1-6 一生のお願いっ!

文字数 5,883文字

……一体、何を企んでるの、実ちゃん。

 体の奥からゆっくりと息を吐き出した後、僕は静かにそう告げた。

 落ち着いて言ったつもりだったけど、語尾が震えてしまった。語尾以外にも、カップに添えた僕の指先が、ぷるぷると小刻みに揺れている。


た、企んでるって何だよっ! べっ、別に企んでねーよ! 俺は至極真面目だっ!
嘘だあ!
即答?!
だ、だって、あり得ないよ! 実ちゃんが、僕に恋人になれって言うなんて! 僕が結婚するくらいあり得ない話だよ!
何だよその例え! お前結婚しない気かよ!

結婚はしろよ! んで、伯母さんに孫の顔見せてやれよ!

今の所、恋人いない暦イコール年齢なんだから、結婚なんて尚更あり得ないって!

大体、うちのお母さん、「オバサン」って言われるだけでも不機嫌になるのに、「おばあちゃん」なんて呼ばれたら、僕が怒られーー。

って、今はそんなことどうでもいいんだよっ! 

実ちゃん、物事にはついていい嘘とついちゃいけない嘘があるんだよ、知ってる?!

そうだよ、嘘だよ!
ほら! やっぱり嘘じゃ……。
俺が頼んでるのは、嘘の恋人になってくれって話だよ!
えっ。
えっ。

 『嘘』というキーワードに、僕と実ちゃんはぽかん、と口を開けて見つめ合った。

 再びやってきた沈黙は、熱くなった僕の頭の中を少しずつ冷やしていく。

 いつの間にか僕たち、立ち上がってるし。しかも、激しい言葉の応酬のせいで、周囲のお客さんからつめたぁい視線が突き刺さってるし。

 僕は身を縮こまらせつつ、実ちゃんに小声で尋ねた。


嘘の恋人って……何?
言葉通りの意味だよ。恋人のフリ、してくれってこと。他に何か意味あんのか?
……うん、分かった。まず、落ち着こう。ほら、実ちゃんも一旦座って。

 忙しない音を立てている自分の胸に手を当てながら、僕は腰を下ろす。

 不機嫌そうにしながらも、実ちゃんもどかり、と座った。勢いが良すぎたせいか、パイプ椅子がぎぃ、と鈍い悲鳴を上げる。

それで、実ちゃんはどうしてあんな変なお願いをしたのさ?

『一生のお願い』って言うくらいだから、それなりの理由があるんでしょ?

……瞳に復讐、したいから……。
ふ、復讐? それに、『瞳』って、まさか。
如月瞳……俺のカレシ。言いたかねーけど、な。

 実ちゃんの口から出たその名前に、僕は息を呑んだ。

 如月瞳といえば、ついこの間僕が買った『サミダレボーイズ』の表紙を飾っていたモデル。テレビでも雑誌でも彼を見かけない日はないってくらい、メディアでは引っ張りだこの人気者だ。

 そういえば、如月瞳は実ちゃんと同じ事務所所属で、デビューの時期も被っている。年も1つしか変わらなくて、デビュー当初は、『事務所公認ライバル!』なんて言われていたこともあったっけ。

実ちゃんと瞳さんって、デビューした頃、一緒に仕事してること多かった気がするんだけど……もしかして、その時から付き合ってたの?
いや。アイツ、見た目は最初から好みだったけど、性格はすげー最悪だったから、出会ったばかりの頃は、お互いに敵意むき出しって感じだった。顔を合わせる度に喧嘩してたし、お互いの写真や雑誌インタビューに文句言いまくってたし。
けどさ、ぶつかって行くうちに嫌でも分かっちまうんだ。瞳のこと、色々とな。

そしたら、最初は最悪だって思ってた性格も「いいな」って思えるようになって……気がついたら、好きになってたんだよ。

一応、モデルの世界に入ってからはゲイであることを隠してたし、その頃の瞳との関係は親友って感じだったし、付き合えるとは思ってなかった。

でも、俺、昔から気持ちを隠していられねーじゃん? モデルの仕事、できなくなってもいい。とにかく、この気持ちをぶつけたいって思って、玉砕覚悟で告白したんだ。

そしたら、瞳も同じ気持ちだって言ってくれて。

 その時のことを思い返しているのか、険しかった実ちゃんの表情がどんどんと緩んでいく。


あ、その話、思い出した。

告白前かな? 僕にも電話で相談してたよね。「もーどうなってもいいから、伝えたいんだよ!」って泣きながら。

あ、そっか。瞳に告白する前、お前に相談したんだったな……酔ってたから、記憶曖昧だけど。
でも、その時、相手が瞳さんだって教えてくれなかったよね。その後も全然教えてくれなかったし。
いやー……好きな人とはいえ、瞳とはモデルの世界ではライバルだからさ。しかも、付き合い始めた頃から、瞳の人気はぐんぐん上昇していったし。対する俺は……まあ……って感じだし。

自慢のカレシだけど、モデルとしてのプライドっつーのかな、変に比較されたくなくて、何となく言えなかったというか……。

 どこかぎこちなく瞼を伏せた実ちゃんが、ストローを摘んでくるくる回す。

 その態度も発言も、ちょっとらしくないな。

 

別に比較なんかしないよ。

確かに瞳さんは人気あるけどさ、実ちゃんだって負けないくらいキラキラしてるじゃない。お似合いのカップルだと思うけどな。
さっすが小晴! 分かってるじゃーん♪
 うんうん、と嬉しそうに頷く実ちゃん。

 若干、調子に乗ってる気がするけど、らしくない実ちゃんよりいいよね。

まあ、とにかくだ。名前は伏せてたけど、カレシーー瞳とは1年続いてるって話は、小晴も知ってるよな。
うん。最長記録だよね。
ついこの間までは、本当に何事もなかったんだよ。

瞳がテレビに出るようになって、毎日忙しくなっちまったから、会える回数は減っちまったんだ。

でも、俺、それに不満を言ったことねーし。瞳も、会ってる間は俺のこと甘やかしてくれたし、キスもエッチもいっぱいしてくれた。

ら、ラブラブだね……。(後半は濁して欲しかったけど……)
なのに、アイツ、俺以外の男と浮気してたんだよ。

 だん、と実ちゃんが右手拳でテーブルを揺らす。

 今までご機嫌だったのに、また怒りのオーラを漂わせ始めてしまった実ちゃん。

 彼の機嫌を下手に損ねまいと、僕は恐る恐る口を開いた。


それは、どうして分かったの? 瞳さんが他の男の人とデートしてるところを見た、とか?
デートどころか、イチャイチャしてたんだよ。事務所のトイレでな。
え。

ほんと、奇跡的なタイミングの悪さで俺、その現場を見ちまってさ。

当然、すぐに瞳を問いつめたんだ。そしたら、あいつ、何て言ったと思う?

「ちょうどいい。別れろ」って言ったんだぞ?!

……うわぁ。

 わなわな、と全身を震わせる実ちゃんに、僕はぽかん、と口を開けるしかなかった。

 浮気されていた上に、恋人から「別れろ」って言われるとか……今までに聞いた実ちゃんの失恋話の中で、一番酷いフられ方かも。


そんなこと言われて、あっさり「はい、そーですか、じゃあ別れましょう」って終わらせるとか、あり得ねえだろ? 

もちろん、どういうことか、瞳を問いつめた。ここで瞳が「冗談だ」とでも言えば、股間に1発蹴りを入れるだけで済まそうと思ってたんだけどな。

(1発じゃ済まなそうだけど)
けど、瞳は「本気だ」って言い切りやがった。

もうお前には飽きた、だから別れろ」って。

浮気された原因は、分からないの?
分かる訳ねーじゃんか。俺は浮気なんてしたことねーし、瞳への愛情はこれでもかってくらい示してたつもりだっての。
……まあ、強いて言うなら、アイツと、俺のモデルとしての差が開きすぎてるっていう現状……があるけど……。

 不意に眉を下げて視線を逸らした実ちゃんが、ぼそりと呟く。

 でも、その気弱そうな姿は一瞬のことで、

とにかく、俺は急にフられたことに納得してねーんだよっ! 

瞳に手を出したあのヤローも「僕の方が瞳のこと好きだから」とか抜かしやがって! 「ちげーだろ! お前は後から来た部外者だろうが」ってツッコんだけど、スルーされたし! ムカつく!

そ、そうなんだ……。

(浮気相手も大物だなあ……)

しかも、瞳は俺の目の前でアイツにキスするし! ベロチューだぞ?! 事務所で!! 俺以外に、また誰かに見られるかもしれねーのに! 俺はそこんとこ、すげー気を配って瞳とイチャついてたのに! 

何だよ、俺、バカみてーじゃんか!

 興奮した実ちゃんがバシバシテーブルを叩く。そのあまりにも激しい音に、お客さんたちの冷ややかな視線が、またこっちに向けられてしまった。


わ、分かった。分かったから、落ち着い……。
カレシ盗られて、落ち着ける訳がねーだろ!
そ、そうだよねえ! 落ち着けないよね〜……。
そうだよ。ここまでやられて、黙ってられる訳がねえ。

だから……言ったんだ。「俺だって、本命は別にいるんだよ」って。

……ハイ?

 何それ、初耳なんだけど。

 ぽかん、とする僕に、実ちゃんはようやくテーブルを叩くのを止めた。今まで怒りでギラギラしていた大きな目が勢いを失って、うるうると潤み出す。

そんなの、本当はいねーよ。俺、付き合ってる時はソイツのことしか見てねーから、正直、浮気する奴の気が知れねーって思ってる。

でも、目の前でイチャつかれて、泣きたくなったけど、それ以上にすっげえ腹が立って仕方なくて。

だから、言ったんだ。「俺だって、お前をフってやる予定だったんだよ。俺にも本命の恋人がいるんだからな!」って。

 泣き出しそうな顔から一変して、にっと笑ってみせた実ちゃんに、僕は脱力してしまった。

 さっきから喜怒哀楽がいつも以上に激しすぎる。フられたショックで情緒不安定になっちゃったのかな。


「言ってやったぜ!」って顔してるけど、実ちゃん……却って自分を追い込む方向に行っちゃってることに気づいてる?
分かってる。だから、小晴に頼んでるんじゃねーか。
な、何でそこで僕が出て来るの? 完全な部外者じゃん。
お前に、その『本命』のフリをしてもらうんだよ。瞳の前でな。そうすりゃ、俺の言葉がマジだってことになるだろ?
い、いやいやいや! 実ちゃんの『本命』は瞳さんでしょ?! そんなことしたら、瞳さんとヨリを戻せなくなるじゃない! 

変なことしないで、素直に「別れないで」ってお願いした方がまだ……。

俺が「本命の相手は別にいる」って言った時、瞳が何て返したと思う?
へっ。
ハルが浮気? 俺にベタベタだったお前ができる訳ないだろ。
っあー!! マジでムカつく! 浮気しておいて、何その上から目線! アイツらしいけど、それが余計にムカつくうううう!

 激しい怒りに包まれた実ちゃんの手によって、再びガタガタ揺らされる僕らのテーブル。半分以上残っていた僕のコーヒーがぴちゃぴちゃ跳ねていて、僕のシャツに染みが付きそうだ。ちょっと……いや、かなりハラハラする


だから! あいつを何としてもギャフンって言わせたいんだよ! 

あそこまでバカにされて、泣きついて「ヨリを戻してくれ〜」なんて頼むなんざ、俺はぜってー嫌だ!

俺じゃなく、ただ若いだけが取り柄のクソ野郎を選んだことを死ぬ程後悔させてやるっ!

そんでもって、向こうから「やっぱり別れないでくれ」って土下座させてやるんだよっ!

死ぬ程後悔って、殴り合いの喧嘩でもするみたいだね……。
気持ち的には殴りてーけど、そこまで俺はガキじゃねーから。
そ、そっか。
(いや、公衆の面前でここまで大騒ぎするのは、十分子供だって言う証拠だよ)
つーことで、頼むぞ、小晴。
ぼ、僕?
そう、お前。

俺と一緒に、瞳に会ってくれ。俺の本命としてな。

 再び真剣な眼差しで僕を見据える実ちゃん。

 その視線にタジタジになりながら、僕はぎこちなく首を横に振った。


いや、無理……でしょ……実ちゃんの思い通りに行くとは思えないし……。
よく考えてくれよ、小晴! お前だって、浮気されたらショックだろ?!

言われるがままに別れるとか、絶対納得できないだろ?!

ショック……なのかもしれないけど、僕、恋愛経験ないし。実ちゃんに同情はできても、共感はできないよ。
じゃあ、共感してくれ! で、その上で、俺に協力してくれ!
いやいや、待ってよ。やるにしても、僕じゃない方がいいんじゃないの? こんな恋愛経験ゼロの従兄弟に頼むより、もっと適任がいるでしょ。
モデル仲間とか……ほら、この前雑誌で一緒に写ってた人とか、どうかな!

 いい案だと思って口にした途端、実ちゃんの視線がたちまち険しいものに変わってしまった。

そいつが、瞳の浮気相手だったとしてもか?
お、おぅ……あいむ、そーりー……。

 思い切り地雷を踏んでしまった。

 ゲームだったら、ゲームオーバーのBGMが流れてるところだろう。

 ああ、もう、これでまたテーブルが揺らされて、今度こそ僕のシャツを汚されちゃう……と思いきや、実ちゃんは両手を合わせて僕に深々と頭を下げてきた。


他にアテがあるなら、もうとっくに頼んでるんだよっ! 

頼めそうなのはもうお前しかいないんだ、小晴!

そ、そんなこと言われても……。
頼むよ! 1度だけ! 1度だけでいいからっ!
そ、その言葉、もう嫌ってくらい聞いてるよ。

でも、実ちゃん、1度で済んだことないよね?

今回こそ、1度だけだ! 約束する!
でも……。

 僕の脳裏に過るのは、小学生から高校生までの、似たような場面。

 いやいや、ダメだよ、僕。今までみたいに「いいよ」って答えちゃ。

 フリとはいえ、恋人になるんだよ? 

 ただでさえ、実ちゃんに近づくと『動悸』がするっていう謎の現象を抱えているんだ。たとえフリでも、これ以上、僕らの関係がおかしな形に歪むのは嫌だ。

 でも、実ちゃんを諦めさせるにはどうしたらいいだろう。

 冷静になろうよ、って言いたいけど、1度こうだって決めると、実ちゃん、僕の話全然聞かないんだよな……。

小晴ぅ……頼むよ、一生のお願いだからっ。
う。

 ああ、僕が迷っているうちに出ちゃった。実ちゃんの甘える攻撃。

「一生のお願い」。その言葉を口にする時、実ちゃんは目を潤ませて、甘えん坊全開で僕に擦り寄って来るのだ。


こはる、おねがい! いっしょーのおねがいだからっ。

 今まで、何度この表情に騙されて、「うん」と言ってしまったことだろう。

 その度に、叔母さんから「実治を甘やかさないで」と怒られたり、「小晴は実治に甘すぎるんだよ。だから、あいつがあまちゃんになるんだろうが」と友達に呆れられたりする。

 僕だって分かってるんだ。いくら憧れていて、大好きな従兄弟であっても、何でもかんでも許してしまうのは、実ちゃんのためにならないって。


(……でも……)
小晴……。
…………今回、だけだからね?

 ああ、僕もこのセリフ、何度言うつもりだろうか。

 叔母さん、忠告してくれた親愛なる友人たち、ごめんなさい。

 やっぱり僕は、この「お願い」攻撃に勝てそうにないです。

 多分、一生。


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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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