2-6 彼の恋愛
文字数 3,852文字
オフになったICレコーダーを僕が唖然と見つめていると、瞳さんがダイレクトな質問を投げかけてきた。
瞳さんは映画のキャラクターを語っていた時と変わらず、笑顔のまま。
でも、その声音は、ぞっとするような冷ややかさしかない。
さっきまではちゃんとインタビューに応じてくれていたのに、ここに来て一体どうして……。
(と、咄嗟に言い返しちゃった! で、でも、一応付き合ってる設定は続いてるもんね?
あ、でも碧人さんにはバレてたんだっけ。彼から話を聞いてたとしたら、とっくに僕らの関係は嘘だってバレてるんじゃ……?!)
却って失言だったかも、と焦る僕に、瞳さんはほぅ、と目を細めた。
体の関係を持ったのなら、お前も知っているだろう? あいつのセックスへの執念を。何よりもまず、性欲を満たすことへの必死さを。
俺との付き合いでもそうだった。
ことあるごとに求めて来て、好きだ好きだとバカみたいに繰り返す。
それは俺自身に恋いこがれているからじゃない。相性のいい体に恋いこがれているんだ。お前とも体を重ねたということは、体の相性はいいんだな。
瞳さんの眼差しがどんどんと鋭くなっていく。
それに比例して、吊り上がる唇の端が不気味だ。
見ているだけで、体の震えが止まらない。
でも、僕の中に浮かび上がった感情は、恐怖じゃなかった。
実ちゃんの笑顔と共に放たれたその言葉が、今、瞳さんと対峙する僕の背筋をぴん、と伸ばした。
僕が叫んだ途端、椅子ががたん、と激しい音を立てる。
叫んだ勢いで立ち上がってしまったせいだ。
でも、そんなこと、今はどうだって良かった。
確かに実ちゃん、性欲はすごく強い方だと思います! 彼のノロケ話の八割は下ネタだし、僕が嫌がってもお構いなしにしてくるデリカシーのなさもあります!
だけどっ!
恋愛の話をしている時の実ちゃんはいつも嬉しそうで、付き合っている相手のことをどれほど思っているか……その気持ちは、ただの聞き手だった僕にも伝わってくるほどでした。
僕の主観だし、少し身内びいきな考えかもしれない。
でも、誰よりも近くで実ちゃんを見て来た自信が、僕にはある。
だから、実ちゃんのしている恋が〈ごっこ遊び〉だなんて、僕は思わないです。
全部、本気なんです!
貴方も一度は彼を好きになったんなら、彼の恋を下らないなんて、言わないで下さいっ!
そこまで言い切ると、僕は浅い呼吸を繰り返した。
興奮しすぎて、体中が熱くてたまらない。
そんな僕を、瞳さんは上目遣いでじーっと見つめている。
その不愉快そうに歪められた形のいい眉を見て、僕ははた、と気がついた。
じわじわと僕の中で広がっていく、危機感と羞恥心。
それが頭の芯にまで到達したところで、僕は勢いよく頭を下げた。
瞳さんが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
そんな彼を見て、僕はますます体が強ばるのを感じながら、更に頭を下げた。
下げすぎて思い切りテーブルに額をぶつけたけど、気にしている場合じゃない。
(ばかばかばかっ! 僕のバカ!
あそこはグッと堪えて、強引にでも仕事の話に戻さなきゃいけないところでしょーが! 思い切り反論してどーするのっ!
元は瞳さんが言い出したことだけど、彼の機嫌を損ねたら、帰られちゃうかもしれないのにっ! そしたら、僕、編集部に帰れないよ……!)
瞳さんからのリアクションはない。
だからといって頭を上げる訳にもいかず、僕は唇をぎゅっと噛みながら、瞳さんの言葉を待った。
俺だって、そんなことは嫌と言う程知っている。
だから……。
――失礼。
話が脱線してしまいましたね。申し訳ありません。
聞こえてきた瞳さんの穏やかな声音に、僕は恐る恐る顔を上げる。
さっきまでの不機嫌で冷たいオーラはどこへやら。
僕にそっとICレコーダーを差し出す瞳さんは、にこにこと穏やかに笑っていた。
てっきり「お前とは話していられない」って怒られて、帰られるかと思ったのに。
その後、インタビューは滞りなく進んでいった。
瞳さんはずっと穏やかに微笑んだまま、どの質問にも誠実に答えてくれていた。仕事としては文句の付けようがないくらい、充実した内容だ。
あとはこの内容をファンに届けられるよう、僕が努力しないと。そう思える程だった。
でも、その一方で、僕は瞳さんの……恐らく、本音、と思しき発言がずっと胸の奥に引っ掛かっていた。
小魚の骨が喉につっかえたような、些細なことだけれど、気にならずにはいられない不愉快さ。
俺だって、そんなことは嫌と言う程知っている。
だから……。
インタビュー終了後。
合流した瞳さんのマネージャーさんと内容確認の打ち合わせや、カメラマンさんによる撮影も無事に終了した。
カメラマンさんや後から来ることになった編集長との打ち合わせのため、僕はこのままカフェに留まることになり、瞳さんはマネージャーさんと共に、次の仕事へ向かうことになった。
にこりと笑って、僕に手を差し出す瞳さん。
僕も笑顔でその握手に応じる。
が、手を絡めた途端、ぐん、と瞳さんの方に強く引っ張られ、僕の体は彼の胸元に引き寄せられた。
来るも来ないも自由だ。
が、お前が来るなら〈俺とハルがどう愛し合っていたか〉を詳細に教えてやらないこともない。
耳元に囁かれたその言葉に、ハッとして顔を上げる。
でも、瞳さんは相変わらず穏やかに微笑んだままで、
そっと僕から離れると、瞳さんは軽く会釈をして踵を返した。
何事もなかったかのように、マネージャーさんと会話する彼の後ろ姿。帽子やサングラスで変装しているけれど、秘められた輝きは少しもくすんでいないように見える。
小さくなっていく瞳さんの後ろ姿を見つめながら、僕は体の奥がふつふつと熱くなるのを感じていた。まるで、瞳さんの言葉に反論した時みたいに。