2-8 初めてのワガママ

文字数 4,111文字

は〜、つっかれたー! 

甘いもん食いてーな。コンビニ、寄って行ってもいい?

……うん。
何にしよっかな〜。

あんまんでもいいけど、ドーナツもいいな。チョコがたっぷり掛かった奴もいいけど、余計なもんが何もついてないドーナツが食いてー気分かも。

そういうの、たまに食いたくならねー?

……そうだね。

 二歩前を行っていた実ちゃんが、不意に振り返る。

 何か言いたげなその視線に僕も思わず立ち止まったけど、いつもみたいに心臓が飛び跳ねることはなかった。

 むしろ、手でぎゅうって握られてるみたいに、胸の奥が痛い。


……ほんと、今日は疲れたよな?
うん、色々ありすぎて、お腹いっぱいって感じだよ。
お腹いっぱいってお前……グラタン、半分以上残してただろ。
美味しかったから、最後まで食べたかったんだけどね……実ちゃんが奢ってくれるなんて、超レアだったのに。
それじゃあまるで、俺がお前に奢ったことねーみたいじゃんか。
奢ってくれたこと、あるっけ?
……よく考えたら、なかったな。

 ばつの悪そうな顔で頬を掻く実ちゃん。

 その顔を見たら、僕はちょっとだけ和んだ。


あのさ、小晴。
ん?
瞳に何かされたり、嫌なこと言われたりしたんなら、変に遠慮しないで言えよな。

あいつがお前にちょっかいを出してきたのって、どう考えても俺のせいだし。

それは……。

俺と瞳はもう別れたんだ。

だからもう、瞳の前で恋人のフリはすんな。

むしろ、瞳は気づいてると思ってるんだけどな、お前と俺がマジで付き合ってないってことくらい。カップルっぽく見えないしな、当然だろうけど。

今日、きっぱり言っちまえば良かったな。

あれは嘘だったって――。

僕、瞳さんに今日言ったんだ。

僕は本気で実ちゃんとお付き合いしてますって。

そう言ったこと、僕は後悔してないから。

 実ちゃんの言葉を遮り、僕はそう口に出していた。
……小晴。
実ちゃんと、約束したことだから。

その約束が実ちゃんの単なるワガママでも、僕がやるって決めたことだから。

 僕は両手に拳を作り、じっと実ちゃんを見つめる。

 実ちゃんは目を見開いてしばらく固まっていたけど、やがてふっと短く息を吐いた。

ありがとな、小晴。
っ!
あんな情けない茶番に、ずっと付き合ってくれて。

俺が瞳に振られたあの時も、最後まで一緒にいてくれて、すげー嬉しかった。

俺、お前っていういい従兄弟に恵まれて、すげー幸せだな。

(……どうして)
今日も、お前がいてくれて、マジで良かったぜ。

多分一人だったら、あいつらのラブラブな空気にいたたまれなくなって、その場から逃げてたかもしれねえ。

でも、お前がいたから……瞳に「未練なんてない」ってはっきり言えたんだと思う。

だから、ありがとな。すげースッキリしたから、俺。

(どうして、そんなに明るく笑うんだよ……っ! 本当は、泣きたくなるくらい悲しいくせに、何でいつもみたいに僕に愚痴らないの? 悲しいよって女々しく泣かないの?)

 大好きな実ちゃんの笑顔なのに、見てるのが辛い。

 実ちゃんがどんどん僕から離れて行ってしまう気がして、僕の方が泣きたくなる。


つーかさ、やっぱりお前、あんだけじゃ足りないだろ。

今日はとことん奢ってやるから、付き合えよ! 

コンビニだけじゃなくて、牛丼食べに行こうぜ、牛丼!

 実ちゃんが勢い良く踵を返す。

 だけど一瞬、僕は実ちゃんの横顔が微かに歪んでいるのを見てしまった。

 その途端、僕は実ちゃんの背中に向かって駆け出していて。

っうお?! な、何だよっ?!

 驚いた実ちゃんの顔が、僕の目と鼻の先にあった。

 衝動的に掴んでしまった、実ちゃんの右手。その指先から伝染したみたいに、僕の体がじわじわと熱を帯び始める。

 全力でダッシュしたみたいに心臓がどくどくうるさい。

 頭がくらくらするし、呼吸も荒い。

 でも、僕はそんな自分の反応を無視して、口を開いた。


実ちゃん、僕とデートして。
は? デート?
そう。今から、デートして。
い、今から? つか、練習は、今度の日曜日じゃ……。
そんなに待てないよ! 

今じゃなきゃ、ダメなんだっ!

 僕は首を横にぶんぶんと振って、掴んだ実ちゃんの右手に更に力を込めた。

 これ以上、実ちゃんが遠ざかっていかないように。


いてっ?! いてーよ、馬鹿小晴! 力み過ぎだから!
嫌だ。
い、一旦離せって、馬鹿! マジでいてーからっ!
実ちゃんが「うん」って言うまで、離さない。
何だよ、そのガキみてーなワガママはっ! お前らしくな……。
……。(ぎゅ〜っ)
っ分かった! 分かったから!

そんなに握らなくても、逃げねーから!

だから、ちゃんと自分の口で訳を話してくれ、小晴。

 実ちゃんのその言葉に、僕はそっと力を抜いた。

 実ちゃんの右手を掴む僕の指先は、かたかた震えてる。

 でも、落ち着いて伝えなきゃ。


この前の練習みたいな、お遊びみたいなデートじゃなくて……瞳さんとしていたようなデートを、僕としてよ。
……お前、やっぱり瞳に何か変なこと、吹き込まれただろ。

だからそんなこと言って……。

違う! 僕は本気で実ちゃんとデートがしたいんだよっ!

 ずいっと顔を寄せた僕に、驚いた実ちゃんが一歩後ろに下がる。


僕、実ちゃんのことは誰よりもよく知ってるつもりだった。

小さい頃からずっと一緒にいたから、楽しいことも悲しいことも、何でも共有してるつもりだった。

恋愛のことも、同じように思ってたんだ。

初恋すらまだの僕には未知の世界だけど、実ちゃんが何でも話してくれたから、一緒に恋をしているような気持ちになれた。

今までの実ちゃんの恋人たち以上に、僕は実ちゃんのこと、見てきたんだ。

何でも、知っている自信があったんだ……。

 胸の内からわき上がる思いを吐き出せば吐き出す程、僕の体温が上昇する。

 耳の裏から通り抜ける夜風は冷たいけど、僕の内側の熱を冷ますにはまだまだ足りない。

でも、瞳さんと話していて、僕はその自信が急に消えちゃった気がしたんだ。

瞳さんから「お前の知らないハルのこと、教えてやる」って言われた時、体が震えるくらい動揺しちゃって……。

恋人の目線で見る実ちゃんを、実ちゃんの一方的な話しか聞いていない僕は知らないって、気づかされたんだ。

……そんなの、当たり前じゃんか。

お前は俺の話しか聞いてねえし、俺の元カレたちと特に面識もなかったし。

知ってる訳がねーじゃんか。

うん、そうだよね。

でも、僕は……知りたかったんだ。

瞳さんの目に映っていた『恋人としての実ちゃん』のこと。


瞳さんから聞いた『恋人としての実ちゃん』の話、あまりにも刺激が強すぎて、すごくドキドキしたんだ。

同時に心の中がモヤモヤして……僕は、実ちゃんのことを知ってるつもりで、よく知らなかったのかな、なんて考えちゃったりして。

悲し……ううん、悔しかった。

 悔しい。そう口に出して、僕ははっと気がつく。

 インタビューの最中、態度を豹変させた瞳さんの話を聞いた時や、一方的な約束を言って去っていた背中を見送った時。僕の中で、熱く滾っていた感情がある。

 あの時はよく分からなかったけど、今ようやく分かった。

 あれは悔しさだったんだ。

実ちゃん、僕、悔しいんだ。

瞳さんが知っている実ちゃんを、僕が知らないことがすごく悔しい。

だから、僕、ちゃんと知りたいんだ。

実ちゃんのこと……瞳さんしか知らない実ちゃんのこと。

次、瞳さんに会ったら、僕は貴方以上に実ちゃんのことを知ってるんだって、自信持って言える自分になりたい。

恋人は嘘でも、そのことだけは本当にしたいんだ。

こんなの、自己満足だって分かってる。

でも……どうしても、知りたいんだ。実ちゃんが、瞳さんに……恋人に見せていた姿を。それを、教えて欲しい。

……っ。
……だめ、かな。

 不意に視線を逸らしてしまった実ちゃんに、僕は不安を覚えて、また彼の右手をぎゅっと握ってしまう。

 でも、実ちゃんの口から出て来たのは、「痛い」じゃなくて。


……お前、さ。それ、どういう意味で言ってんの?
どういう意味、って?
っ……恋人としての俺とか、何でそんなに知りたいんだよ……ってこと。
 相変わらず視線を向けないまま、実ちゃんががしがしと頭を掻く。
うーん……多分、僕が、実ちゃんの従兄弟だから、かな。

小さい時から兄弟のように育って、お互いのことなんでも分かってきたつもりが、知らなかったことがあったなんて衝撃的だったから……。

……なんだ。
実ちゃん?
 今度はぴたりと動きを止めてしまった実ちゃんに、僕は首を傾げる。
っだ、だよな! 

すげービビった! 俺は、てっきりお前が俺のことを……。

え、な、何? 何か他にあるの?
いや、別に何もねーよ。

そうだよな〜、小晴だもんな。そんなこと、ある訳ないもんな、うんうん。

 今度はさっきとうってかわって、明るい笑顔で一人頷いている実ちゃん。

 口元が引きつっているように見えるのは、気のせいかな。


まあ、俺も腹減ったし、お前もあんまり食えてないし、メシついでに付き合ってやってもいいぜ。

時間が時間だから、行く場所は限られるけど。

ほんと?
ああ。今日は色々迷惑かけたし、折角お前がやる気だしな。

けど、マジで平気か? 瞳と付き合ってた時みたいなデートって、お前の苦手なことばっかりだぞ? 手を繋ぐなんて、甘っちょろいレベルじゃないけど。

ベタベタするの好きだし、されるのも好きなんだよね。

分かってるよ。

でも、知りたいから。

そうじゃないと僕、どうしても納得できないんだ。

……ほんと、そういう変に頑固なとこ、変わらねーな。

後にも先にも、お前だけだぞ、きっと。そんな、変なこと知りたい奴なんて。

 僕が掴んでいた実ちゃんの手がするり、と抜け出した。

 かと思ったら、今度は僕の手を掴んで、指を絡ませてきた。

 それだけで、相変わらずびくりと震えてしまう僕。


 でも、今日はそんなことでいちいち怖じ気付いていられない。

 きゅっと唇を噛むと、実ちゃんの右腕にぎゅっと抱きついた。


おわっ!
……こっちの方が、それっぽいかなって思ったんだけど……違う?
お前、結構チャレンジャーだよな……限界来たら、ちゃんと言えよ?
が、頑張る。

 ぐっと体に力が籠もる僕に、実ちゃんは苦笑を浮かべながら頭をぽんぽん、と撫でてくれた。


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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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