碧人番外編 〈ウラ・イミテーション〉6. 思い出

文字数 2,411文字

ただの公園じゃん。しかも、仕事でよく来るとこだし。

 瞳に連れられてやってきたのは、川沿いの公園。大きな噴水があったりクレープのキッチンカーがあったりして、ショッピングモール同様に賑わっている。ショッピングモールよりもカップル率が高いのは、ここがデートスポットとして有名だからだ。

 雑誌で取り上げられることも多く、僕も幾度となく撮影のためこの場所を訪れている。初見ならこの爽やかな景色に感動するだろうけど、僕には感動の「か」の字も思い浮かばない。

お前の望み通りの場所なんだが、期待外れなら悪いことをしたな。
 川沿いの遊歩道に下りて、瞳が自販機で缶コーヒーを買う。「どれがいい?」と尋ねられたので、ぱっと目についたタピオカミルクティーを選んだ。
それで、何でこの場所に来ると困っちゃう訳?
ハルとよくここでデートをした。
 そう言って缶コーヒーに口をつける瞳。その眉間に、数本、皺が刻まれた。
ここでデートって、仕事しに来てる感じがして嫌じゃない?

場所ならいくらでもあるのに、何でよりによってここなの。

ハルの希望だったから、ここにしてただけだ。

俺は、あいつと一緒にいれば、別にどんな場所でも良かった。

が、ここはさすがに回数が多い分、否応無しにあいつとの記憶が蘇る。そう言う意味で、困るんだ。

 瞳の眉間の皺は消えない。穏やかな川の流れを見つめながら、どんな記憶を思い浮かべているんだろうか。
……瞳って、本当にハルのことが好きなんだね。
過去の話だ。今は、お前しか見えていない。
そういうの、今はいいから。

 律儀に演技を続行する瞳の、刻まれたままの眉間の皺を見つめながら、僕はタピオカミルクティーを口に含んだ。

 甘ったるい。砂糖水でも飲んでるみたいだ。弾力のあるタピオカも、噛めば噛む程甘さが増して、気持ち悪い。

ねえ、ハルとはどうやってデートしてたの?
再現しろって言うのか?
瞳、演技がブレてきてるよ。顔が恐いから。
 ずいっと迫ってきた睨み顔に呆れを返すと、ふん、と瞳が鼻を鳴らした。
ここは、調子が狂う。
調子が狂う程、いちゃいちゃしてたんだ。
好きな相手を前にして、抑えられる奴がどこにいる。
そっか。だからみんな、必要以上にひっついたり、求めるものなんだね。

 タピオカミルクティーを持て余しながら、僕は瞳との距離を縮めた。

 ここまで触れて、何もされないのは多分初めてのことだ。

 無駄に性欲を煽られることもないし、痛みもない。

 でも、どうしてだろう。瞳の鳶色の目に見下ろされた時、少しだけ体が震えてしまったのは。


 『恐怖』? 瞳に? 今更だし、睨まれたって怖くなんかない。

 じゃあ、『期待』? ……何を?


 浮かんだ考えを振り払うように、僕は口を開いた。

ーー僕さ、僕自身は全く恋愛と縁のない人生を送ってきたんだけど。

僕の母親は恋愛しないと生きていけない人なんだ。

 ほんの少しだけ見開かれた鳶色の目に、僕はふ、と笑う。

物心ついた時から、知らない男といちゃついてるところを目の当たりにしてた。

しかも、毎日相手が変わるんだよ。父親のことははっきり聞いたことはないけど、そりゃいなくて当然だよね。

キスは挨拶で、セックスは食事。

身を以てそう教えてくれたけど、僕は全然興味が持てなかった。

あの人が僕にもとめたのは子供としての愛情じゃなくて、価値ある成果だった。

知らない男に愛を紡ぐあの口で、勉強しろ勉強しろってうるさく言ってた。

面倒な女だな。

そう。面倒くさい人だよ。

でも、男と睦み合ってる時の顔は嫌いじゃなかった。だから、母親のことはいつも見てたよ。

 まだ甘ったるい味が抜けない口の中に、タピオカミルクティーを無理矢理流し込む。

そうやって母親の恋愛を眺めているうちに、僕も誰かと同じことをしてみたいって思った。

特別好きな相手がいる訳じゃなくて、単なる好奇心ってやつだった。

でも、女の体を見慣れちゃったせいか、女子のことを全然そういう目で見られなかったし、触られると鳥肌が立った。かといって、男をそういう目で見ることもできない……っていうか、発想自体がなかったかな。

だから結局、君と出会うまで未経験のままだった。

その割りに、処女らしからぬ振る舞いだったがな。
見るお手本が身近にいたからね。
一気に飲み干し、空っぽになった缶をつぶすと、僕は再び瞳の顔を覗き込んだ。
それで、瞳は?
何だ。
瞳も色々教えてくれる流れだと思ったんだけど、違う?
知るか。
瞳、演技抜けてる。

 ぷ、と噴き出すと、僕は間髪いれずに瞳の唇を奪った。

 特に理由はなかった。強いて言うなら、そこに唇があったからしただけ。

 触れるだけですぐに離れた後も、至近距離からじっと瞳を見つめてみる。

その顔、止めろ。
だから、演技抜けてるってば。
……ハルを思い出す、から、止めろ。
 躊躇いがちに吐き出されたその台詞に、僕はまた背中がぷるっと震えるのを感じた。
ハルに見える? 僕。
……そう言ったら嫉妬してくれるか?

 ふ、と辛うじて唇の端を上げてみせたのは、ようやく演技を思い出せたからかな。

 けど、強ばった鳶色は隠せていない。

うん、たくさん嫉妬したいから、僕のこと、ハルだと思ってもいいよ。

 挑発するように目を細めて、瞳の左手に自分のそれを重ねる。それを合図に、今度は瞳の方から噛み付くようなキスをしてきた。

 相変わらず乱暴で、甘さの欠片もない。でも、タピオカミルクティーで麻痺した口にはちょうどいい。

「瞳……そろそろ、キスだけじゃ物足りねーんだけど」

 キスの余韻を壊すように、僕は瞳にそう囁く。

 面白いくらい表情を強ばらせた瞳だったけど、すぐに甘ったるい笑みを浮かべて、

俺もだ、ハル
 愛おしげに囁いて、瞳が僕の体を抱き寄せた。

 あの乱暴なセックスとは真逆の、壊れ物を扱うかのような優しい抱擁。

 ……きっと、本来なら、ハルのためだけのものだ。


 潰れた空き缶を更に強く握りしめながら、僕も甘えるように瞳の右肩口に顔を埋めた。

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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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