4-6 ゲームオーバー
文字数 3,070文字
帰宅ラッシュで賑わう某駅の中央改札口。
思えば、実ちゃんとフリを始めたあの日も、僕はここにいた。
今みたいに目の前をたくさんの人が通り過ぎて行っていて、人混みを避けるために僕は切符売り場に追いやられていたんだっけ。
あの時は緊張と不安でガチガチだった。
でも、今、僕の中を占めているのはそのどちらの感情でもなかった。
小晴……っ!
いつもより覇気のない声だったけど、雑踏の中でもすぐに分かった。
改札口からこっちに駆け寄ってくる実ちゃんの表情に、いつもの明るさはなかった。眉を下げて、今にもべそをかきそうな、不安でいっぱいの顔だ。
そう言ったきり、僕らは押し黙った。実ちゃんの視線は僕から離れ、混雑する駅の出入り口へ向けられている。
子供の頃、ケンカした時はすぐに僕が折れてたから、実ちゃんがしおらしい態度を取ることなんてなかった。
……ああ、そもそも、僕の方からあんな風に喧嘩別れするのは初めてだったな。怒って「もうお前なんか知らねー!」って言うのは、実ちゃんだけだった。
なんて、そんな話、今思い出してもしょうがないのだけれど。
唇をきゅっと噛んだかと思うと、ようやく実ちゃんの視線が僕の方へ向けられた。
束ねた後ろ髪がぴょこん、と飛び跳ねるくらい、実ちゃんが深々と頭を下げた。
実ちゃんが、のろのろと顔を上げる。
潤んだ赤い目は、瞳さんに別れを告げられた時と同じように、触れたらすぐにぽろりと涙が零れそうだった。
お前が『恋人のフリ』してくれてることって、俺にとって支えになってるんだ。瞳のこと、変に引きずらないでいられたのは、お前が特別な存在で傍にいてくれたからこそだって思ってる。
お前には本当に感謝してるんだ。これは嘘とかじゃなくて、マジだからな?
これからは、仕事のこともちゃんと正直に話すようにするし、もうお前のこと、ないがしろにしたりしないから……。
だから――。
僕が1歩近寄ると、実ちゃんが怯んだように1歩後ずさりした。
いつもだったら逆なのにね。笑いたいけど、全然笑えないや。
僕ね、実ちゃんとはずっとずっと、変わらない関係でいたいんだ。
小さい頃からずっと変わらない関係で……性格は正反対だけど、一緒にいると楽しい従兄弟関係のままでいたい。お互いにおじいちゃんになるまでずっとずっと……実ちゃんが恋に仕事にキラキラする姿を、応援している僕であり続けたい。
そう願っているのに、『恋人』なんて設定をいつまでも続けていたら、変でしょ?
お互いに、新しい恋に向き合えないよ。
ニッコリ笑って、口角もきゅっと上げて。いつもより高めの声を意識する。
大丈夫。しおらしい実ちゃんはいつもの実ちゃんじゃない。だから、僕のヘタクソな演技だって、きっと気づかないでいてくれる。
それでいい。
確かにね、たくさん勉強になったことはあったよ。デートとか、キスとか。実ちゃんと『練習』するまでは実ちゃんの恋バナでしか知らない世界だったし。
でも、本当はそういうのに『練習』って必要ないでしょ。そういうのは本当に『恋愛的な意味で』好きな人としてこそじゃない?
実ちゃんのことは従兄弟として好きだし、デートやキスも嫌な気持ちにはならなかったけど……『練習』としては、もう十分だよ。あとは、本当に僕が好きになった人とするから、いつまでも付き合ってくれなくても大丈夫だよ。
だから、『恋人ごっこ』はおしまい。僕たちは、フツーの従兄弟に戻ります。
……そうしよう?
実ちゃんが唇をキツく噛み締め、ぶるぶると小刻みに震えている。
悲しそうな顔をするのは、『恋人』っていう都合よく甘えさせてくれる相手がいなくなるから?
そうだよね、だって、実ちゃんが僕を恋愛対象として好きになるなんてあり得ないから。
実ちゃんの中で、僕はいつだって甘やかしてくれる従兄弟。それ以上でも、それ以下でもない。今に始まった話じゃなくて、子供の頃からずっと続いている。
この先も、ずっと変わらない。
でも、僕にとっての実ちゃんは違う。
だからこそ、僕はこの関係をもう続けたくないって思った。
『従兄弟』と言う関係を守るために、実ちゃんをこれ以上好きになりたくない。
僕、ちゃんと『従兄弟』として、実ちゃんのこと、応援するから。電話もするし、こうやって直接会って遊んだり、愚痴を聞いたりするのも、今まで通りするよ。ミラオニのゲームも、また一緒にやろう。
でも、デートやキスは、もうしない。実ちゃんのこと、『恋人』だって言わないから。
実ちゃんも、僕のこと、恋人扱いしなくていいからね。
急に、言葉が出なくなってしまった。
しまった、ここまで順調に話せていたのに。こんなところで詰まったらダメ。本心を悟られたら、ダメだ。
声を発した途端、僕の目尻からじわあ、と熱いものが溢れ出てしまった。
ああ、ヤバい。ここで泣いたら、これまで僕が言ってきたことが台無しになっちゃう。
折角決めたのに、終わらせることができない。
ああ、僕はまだまだダメだなあ。編集長にも指摘されたのに。物事を客観的に受け止められていないって。
ぐっと拳を作ると、僕は目尻から込み上げるものを振り払うように叫んだ。
言い方がキツくなった。でも、押し切らないと。
堪えきれずに一筋、涙が流れたけどしょうがない。
ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしながら、僕は実ちゃんを見つめる。
涙で歪んだ視界のせいで、実ちゃんの表情が見えにくい。涙のせいかな、一緒になって泣いているようにも見える。
ぽん、と頭に乗せられたぬくもりと、トーンの落ちた声。
ぐじゅ、とまた鼻を鳴らした僕に、涙でぼやけた実ちゃんがぽつり、と呟いた。