4-5 モーニング告白
文字数 4,141文字
どんなに辛い夜を過ごしていても、ちゃんと朝はやって来るんだ。
水色のカーテンから漏れる、一筋の目映い光。僕はそれを、ベッドに横たわったまま見つめていた。
傍に置いたスマホが示す時間は、いつもの起床時間の2時間後。
仕事だったら大遅刻だけど、幸い、今日は休日だ。
とはいえ、休日でもこんなに遅くまで布団にいることは、社会人になってから初めてだった……多分。
ベッドに籠もる僕の上に、まぐろが乗って鳴いている。
その声をBGMに、僕の脳裏で昨日の出来事が繰り返し再生されていた。
昨日、確かにこの目で見て、この耳で聞いたことなのに、現実味がない。
でも、部屋に飾っている実ちゃんのポスターや、学習机に放置したままの紫陽花模様のプレゼントの包みを見ていると、喉を強く圧迫されているような息苦しさに襲われた。
次の瞬間、僕は思い切り布団を蹴り上げてベッドから抜け出した。にゃっ、とまぐろが驚いた声を上げて部屋を飛び出して行ってしまったけど、構っている余裕は僕にはなかった。
家にいるとダメだ。出かけよう。
そして、なるべくなら、実ちゃんを思い出さないような場所に行きたい。
特に目的地を定めないまま、電車に飛び乗った僕。
結局たどり着いた先は、職場のすぐ傍にあるカフェ<うのはな>だった。
モーニングの時間帯のうのはなには、スーツ姿の人や学生らしき人の姿がちらほらとある。
僕は休みだけど、編集部は休みじゃないから、同僚や上司もここに来る可能性がある。
私服姿だし、目立つような顔じゃないけど、なるべく知り合いに見つからないようにしたい。別に後ろめたいことはないけど、今日はあんまり人と話したい気分じゃないし……。
そんなことを考えつつ、席を選んでいると、
魚谷先輩?
後ろから呼びかけられ、びくっとして思わず振り向いてしまった。
その先に立っていたのは、きょとんとして首を傾げる木谷くんだった。
あったことをそのまま言う訳にもいかず、僕は適当にそう言って誤摩化した。
思っても見なかったお誘いに驚いたものの、木谷くんの気さくな笑顔に惹かれるまま、一緒にモーニングを食べることになった。
木谷くんと合流して20分後。お馴染みの窓際のテーブル席で、僕は最高のモーニングを心行くまで楽しんでいた。
はぐ、と黄金に輝くフレンチトーストを1口頬張ると、優しい卵とメイプルが僕の口一杯に広がる。
更に、じゅわ、と溢れるバターがいい。舌で転がしていつまでも、ん~!って手足をジタバタさせたくなっちゃう。
なんたる至福だ。幸せは、職場のすぐ近くに存在していたんだね……。
ありがたさを噛み締めながら、コーヒーも飲む。
ああ、もう最高。
目、逸らすと余計に何かあったの、バレますよ。
木谷くんに指摘されて、僕はカップを口に添えたまま、恐る恐る彼の方を見た。
茶化す雰囲気は見当たらない、真面目な表情で僕を見ている木谷くん。続いて開いた口から出た声も、少しだけ固かった。
先輩。俺は全然恋愛経験ないし、頼りない後輩かもしれないですけど……でも、先輩のこと、心配なんです。
お節介だとわかってるし、傷つくのも分かってるけど……それでも、先輩の力になれないのかって、ずっと考えてて。
どうして、彼はそこまで分かるんだ、1度だって本当のことを話したことはないのに。
疑問は尽きないけど、それ以上に僕は木谷くんの言葉に大きく揺さぶられていた。
実ちゃんのことは、誰にも言えない相談だと思ってた。
渡辺くんも飲み会を設定してまで僕が話しやすいようにしてくれたけど、本当のことは言えなかった。他の仕事仲間も僕の様子がおかしいことを感じていたし、家族も……普段ほとんど顔を合わせないお母さんにすらも、勘づかれていて。
本当は辛かった。誰にも言えないことが。
だから、木谷くんがここまで察している上に心配していると知って、すごく動揺している一方で、張りつめていたものが解けていくのを感じている。
木谷くんのまっすぐな眼差しが、辛い。
同時に、その眼差しを前に、これ以上自分で抱え込むことは無理なんだって悟った。
まっすぐな優しい言葉に鼻の先がつん、となるのを感じながら、僕はゆっくりと話し始めた。
最初は軽い気持ちで始まった『恋人ごっこ』。それが、徐々に歪な形へと変化していった経緯を。
嘘偽りなく、全部、彼の前に吐き出したのだった。
それに返答することなく、木谷くんがグラスに手を伸ばした。
ストレートのアイスティーはあっという間に木谷くんの口に吸い込まれていき、とん、と置かれたグラスにはセピア色の氷だけが残っていた。
何となく、だけど。俺、その気持ち分かるような気がします。
俺も、好きだって思ってる人がいますけど……告白なんてできないから。
俺の場合、そもそも脈なんてないって昔から分かってますし、付き合うかどうかよりも、その人の傍にいて、話ができればそれで満足だって思ってるんです。
傍にいて、話ができればそれで満足だ。
木谷くんの言葉を反芻し、僕はハッとした。
そうだ。僕だってそうだった。
僕はずっと、実ちゃんの隣にいられて、実ちゃんの恋話を延々と聞かされて、たまにゲームしたり、コンビニで買い食いしたり。
子供の頃から何ひとつ変わらない、従兄弟関係がずっと嬉しかった。できることならこの先もずっと続いて欲しいって願っていた。
なのに、どうして忘れてしまっていたんだろう。
好きな人と付き合えるのは、確かに幸せなことかもしれないです。
でも、それが嘘であること前提の関係って、何か違うと思います。
最初はそうでなくても、本当に好きだって気づいたら、そりゃ苦しいですよ。だって、本当の好きですら、嘘だって言われているように感じますから。
俺だったら、そんなこと耐えられない。
木谷くんがす、とナプキンを差し出す。それをぎゅっと掴んだ僕は、懸命に首を横に振った。
目尻にじわりと浮かぶものが、衝撃でぽろ、と溢れる。
ぐしぐし、と目尻をナプキンで擦る。乱暴に擦ったせいか、地味にヒリヒリして痛い。
そうだ、僕はずっと、ヒリヒリして痛かったんだ。
あの日、実ちゃんが1人で泣いているのをこっそり見た時や、瞳さんと碧人さんの話や実ちゃんの話を聞いた時。
僕の心は派手に素っ転んで、擦り剥けてしまったんだ。
だからかもしれない。
「実ちゃんが好き」。その気持ちがつらくて悲しくて、全然幸せなんて感じないのは。
木谷くんの笑顔に、僕は心底ホッとする。
その一方で、擦り剥けた心の傷口がじくじく疼いて、またボロボロ泣いてしまいそうだった。