2-9  突発デート

文字数 4,636文字

僕は本気で実ちゃんとデートしたいんだよっ!

 僕が実ちゃんに、生まれて初めてワガママを言ってから、十分後。


 実ちゃんに連れられて、やってきたのは繁華街。以前、練習デートをした時に、最後に立ち寄ったエリアだ。

 その煌びやかなネオンを見た僕の脳裏に蘇ったのは、ラブホに連れて行かれそうになったあの事件。

 路上で堂々とイチャイチャしていた瞳さんとのデートだもの。そういう場所に、コンビニに行く感覚で足を運んでいたって変じゃない。


 以前は「絶対お前とラブホは行かない」って実ちゃんに言われた。

 でも、今回は僕が「瞳さんとしていたようなデートをして!」とお願いしている状況だ。連れて行かれてもおかしくない訳で……。

(じ、自分から言い出したことだし、今回ばかりは連れて行かれても文句なんて言えない……。覚悟、決めないといけない、よね。

けど、どうしよう。僕、本当にそういう経験ないよ。知識だって全然自信ないのに、どうやって乗り切ればいいんだ。っていうか、キスでも気絶しちゃうのに、それ以上なんて死んじゃうんじゃ……)

 僕は実ちゃんの腕に抱きつきながら、密かにびくびくしつつ、あれこれ心配していた。

 でも、実ちゃんが足を止めたのは「ラブ」がつくホテルではなく、ごくフツーのカラオケボックスの前で。


こ、ここ……?
ん。俺とあいつのデートっつたら、カラオケが多かったから。

あいつ、一応有名人だから、行くのはもっと高けー店だったけどな。

俺はこういうフツーのところの方が落ち着くんだよ。

……。
何だよ、その顔。

ラブホの方が良かったか?

いっ、いやいやっ、いやっ!

 思わずぶんぶんと首を横に振った僕に、実ちゃんが「期待に添えなくて悪かったな」とニヤッと笑う。

 意地悪だなあ、もう。

 ラブホじゃなくてホッとする気持ちと、いらない心配を考えていた自分への恥ずかしさが入り混じり、うぅ、と呻く僕。

 そんな僕を横目に、実ちゃんがカラオケ入り口のガラス扉に手を当てて、そのまま押し開ける。

 と思っていたら、実ちゃんはその姿勢のままぴたりと動きを止めて、じ〜っと真顔で僕を見つめてきた。


な、なななな何……?
着いたところがラブホじゃなくてカラオケだから、お前、ちょっと気が抜けてるだろうけど。

お前、言ったよな。瞳と付き合ってた時みたいなデートしろって。

だから、カラオケの中でもそういうつもりでデートするけど、いいんだよな?

うっ。
……止める?

 僕が抱きしめている実ちゃんの腕が、微かに動く。

 そのまま、するりと解けていきそうな実ちゃんの腕を、僕は慌てて抱きしめ直した。


っう、ううん! 僕が言い出したことだから、平気。

だから実ちゃん、瞳さんとカラオケに来た時と同じように行動してね。じゃないと、意味がないから。

マジで、ヤバかったらちゃんと言えよ。絶対だかんな?

 実ちゃんが呆れたようにため息を吐き、そう念押ししてくる。

 実ちゃんの言葉に不穏なものを感じつつ、僕は小さく頷いた。


それから、数十分後。


……ひゃあっ?!

 歌っている僕の脇の下で実ちゃんが腕を動かした途端、変な声が出た。

 しかも、マイク越しに叫んだせいで、狭い室内にその声が思い切り響いてしまった。

こら、暴れんな、ポテト取れねーじゃん。
ひっ?!

 今度は耳元でぽそぽそと囁かれた上に、下腹部を撫でられた。

 くすぐったい感覚のせいで、僕は口をぱくぱくと金魚のように動かすことしかできない。

 それに対し、実ちゃんはテーブルにどん、と置かれた山盛りのポテトを摘んで、むぐむぐと食べている。

 僕の後ろから抱きつく形で。



 実ちゃん曰く、これが瞳さんとのカラオケデートの定番スタイルだったらしい。

 正確には、瞳さんが実ちゃんを後ろから抱えていたらしいんだけど、


どっちかっていうと、俺が瞳ポジションになった方がいいだろ。

 ということで、僕が実ちゃんに後ろから抱きつかれる形になった。

 まあ、実ちゃんの方が慣れてるし、彼にリードしてもらった方がいいだろう、ということで、身を任せてみることにしたんだよね。



 ちなみに今、この部屋に入って二曲目の真っ最中なんだけど……既に僕のHPはゴリッゴリに削れちゃってる。


 一曲目の時点で、既にヤバかった。

 歌ったのは実ちゃんだけだけど、僕を後ろで抱きかかえたまま歌ってたんだ。

 しかも途中、注文したドリンクやポテトを持った店員さんが入って来ても、実ちゃん、全く僕のこと離してくれなかった。  

 もうね、店員のお兄さんの何とも言えない笑顔が忘れられない。きっと僕、人様にお見せできないレベルで真っ赤だったろうなあ……。

 その後、実ちゃんはノリノリで歌ってくれていたみたいけど、店員さんに見られたダメージで、僕の脳みそには朧げにしか残っていない。



 そんな中での、僕のターン。

 予想はしていたけれど、やっぱり僕はまともに歌えていない。

 マイクを通して、自分の恥ずかしい悲鳴を垂れ流しているだけだ。

 これが羞恥プレイ……って奴なのかな?

限界か?

 実ちゃんがぼそっ、と僕の耳をくすぐるような声でそう問いかけてくる。

 僕は唇をぐっと噛み締めて、首を横に振った。


ま、まだ、僕、ちゃんと歌ってないし……ぽ、ポテトも一個も食べられてないからっ……。
とりあえずこの体勢だけでも止めれば、どっちもスムーズにできるんじゃね?
っで、でも、瞳さんとは、こうやってカラオケ、してたんでしょ……?
まあな。俺がそうしたいって言ってたからだけど。
じ、じゃあ、やっぱり止めない。

そういうデートしたいって、言ったのは僕だから。

ほんと、変なとこで頑固だよな、小晴は。

 はあ、と呆れたようなため息が聞こえたかと思うと、僕の右肩にこつん、と重みが乗っかった。

 頬に感じる実ちゃんの熱い吐息と、下腹部を撫で続ける彼の手。

 二つの刺激に、僕の両手に握られたマイクがカタカタと小刻みに揺れる。


んっ……。
お前、結構そういうエロい声出せるんだな、童貞の癖に。
え、エロとか、言わないでっ……。
歌、もうじき終わっちまうぞ。

歌わねーの?

歌、うよっ……。

 と、僕は精一杯答えたものの、実ちゃんに撫でられている下腹部がそわそわと落ち着かなくて、舌も頭も回らない。


うぅ……。

(何これ、体がむずむずして変な気分になってきた)

……お前、もしかして腹撫でられるだけで感じてんの?
へ? 

いやっ、そんな、はずは……んっ!

ほら。
か、感じてないっ、感じてないからっ!
ふーん?
ほ、本当に感じてないからね! フリじゃな……ひぃぃっ?!

 実ちゃんの手がすす、と更に下に移動した途端、僕は今日一番の悲鳴を上げた。

 辛うじて股間には到達しなかったものの、かなりギリギリのところを撫で始めたものだから、たまらない。


ちょ、ちょっとぉ、実ちゃ……っ!
ほんとお前、分かりやすいな。そんなにココが弱いのか。
た、試さないでってばっ!
んー、って言ってもなあ、あいつとしてたコトだしなー。

 もぞもぞと僕の下腹部で動く手をそのままに、実ちゃんが悪びれもなくそんなことを言う。

っひ、瞳さんにも、こ、こんな風に触られてたの?
そう。瞳の場合はもっと動きが激しかったし、触ってる場所も場所だったけどな。

俺も同じように触りたかったけど、瞳は小晴みてーに受け身になってくれることがなかったから、いつも触られっぱなしだったんだ。

……か、感じてたの? 実ちゃんも。
まあ、触ってた場所は全部、俺が弱いとこだったし。

そもそも、好きな相手にされたら、どこだって気持ちいいじゃん。

 恥じらいもなくあっさりと答える実ちゃん。

 いつもの彼らしい答えだと思う。

 でも、その言葉を聞いた途端、僕は喉の奥がきゅっと締まるような息苦しさを覚えた。


(どうしてだろ、僕が知りたいって思ってたことなのに、実ちゃんの口から聞くと気分が落ち込んでくる。瞳さんとやっていたことを再現してくれているとはいえ、僕相手だと、瞳さんとしていた時のように気持ち良くなれないんだろうな……。


やっぱり僕じゃ、瞳さんのように実ちゃんのコトを気持ち良くさせられないのか……な、って……?)

(待って待って!? 僕、思考がどんどんおかしな方向に行ってるよね?! 

違うよ、僕は実ちゃんの従兄弟だから! 

従兄弟としてっ、実ちゃんのことをたくさん理解して、サポートできたらって思ってるだけで……!! 

こ、これだって、その一環だから! 変なことしてるけど、変じゃないからっ!

(つんつん)
ひうっ?!
お、戻ってきたな。

今、完全に意識飛ばしてただろ、お前。

 びっくりした。実ちゃんに右頬をつつかれただけで、下腹部触られてた時以上の悲鳴を上げちゃった気がする。
何泣きそうなツラしてんだよ。

俺、お前を泣かせたい訳じゃないんですけど?

しょ、しょんなちゅもりじゃっ……んぐっ?!
ほれ、ポテトでも食って落ち着け。ここのポテト、美味いから。

 口に突っ込まれたポテトに目を白黒させながら、ボクはとりあえずもぐもぐと咀嚼する。

 ちょっとしょっぱすぎないかな、このポテト。

 でも、中はほっくりしていて、食べ応えはある。これは結構お腹に溜まりそうだ。

なあ、もうこの辺りでおしまいでいいんじゃねえか? 

ポテト食って、腹満たしたらさ、お開きにしようぜ。

えっ。
俺のこと知りたいって言ってくれたお前の気持ちは嬉しいし、恥ずかしいのを耐えて頑張ってるのも分かる。

でも、その泣きそうなツラ見てるとさ、俺、悪いことしてる気分になっちまうんだよな。

……ごめん。
謝んなよ。別にお前のこと責めてる訳じゃねえ。

ただでさえ瞳に振り回されて疲れてんのに、無理すんなって言いたいんだよ、俺は。

だから、ここいらでお開きに……。

っ!

 実ちゃんの言葉遮るように、僕は下腹部に触れたまま動きを止めていた彼の手をぎゅっと掴んだ。


オイ、小晴。
ごめん、実ちゃん。

でも、まだおしまいにしないで。

……手ェ、ぷるぷるしてんぞ。

お前、限界通り越してるだろ。

ワガママ言ってるのは分かってるけど、やっぱり諦められないんだ、僕。

ここで「おしまいにする」って言ったら、何も変わらないような気がして……そしたら……。

(折角、ここまで近づいて話せるようになったのに……諦めちゃったら、実ちゃんがまた、僕から離れて行っちゃう気がする)
……ったく。

『恋人ごっこ』してる内に、俺のワガママが移ったんじゃね、お前。

責任感じてるなら、もう少しだけ付き合ってよ。

お願い、だから。

 僕のお願いに、実ちゃんは何も言わない。眉を寄せたまま、考え込んでいるみたいだ。

 どうすればこの頑固な従兄弟が引き下がるか、考えてるんだろうか。


 ふと、テレビを見れば、僕がサビまで歌えなかった曲は画面から消えていた。

 僕も実ちゃんもその後に曲を入れていなかったから、新譜の紹介CMが流れている。

 柔らかなソプラノの歌声が紡ぐバラード。この曲、知ってる。映画版〈ひつじの恋〉のテーマソングだ。

 そのPVらしき映像にブレザーの制服姿の瞳さんが映り込んでいて、僕は咄嗟に俯いてしまった。


……あのさ、小晴。
……何?
俺、今から行きたいところあるんだ。

付き合ってくれるか?

えっ。で、でも、僕はまだ……。
大丈夫。俺が行きたいところってのは、瞳との付き合いに関係することだから。

食べたら行くぞ。

 ほら、ポテト食うの手伝え、とばかりに、実ちゃんがまた僕の口にポテトを運ぶ。


ど、どこに行くの?
んー、今は秘密な。

 ひひっ、と実ちゃんの楽しそうな笑い声が、僕の耳たぶをくすぐった。


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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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