2-9 突発デート
文字数 4,636文字
僕が実ちゃんに、生まれて初めてワガママを言ってから、十分後。
実ちゃんに連れられて、やってきたのは繁華街。以前、練習デートをした時に、最後に立ち寄ったエリアだ。
その煌びやかなネオンを見た僕の脳裏に蘇ったのは、ラブホに連れて行かれそうになったあの事件。
路上で堂々とイチャイチャしていた瞳さんとのデートだもの。そういう場所に、コンビニに行く感覚で足を運んでいたって変じゃない。
以前は「絶対お前とラブホは行かない」って実ちゃんに言われた。
でも、今回は僕が「瞳さんとしていたようなデートをして!」とお願いしている状況だ。連れて行かれてもおかしくない訳で……。
けど、どうしよう。僕、本当にそういう経験ないよ。知識だって全然自信ないのに、どうやって乗り切ればいいんだ。っていうか、キスでも気絶しちゃうのに、それ以上なんて死んじゃうんじゃ……)
僕は実ちゃんの腕に抱きつきながら、密かにびくびくしつつ、あれこれ心配していた。
でも、実ちゃんが足を止めたのは「ラブ」がつくホテルではなく、ごくフツーのカラオケボックスの前で。
思わずぶんぶんと首を横に振った僕に、実ちゃんが「期待に添えなくて悪かったな」とニヤッと笑う。
意地悪だなあ、もう。
ラブホじゃなくてホッとする気持ちと、いらない心配を考えていた自分への恥ずかしさが入り混じり、うぅ、と呻く僕。
そんな僕を横目に、実ちゃんがカラオケ入り口のガラス扉に手を当てて、そのまま押し開ける。
と思っていたら、実ちゃんはその姿勢のままぴたりと動きを止めて、じ〜っと真顔で僕を見つめてきた。
お前、言ったよな。瞳と付き合ってた時みたいなデートしろって。
だから、カラオケの中でもそういうつもりでデートするけど、いいんだよな?
僕が抱きしめている実ちゃんの腕が、微かに動く。
そのまま、するりと解けていきそうな実ちゃんの腕を、僕は慌てて抱きしめ直した。
実ちゃんが呆れたようにため息を吐き、そう念押ししてくる。
実ちゃんの言葉に不穏なものを感じつつ、僕は小さく頷いた。
それから、数十分後。
歌っている僕の脇の下で実ちゃんが腕を動かした途端、変な声が出た。
しかも、マイク越しに叫んだせいで、狭い室内にその声が思い切り響いてしまった。
今度は耳元でぽそぽそと囁かれた上に、下腹部を撫でられた。
くすぐったい感覚のせいで、僕は口をぱくぱくと金魚のように動かすことしかできない。
それに対し、実ちゃんはテーブルにどん、と置かれた山盛りのポテトを摘んで、むぐむぐと食べている。
僕の後ろから抱きつく形で。
実ちゃん曰く、これが瞳さんとのカラオケデートの定番スタイルだったらしい。
正確には、瞳さんが実ちゃんを後ろから抱えていたらしいんだけど、
ということで、僕が実ちゃんに後ろから抱きつかれる形になった。
まあ、実ちゃんの方が慣れてるし、彼にリードしてもらった方がいいだろう、ということで、身を任せてみることにしたんだよね。
ちなみに今、この部屋に入って二曲目の真っ最中なんだけど……既に僕のHPはゴリッゴリに削れちゃってる。
一曲目の時点で、既にヤバかった。
歌ったのは実ちゃんだけだけど、僕を後ろで抱きかかえたまま歌ってたんだ。
しかも途中、注文したドリンクやポテトを持った店員さんが入って来ても、実ちゃん、全く僕のこと離してくれなかった。
もうね、店員のお兄さんの何とも言えない笑顔が忘れられない。きっと僕、人様にお見せできないレベルで真っ赤だったろうなあ……。
その後、実ちゃんはノリノリで歌ってくれていたみたいけど、店員さんに見られたダメージで、僕の脳みそには朧げにしか残っていない。
そんな中での、僕のターン。
予想はしていたけれど、やっぱり僕はまともに歌えていない。
マイクを通して、自分の恥ずかしい悲鳴を垂れ流しているだけだ。
これが羞恥プレイ……って奴なのかな?
実ちゃんがぼそっ、と僕の耳をくすぐるような声でそう問いかけてくる。
僕は唇をぐっと噛み締めて、首を横に振った。
はあ、と呆れたようなため息が聞こえたかと思うと、僕の右肩にこつん、と重みが乗っかった。
頬に感じる実ちゃんの熱い吐息と、下腹部を撫で続ける彼の手。
二つの刺激に、僕の両手に握られたマイクがカタカタと小刻みに揺れる。
と、僕は精一杯答えたものの、実ちゃんに撫でられている下腹部がそわそわと落ち着かなくて、舌も頭も回らない。
実ちゃんの手がすす、と更に下に移動した途端、僕は今日一番の悲鳴を上げた。
辛うじて股間には到達しなかったものの、かなりギリギリのところを撫で始めたものだから、たまらない。
もぞもぞと僕の下腹部で動く手をそのままに、実ちゃんが悪びれもなくそんなことを言う。
恥じらいもなくあっさりと答える実ちゃん。
いつもの彼らしい答えだと思う。
でも、その言葉を聞いた途端、僕は喉の奥がきゅっと締まるような息苦しさを覚えた。
やっぱり僕じゃ、瞳さんのように実ちゃんのコトを気持ち良くさせられないのか……な、って……?)
違うよ、僕は実ちゃんの従兄弟だから!
従兄弟としてっ、実ちゃんのことをたくさん理解して、サポートできたらって思ってるだけで……!!
こ、これだって、その一環だから! 変なことしてるけど、変じゃないからっ!)
口に突っ込まれたポテトに目を白黒させながら、ボクはとりあえずもぐもぐと咀嚼する。
ちょっとしょっぱすぎないかな、このポテト。
でも、中はほっくりしていて、食べ応えはある。これは結構お腹に溜まりそうだ。
実ちゃんの言葉遮るように、僕は下腹部に触れたまま動きを止めていた彼の手をぎゅっと掴んだ。
僕のお願いに、実ちゃんは何も言わない。眉を寄せたまま、考え込んでいるみたいだ。
どうすればこの頑固な従兄弟が引き下がるか、考えてるんだろうか。
ふと、テレビを見れば、僕がサビまで歌えなかった曲は画面から消えていた。
僕も実ちゃんもその後に曲を入れていなかったから、新譜の紹介CMが流れている。
柔らかなソプラノの歌声が紡ぐバラード。この曲、知ってる。映画版〈ひつじの恋〉のテーマソングだ。
そのPVらしき映像にブレザーの制服姿の瞳さんが映り込んでいて、僕は咄嗟に俯いてしまった。
ほら、ポテト食うの手伝え、とばかりに、実ちゃんがまた僕の口にポテトを運ぶ。
ひひっ、と実ちゃんの楽しそうな笑い声が、僕の耳たぶをくすぐった。