。

同じように見えても、全然違うものなんだよ。

まあ、どんな選択を取るにせよ、後悔だけはしないようにね。

もし少しでも自分の意志に背くような選択をしてしまったら……それは自分だけじゃなく、相手も不幸にしてしまうから。

 言いながら、日和さんが天津飯を取り分けて、僕に差し出す。

天津飯だけは唯一唐辛子を掛けていなかったようで、その黄色のフォルムに妙な安心感を覚えた。


日和さんも……恋をしてるんですか?

どう思う?

…………全く分からないです。恋愛に関する話も、初めて聞きました。

今、ちょっと考えてみたんですけど、想像があんまりできなくて。

ふふっ、よく言われるよ。

実際はどうなんですか?

秘密♡

ええっ〜!

君がいつか、編集長って呼ばれる立場になったら教えてあげようかな?






 日和さんとの辛~いランチを済ませた後。

 僕は編集部に戻るより先に、夕暮れ時の〈カフェ・うのはな〉へ足を運んだ。

 木谷くんがいるかどうかドキドキしながら店に行くと、

いらっしゃいま……あっ。

 早速ばったりと会ってしまった。途端に木谷くんが頭から湯気が出そうなくらい真っ赤になった。

 わ、分かりやすい……僕も人のこと言えないけど。


お、お好きな席へ、どうぞ……。

 それでもちゃんと、ぎこちない笑顔を浮かべて対応する彼に、僕は慌てて首を横に振った。

ううん、悪いけど、カフェ目的じゃなくて、君に言いたいことがあって来たんだ。

えっ。

お昼前に言ってくれたこと、僕、ちゃんと考えてみたいんだ。すぐに結論を出すことはできないけど、その、前向きに考えたい。

だから……とりあえず今度、一緒にご飯食べに行こう? 話を聞いてくれたお礼もしたいから、奢るよ。

……マジですか。

うん。だから、その……嫌じゃなかったら携帯のアドレス、教えてくれませんか?

 ぱちぱち。2回の瞬きの後、木谷くんは目を丸くしたままその左頬を思い切り抓った。

ど、どうしたの、木谷くんっ?!

……マジで、言ってくれてるんですよね。ドッキリとかじゃないですよね。

ま、マジだよ? ドッキリでもなく、本当だよ?

……すげー、嬉しい。

 ふわ、と本当に嬉しそうに笑う木谷くん。初めて見る表情に僕は胸の奥がきゅんと疼くのを感じた。

けど、いいんですか? 急にあんなこと言っておいてなんですけど、先輩はまだ……。

うん。このタイミングで受け入れるのは、君に甘えてしまうみたいで悪いかと思ったんだけど……でも、逃げずに何でも向き合いたいって思ったから。

先輩……。

すぐに答えられないかもしれないけど、ちゃんと答えたいんだ。

だから、木谷くんのこと、もっと教えて欲しい。

 僕がそう言うと、木谷くんはますます唇を緩ませて、小さく頷いた。


 告白されたことによる影響、かな。木谷くんがいつもと全然違って見える。

 僕に恋をする彼のことを更に知ることができたら、彼に対する見方がもっと変わっていくのかな。



 その後、お互いに勤務中ということもあって、僕らは手早く連絡先を交換した。

 スマホを見て、ゆるゆると唇を綻ばせる木谷くんは本当に可愛かった。

 同時に彼の好きな人が本当に僕なんだって、改めて実感したら、ちょっぴり……いや、かなり恥ずかしくなってしまった。


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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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