3-7 お風呂の時間

文字数 3,911文字

 ふわふわと、僕の右横で柔らかな湯気が漂っている。匂うのは、お風呂に入れた『究極の入浴剤』のもの。ミルクに似た甘い匂いで、嗅いでいると頭の芯がぼうっとしてくる。

 僕は、夢を見ているのかな。……何だか、そんな気がしてきた。


痒いとこあったら言えよ? 

全力で掻いてやるからなっ!

ん……平気……。
遠慮すんなって〜。

体、クタクタだろ?

動かないでリラックスしてろよ。体を綺麗にすんのは俺がやってやるから安心しろ。

だ、だから、いいって……うわっぷ?!

 ざばーっと容赦なく頭の上から掛けられたお湯。

 その熱と勢いのある音に、僕は思ってしまった。

 これは現実なんだと。

お、お湯掛ける前に一言言ってよ……けほっ。
悪い悪い。

けど、気持ちいいだろ?

 僕の両肩に手を置いて、実ちゃんが顔を覗き込んできた。

 何故か誇らしげな笑顔はいつもの実ちゃんのはずなのに、髪を下ろして全体的にしっとり濡れているせいなのか、妙に色っぽく見えてしまう。

 

うっ。
ん? まさか、のぼせたのか? 

まだ風呂に浸かってねえってのに。

 きょとんとして首を傾げる実ちゃんに、僕は何でもない、と慌ててそっぽを向いた。










 どうして、僕が実ちゃんと一緒にお風呂に入っているのか。

 それはほんの10分前、実ちゃんの「泊まるから!」発言まで遡る。

おばさんには許可もらったぜ。うるさくしなきゃいいってさ。

あと、今晩はずっと部屋に引きこもるから、夕飯はいらねえって言ってた。

お、お母さんはそう言うだろうけど、おばあちゃんは?
昨日から友達と温泉旅行に行ってる、っておばさんから聞いたけど……お前、知らなかったのか?
……そ、そういえば……。
まあ、そういう訳だからさ。今日の夕飯は俺とお前だけだ。

準備は整ってるから、すぐにでも食えるぜ。

もちろん、風呂も沸かしてあるから、そっちでもいいけど。

な、何で実ちゃん、そんなに色々してくれるの? 

何か企んでるよね?

企んでる訳ねーだろ。俺はただ、疲れて帰ってきたお前を癒したいだけだってーの。

変なこと気にしてないで、ほら、どっちだよ、風呂かメシ! 

あ、もちろん、俺でもいいぜ?

 そう言って、ウインクする実ちゃん。


 フリフリの可愛いエプロンのせいなのか、今日の実ちゃんがやたら可愛く見えてしまう。

 っていうか、そのエプロン、一体どこから手に入れて来たんだろう。おばあちゃん、そんなフリフリのエプロンしないはずだし、実ちゃんの私物かな。何で持ってるんだろ……。


 ……と、自分の思考を含めて、もう色々突っ込みどころ満載で、考えるのが面倒になってきてしまって、

とりあえず、僕、お風呂はいるよ。ご飯はその後でもいい?
いいぜ! 任せときな!
よく分かんないけど、よろしく……。

 と言う訳で、僕は早速お風呂に入ることにしたんだけど。

 その後、何故か実ちゃんも一緒に入ってきたのだ。全裸で。


俺が背中を流してやる。任せとけ!

 なんて、まるでお皿でも洗うみたいに言って。


 もちろん、

「やらなくていいよ。っていうか、嫌な予感しかしないからしないで。なんなら土下座するから今すぐ出て行って下さいお願いします」

ってちゃんと断ったんだけどね。


 そんな僕の言葉はまるっと無視され、今に至るという訳だ。解せぬ。





も、もういいよ。後は自分でやるから……。
ここまで来たら、体も洗ってやるって。遠慮すんな。

ほら。じっとしてろ。

 わしゃわしゃと音を立てながら、実ちゃんが僕の背中をスポンジで擦り始めた。

 実ちゃんのことだから、ガシガシ擦るのかなって思ったけど、ビックリするくらい手つきが優しい……というか、くすぐったい。そのくすぐったさがまたドキドキを増長させているようにも感じる。


 おかしいな、実ちゃんとキスできるようになった頃から、例の『動悸』は気にならなくなっていたはずなのに。

 今日はやけに僕の中で響いていて、落ち着かない。


こら、背中丸めんな。洗いにくいだろ。
うひっ?!

 ぐいっと思い切り肩を引っ張られたかと思うと、僕は風呂椅子からずり落ちて、大きく仰け反ってしまった。


うおっ?! 

……っと。

 僕の体を、実ちゃんが後ろでキャッチしてくれたのはありがたい。

 ……んだけど、お互いに裸だから……実ちゃんのアレとかソレとかが、僕のお尻や背中にダイレクトに当たってしまってる訳で……。

っご、ごごごごごごめん!
大丈夫だって。お前、大して重くねーし。

それに、お前の貧弱なケツ押し付けられても、別に嬉しくも何ともねーもん。

え、あ、そ、そう……。

(……って、何でショック受けてるんだろ、僕)

にしても、ホント貧弱だよな、ケツも筋肉もさ。

男のソレとは全然思えねえ。

ひっ、っちょ、ちょっとお! お尻揉まないで! セクハラだよ!
いいじゃん、別に。

ガキの頃散々やっただろ? 背比べとかちんこ比べとか。

お前、どっちも俺に勝てた試しがなかったよな〜。

お、思い出させないでよ、そんな変なことぉ……いい加減、お尻から手を離して……。
 「はいはい」と笑いながら、実ちゃんがそっと僕の体を起こして、風呂椅子に座らせてくれた。

 わしゃわしゃ、とくすぐったい感触が再び僕の背中を滑る。

こうやって2人で入ってると、マジでガキの頃思い出すな。

あの頃は楽しかったよなあ。

週末になると、ここに遊びに来て、そのまんま泊まることになってさ。

おばさんに怒られるまで、2人でぎゃーぎゃー騒いでたよな。

そうだね。何かもう、随分昔のことのような気がする。
そうか? 俺は昨日まで小学生だった気がするぜ? 

特にお前と一緒にいると、そう思っちまうんだよなあ。

……言われてみれば、そうかもね。

 お風呂も寝る時も……怖い映画を見た時はトイレも一緒だったっけ。

 実ちゃんといれば、何にも怖くなくなったし、楽しかったんだ。


何せお前、見た目も中身もほんっとに変わんねえから、大人になった気がしねえんだよな〜。

お前だけ、まだガキのままだったりして?

……そうかも。
マジレスすんなよ。

そこは「そんなことないよ、僕も24歳の大人だよ!」って全力で否定するとこじゃん。

あはは……実ちゃんの中の僕って、そんなんなんだ……。

 誤摩化すように笑ってみたけど、覇気のない笑い声になってしまった。


 今日の仕事が終わったら、朝起きるまで、仕事のことは何も考えないようにしよう。

 そう決めて、今日は久しぶりに持ち帰りの仕事をゼロにして帰ってきた。実ちゃんが現れたことで、更に仕事からは気持ちが離れて……ちょっとだけ、期待したんだ。この流れでいつもの僕に戻れないかって。


 でも、やっぱり、あの失敗は僕の中で深い切り傷になっていて。

 些細な言葉でも、こんなにあっさり気持ちが下向きになってしまう。

小晴の癖に落ち込んでんじゃねーよ。
うひゃあ?!
 下腹部をするりと泡だらけの手で撫でられ、僕はまた変な声を上げた。
お前、痩せ過ぎ、もうちょい食えよ。
や、やだやだっ、そこ、やめてぇ!
……あ、そう言えばお前、ここが弱いんだっけ。
っわ、ちょ、ちょっとお! ほ、ほんとに弱いんだから、やめてよぉ!
え〜? 別に、わざとくすぐってる訳じゃねーぞ〜?

俺は洗ってるだけだしぃ〜?

 実ちゃん、完全に面白がってるじゃん。

 抵抗も虚しく、僕の下腹部は実ちゃんの意地悪な手によって撫でられたり揉まれたりされてしまう。

 泡だらけになってしまったお腹への刺激に唸りながら耐えているうちに、僕は唐突に下半身が昂るのを感じてしまった。

っあ!
……あ。

 僕の声に遅れて、実ちゃんも意味深な声を上げ、お腹へのくすぐりをぴたり、と止めた。

 慌てて両手で隠したけど、見られた……よね。そうでなくても、両手で股間を抑えてる時点で、男なら察しちゃうし。

 ちら、と振り返ると、実ちゃんはある一点を見つめたままぽかん、としている。

 その視線の先には……うん、勘弁して。

み……見ないで……。
素直すぎるだろ、反応が。さすが童貞。
さ、実ちゃんのせいじゃんか……。
……そうだな、じゃ、責任とって抜いてやるよ。

じっとしてろ。

へ? 

うわあっ?!

 唖然とする僕の両手をあっさりと払いのけると、実ちゃんは素直に昂ってしまったペニスをきゅっと掴んでしまった。

 ワンテンポ遅れてハッとする僕だったけど、既に遅し。

 手の中に収まった僕のソレを、実ちゃんは何の躊躇いもなく扱き始めてしまった。

ちょ、や、やだっ、実ちゃん!

そんなのやんなくていいからあっ……んぐっ?!

何も考えるなって。気持ちよくなることだけに集中しろ。

あと、声がうるせえから抑えとけ。今、おばさんに怒鳴り込まれたら嫌だろ?

んんっ!

 確かに。背後から口を塞がれた上にペニスを握られてる状況は、お母さんに見られたくない。

 でも、だからって実ちゃんに抜いてもらうのは嫌……というか、恥ずかしい

 ついこの前だって、実ちゃんとのキスで抜いちゃって、穴に埋まりたいくらい恥ずかしい思いをしたのに。


 実ちゃんの手を掴んで止めさせようとするけど、ダメだ、全然力が入らない。

 恥ずかしさが増しているせいか、それとも蓄積した疲労のせいか、はたまた擦られていることへの気持ち良さのせいか、とはあまり思いたくないけど……僕の体はどんどんと力が抜けてきてしまう。


素直に委ねろ。大丈夫だから。
んーっ……ん、ん。
そうそう。いい調子。

大丈夫だからな、任せろ。

 何が大丈夫なんだ。


 そうツッコミを入れたいけど、実ちゃんの手つきが的確すぎて、目の前がぼうっとしてきた。

 泡の音と僕自身から零れ落ちる卑猥な音が狭い浴室に響く。

 それが更に僕の熱を昂らせるから、もう、こうなると止められない。

 ドキドキふわふわの湯気に囲まれながら、僕はぎゅう、と目を瞑った。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色