2-4 デート(練習編)後編

文字数 4,829文字

は〜っ、すっげー気持ちよかったな!

 実ちゃんが豚骨ラーメンをすすりながら、満足げにそう言った。


 ここはショッピングモールの外、駅前にあるラーメン屋さん。

 ゲーセンのミラクルオニ男ギャラクシー(アーケード版)での壮絶な戦いを終えた僕らは勝利の余韻に浸りながら、少し遅い夕飯を食べていた。

だね〜。最後の最後でアルティメットオニ男カードが出た時は、僕すっごくテンション上がっちゃったもん。

さすが実ちゃん、持ってるなあ。

当たり前だろ〜?

カードコレクション系はやっぱコンプしてなんぼだよなあ。ゲームの難易度もなかなか歯ごたえあるし、何より原作のBGMがそのまんま使われてるのが、また燃えるよな! 

俺、もっかい実家(うち)にあるミラオニやりたくなってきた。

あ、いいね。僕もやりたい!
んじゃ今度、一緒にやるか! どうせやるなら朝から晩まで……。

 と、不意に実ちゃんがぴたり、と動きを止めてしまった。

 実ちゃんが握った割り箸の先から、つるん、と麺が落ちてしまう。

? 

実ちゃん?

映画……忘れてた。
映画?

(……って、何だっけ?)

っていうか、デートの練習のことも忘れてた……。
……あ。

 実ちゃんの呟きに、僕も割り箸で摘んでいたみそラーメンをつるん、と落としてしまった。


(最初は忘れてるフリをしてたのに、途中からゲームに熱中しちゃって、本当に忘れてた……けど)
い、いいんじゃない? 別に。

楽しく遊べたし、これはこれで……。

よくねーよっ! これじゃ、いつもと同じだろうが!
で、でも、ゲーセンでデートするカップルだっているし……。
そうだけど、俺たちの場合、カップル感ゼロだったろうが!

あれじゃ、全然練習になんねーっての! 楽しくても、ダメなもんはダメだ!

 えー……どうしてそんなに怒るのさ。僕は楽しかったんならそれでいいと思うけど……。

 頬を掻く僕をよそに、実ちゃんが舌打ちしてスマホを弄くり始めた。


くそ、最後の上映が始まったとこか……他にやってるのは……。
ま、まだやるつもりなの?
たりめーだろ。

色気の『い』の字もねーお前のための練習なのに……ん?

どうしたの?
いいこと思いついた。

小晴、さっさと食え。すぐにここを出るから。

え、ど、どこ行くの?
内緒。

 意味有りげに笑った実ちゃんが、豚骨ラーメンを搔き込み始めた。


(……すごーく、嫌な予感がする)

 不穏な空気を感じつつ、僕も実ちゃんに急かされるままにみそラーメンを食べ終えることになった。




 ラーメン屋さんを出て、移動すること数十分。


ぜーーーったいに! 嫌だーーーーー!
っこら、小晴! 

でけえ声で叫ぶな、色々誤解されるだろうが!

今の時点で十分誤解されてるから! 

何でラーメン屋から、ここに来ちゃうんだよお!

決まってるだろ、雰囲気作りのためだって! 

ここならバッチリ恋人感出るだろ?

僕にはハードルが高すぎるよっ! 

ら、らららっららら、ラブホなんて!

 ミラクルオニ男ギャラクシーの体力回復BGM風に言っちゃったけど、そう、僕たちがいるのはラブホテル入り口。


 大きなショッピングモールがあるから、分かりにくいけど、この辺り結構そういう建物が多いんだよね。もちろん、行くどころか、近づいたこともない。


 初めて見たよ。ファンタジーなお城の形をした、ピンクの世界を。

 見た目だけなら遊園地のアトラクションっぽいのに、ラブホだって認識がついただけで、エロ本を目の当たりにしたような気分になっちゃう。


安心しろ、ちょっと休んで出るだけだって。

エロいことは何一つしないから。

やだ! 休むだけなら、他にも選択肢あるじゃん!
快適だぞー? 

キングサイズのベッドに寝そべられるし、風呂もめっちゃくちゃデカいんだぜ! 

アダルトグッズも、ここが一番充実して――

それ聞いたら、ますます入りたくなくなったよ!
往生際が悪いぞ、小晴、いいから行こうぜ。
むーりーっ!

(ま、負けるな、僕! ゲームでは負けても、ここでは負けちゃダメだ!)

くっ、小晴のくせにいいいいっ!
 ラブホ前でいい年の男二人が綱引きならぬ、腕引きで騒いだ結果、
他のお客様のご迷惑になりますので……。
ですよね〜! 

今すぐ帰ります! 失礼しましたー!

あっ! ちょ、逃げんな、このチキン野郎ーー!
 ラブホの店員さんに話しかけられたことで隙を見せた実ちゃんを振り切り、僕はいかがわしいエリアを無事に脱出したのだった。









小晴の意気地なし。
何とでも言ってよ。

あそこに入るくらいなら、意気地なしでいいし。

お前なあ……折角俺が協力してやってるのに。
(僕は全然頼んでないから……って言ったら、拗ねるんだろうなあ)
ごめん。でも、やっぱりアレは僕にはまだちょっと……。
分かってるよ。

もうお前とはラブホに行かねー。頼まれたってゴメンだね。

 つん、と顔を背けた実ちゃんに、僕は深々とため息を吐いた。


 ラブホから逃走した後、「今日はもうやる気なくした。おしまいだ、おしまい!」と実ちゃんが拗ねたので、デートはお開きになった。

 今は駅に向かっている途中なんだけど、その間ももちろん、手を繋ぐことを強制されている。正直、例の〈動悸〉がしてるけど、ラブホに行くよりはマシだから、何とか我慢してる。


恋愛って、難しいね。

デートをすれば少しくらい分かるのかなって思ってたけど……結局、いつもの過ごし方になっちゃったし。

俺も、ちっとは責任感じてるよ。

上手くリードしてやれなかったからさ。

ううん、そんなことないよ。

最後のアレはともかく、実ちゃんは一生懸命デートらしくしてくれたもん。

僕は逆に怖じ気付いてばかりで……。

僕に恋愛って向いてないのかも。

そもそも人を好きになったこともないからさ。

その先のことなんて尚更……だから、できなくて当然なのかも。

そんな、後ろ向きに考えなくてもよくね?
そうかな。僕はあんまり後ろを向いているつもりはないんだけど。
向いてないとか、決めつけんなよ。

恋なんていつ始まるか分かんないもんなんだし、最初は失敗して当たり前だって。

それを繰り返して、みんな慣れてくんだよ。俺だってそうだったし。

そうかもしれないけど。
それに、ほれ。手もちゃんと繋げるようになってるじゃん。

最初は指先がふにゃふにゃ動いて頼りない感じだったけど、今はちゃんと俺に委ねてるだろ?

ま、まあ、ラブホよりはマシ、だからね……。

 急に指摘されると途端に意識してしまって、実ちゃんの顔を見られなくなってしまう。

 俯いた僕の視線の先には、実ちゃんから酷評された魚柄のネクタイ。


(これ、そんなにセンス悪いかなあ……)


 何となくいじけた気持ちが戻ってきて、僕がそっとネクタイに触れた時、


そういえばさ、お前、仕事はどうだ?
へっ?
日和のオッサンが上司なんだろ? 

お前、ガキの頃からずっとあのオッサンに憧れてたじゃん。一緒に仕事したいって。

そうだね。だから、一緒に仕事できるようになって、すごく嬉しく思ってるよ。

毎日てんこもりの指摘を貰うけど……いい刺激になるし。

ふーん。俺だったら嫌だけどな。

あのオッサン、会う度に笑顔で嫌味言いやがるし。

あはは、実ちゃん、昔から日和さんが苦手だったもんね。
傍で仕事できるようになって、僕はようやく夢のスタートラインに立てたんだなって思うよ。

まだまだ、ひよっこの僕だけど……日和さんみたい、とまではいかなくても、傍で仕事していても、恥ずかしくない編集者になりたいな。

そこは日和みたいな編集者になる、むしろ、越えてみせるくらい言えばいいのに。
そこまで思えるほど、まだ余裕はないよ。

今は、僕が頑張れることを頑張るだけだから。

……お前は、変わらず夢に向き合ってんだな。
え?
何でもねーよ。

 実ちゃんが誤摩化すようにそっぽを向く。

 でも、僕にはちゃんと聞こえていた。

 しかも、かなりテンションが下がってる声だったし。


……実ちゃんはどうなのさ、仕事。

 雑誌に掲載されなくなった頃から、実ちゃんの仕事のことは聞いちゃいけないような気がして、今までずっと話題に出すのを控えていた。

 実ちゃんの呟きが気になって、つい口に出しちゃったけど、マズかったかな。

 すごく落ち込んじゃったらどうしよう。

 そう思って身構えてたんだけど、振り返った実ちゃんの表情は意外にもあっけらかんとしていて。


まあ、楽じゃねーよな。いつまで続けていられるか分かんねーし。
えっ!
デビューした頃はバンバン仕事があったけど、最近は全然だしな。掛け持ちしてるバイトの方が稼げるし、実際。

まあ、いくら俺が人目を惹く外見を持ってるとは言えさ、年を取るにつれ、どうしてもフレッシュさはなくなってくじゃん? 十代と二十代って結構差があるし。

んで、若くて顔だけはいい新人がどんどんデビューするだろ? 

見た目以外に何かねーと、あっさり消えちまうんだよ。

そういう世界なんだ、俺がいるところは。

それは……そうかもしれないけど……。
でもさ、時々SNSとかファンレターとかで、応援してるって言われることあって、そういうのに結構励まされるんだよな。

あと、色んな格好できるの楽しいし、カメラの前に立つのって、すげー気持ちいいし。

モデルの仕事が好きだなって気持ちは、全然変わってねーんだ。

この仕事を通じて知り合った人もいるし、何より恋人の存在が――。

 そこまで言いかけて、実ちゃんがはっとして口を噤んだ。

 僕の手を握っている実ちゃんの手が、微かに震えている。


……恋人じゃなくて、ライバルに戻ったけど。

あいつの存在は、俺にとっては大きいままなんだ。

負けたくねえ、俺だって、もう一花咲かせてやるって奮い立たせてくれるいい起爆剤なんだ。

落ち込んでる場合じゃないんだよな、マジで。

 明るい口調で言い放っているけれど、却ってそれが無理をしているように感じてしまう。握った手の力を強くしたのも、僕に震えていると悟られたくないからだろう。


無理、しなくてもいいんじゃないかな、今は。
別に、無理なんてしてねーよ?
何年付き合ってると思ってるのさ。

僕に下手な誤摩化しをしても、逆にバレ……んむっ?!

 実ちゃんの笑顔が近づいてきた、と思ったら、ちゅっと音を立ててキスをされていて。

 軽く触れただけなのに、僕の腰はあっさりと抜けてしまい、その場でへたり込んでしまった。


相変わらず、キスが苦手なのな、お前。
 意地悪なことを言いつつも、実ちゃんは繋いだままだった僕の手をゆっくりと引っぱって、立ち上がらせてくれた。
ふ、ふふふふ不意うちはダメって、言ったじゃん……。
分かっててやったんだよ。お前が、生意気なこと言いやがるからさ。
ぼ、僕は心配してるだけなのに。
はいはい、感謝してますって。

俺の従兄弟は優しくて涙が出そうだわー。

あ、一応恋人だったか。

嘘の、でしょ。
嘘の、だけどな。

 また楽しそうに笑う実ちゃん。

 僕もつられて笑ってしまったけど、内心は、全然笑えなくて。

(付き合う前から、『仕事仲間』っていう強い繋がりがあったんだもんね。失恋の傷が癒えていない今、仕事に向き合うのは大変なのかも)

(こんな、『恋人ごっこ』で、実ちゃんの寂しさは紛れるのかな。

もっと、僕にできることはないのかな……)

よし、そんな優しい恋人のためにリベンジをさせてやろう。

次のデートで、今度こそ例の映画、見に行こうぜ。

ま、まだ諦めてなかったの?
たりめーだろ。せめてあのレベルは耐えてくれないと、俺の恋人として認められねーんだけど?
が、ガンバリマス……。
おー、頑張れ。あ、でも服装は頑張らなくていいからな。
そ、それこそリベンジさせてよ! 

今度はちゃんと、実ちゃんに合格点貰えるような格好で来るからっ!

そうかよ。じゃあ、期待しないで待ってるわ。

 他愛無いやり取りをかわしながら、僕は握った実ちゃんの手に意識を向けていた。

 今度、また実ちゃんの手が震えたら、今度は僕の方から握り返してあげようと思ったんだ。


 でも結局、改札口で手を離すまで、実ちゃんの指先は震えなかったし、その笑顔が曇ることもなかった。


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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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