4-6 ゲームオーバー

文字数 3,070文字

 帰宅ラッシュで賑わう某駅の中央改札口。


 思えば、実ちゃんとフリを始めたあの日も、僕はここにいた。

 今みたいに目の前をたくさんの人が通り過ぎて行っていて、人混みを避けるために僕は切符売り場に追いやられていたんだっけ。

 あの時は緊張と不安でガチガチだった。

 でも、今、僕の中を占めているのはそのどちらの感情でもなかった。


小晴……っ!

 いつもより覇気のない声だったけど、雑踏の中でもすぐに分かった。

 改札口からこっちに駆け寄ってくる実ちゃんの表情に、いつもの明るさはなかった。眉を下げて、今にもべそをかきそうな、不安でいっぱいの顔だ。


……来てくれてありがとう。急に呼び出してごめん。

い、いや、俺こそ……ありがとな、メールくれて……。

 そう言ったきり、僕らは押し黙った。実ちゃんの視線は僕から離れ、混雑する駅の出入り口へ向けられている。


 子供の頃、ケンカした時はすぐに僕が折れてたから、実ちゃんがしおらしい態度を取ることなんてなかった。

 ……ああ、そもそも、僕の方からあんな風に喧嘩別れするのは初めてだったな。怒って「もうお前なんか知らねー!」って言うのは、実ちゃんだけだった。


 なんて、そんな話、今思い出してもしょうがないのだけれど。


と、とりあえず、SHIWASU行くか? 

俺、バイトまで少し時間あるから、メシ、一緒に食ってもいい……。

今日は家で晩ご飯食べるっておばあちゃんに言ってるから。

だから、ここでいいよ。

そ……か。

 唇をきゅっと噛んだかと思うと、ようやく実ちゃんの視線が僕の方へ向けられた。

っ小晴、この前はごめん!

 束ねた後ろ髪がぴょこん、と飛び跳ねるくらい、実ちゃんが深々と頭を下げた。

俺、考えなしに色々言って、無神経にお前のこと傷つけちまって……あれから冷静になって、滅茶苦茶後悔したんだ。


お前はずっと、俺のために『恋人を演じてくれてた』だけなのに、あの言い方はねえよなって……。

事務所とのことも、お前は心配してくれてただけなのに……俺、ひでえ言い方しかできなかったよな。


ほんと、ごめん……。

 実ちゃんが、のろのろと顔を上げる。

 潤んだ赤い目は、瞳さんに別れを告げられた時と同じように、触れたらすぐにぽろりと涙が零れそうだった。

お前が『恋人のフリ』してくれてることって、俺にとって支えになってるんだ。瞳のこと、変に引きずらないでいられたのは、お前が特別な存在で傍にいてくれたからこそだって思ってる。

お前には本当に感謝してるんだ。これは嘘とかじゃなくて、マジだからな?


これからは、仕事のこともちゃんと正直に話すようにするし、もうお前のこと、ないがしろにしたりしないから……。


だから――。

実ちゃん。

 僕が1歩近寄ると、実ちゃんが怯んだように1歩後ずさりした。

 いつもだったら逆なのにね。笑いたいけど、全然笑えないや。


もう、おしまいにしよう、実ちゃん。

……え。

色々、考えたんだけどさ。

やっぱり、僕たちは嘘でも『恋人』関係だなんておかしいよ。

僕ね、実ちゃんとはずっとずっと、変わらない関係でいたいんだ。

小さい頃からずっと変わらない関係で……性格は正反対だけど、一緒にいると楽しい従兄弟関係のままでいたい。お互いにおじいちゃんになるまでずっとずっと……実ちゃんが恋に仕事にキラキラする姿を、応援している僕であり続けたい。


そう願っているのに、『恋人』なんて設定をいつまでも続けていたら、変でしょ? 

お互いに、新しい恋に向き合えないよ。

 ニッコリ笑って、口角もきゅっと上げて。いつもより高めの声を意識する。


 大丈夫。しおらしい実ちゃんはいつもの実ちゃんじゃない。だから、僕のヘタクソな演技だって、きっと気づかないでいてくれる。

 それでいい。

確かにね、たくさん勉強になったことはあったよ。デートとか、キスとか。実ちゃんと『練習』するまでは実ちゃんの恋バナでしか知らない世界だったし。

でも、本当はそういうのに『練習』って必要ないでしょ。そういうのは本当に『恋愛的な意味で』好きな人としてこそじゃない?

実ちゃんのことは従兄弟として好きだし、デートやキスも嫌な気持ちにはならなかったけど……『練習』としては、もう十分だよ。あとは、本当に僕が好きになった人とするから、いつまでも付き合ってくれなくても大丈夫だよ。


だから、『恋人ごっこ』はおしまい。僕たちは、フツーの従兄弟に戻ります。


……そうしよう?

おしまい、って……っ。

 実ちゃんが唇をキツく噛み締め、ぶるぶると小刻みに震えている。


 悲しそうな顔をするのは、『恋人』っていう都合よく甘えさせてくれる相手がいなくなるから? 

 そうだよね、だって、実ちゃんが僕を恋愛対象として好きになるなんてあり得ないから。

 実ちゃんの中で、僕はいつだって甘やかしてくれる従兄弟。それ以上でも、それ以下でもない。今に始まった話じゃなくて、子供の頃からずっと続いている。

 この先も、ずっと変わらない。


 でも、僕にとっての実ちゃんは違う。


 だからこそ、僕はこの関係をもう続けたくないって思った。

 『従兄弟』と言う関係を守るために、実ちゃんをこれ以上好きになりたくない。


僕、ちゃんと『従兄弟』として、実ちゃんのこと、応援するから。電話もするし、こうやって直接会って遊んだり、愚痴を聞いたりするのも、今まで通りするよ。ミラオニのゲームも、また一緒にやろう。


でも、デートやキスは、もうしない。実ちゃんのこと、『恋人』だって言わないから。

実ちゃんも、僕のこと、恋人扱いしなくていいからね。

……お前はずっと、嫌だったのか?

デートしたり、キスしたりすること? 

さっきも言ったけど、嫌ではなかったよ、でも、違和感があ……。

違和感じゃない! 

俺の『恋人』でいることが、本当はすげー嫌だったのかどうかって聞いてるんだよ!

 急に、言葉が出なくなってしまった。


 しまった、ここまで順調に話せていたのに。こんなところで詰まったらダメ。本心を悟られたら、ダメだ。


俺は、ずっとお前に嫌なことをしてたのか? 

たくさん、傷つけてたのか?

っ違……!

 声を発した途端、僕の目尻からじわあ、と熱いものが溢れ出てしまった。


 ああ、ヤバい。ここで泣いたら、これまで僕が言ってきたことが台無しになっちゃう。

 折角決めたのに、終わらせることができない。

 ああ、僕はまだまだダメだなあ。編集長にも指摘されたのに。物事を客観的に受け止められていないって。


 ぐっと拳を作ると、僕は目尻から込み上げるものを振り払うように叫んだ。


っ嫌だよ! もう、実ちゃんと『恋人』ごっこなんかしたくない!

 言い方がキツくなった。でも、押し切らないと。

 堪えきれずに一筋、涙が流れたけどしょうがない。


もう、嫌なんだよ、実ちゃん。『偽の恋人』なんていう関係でこれまでの僕たちが滅茶苦茶になっちゃうのは、もうたくさんなんだ。

僕は、こんな風になるために、実ちゃんの『一生のお願い』を受け入れた訳じゃない。

こ、はる……。

お願いだから、もう、おしまいにしてよ。これ以上はもう……僕は耐えられないよ。


僕からの一生のお願い。聞いてよ。この、1度だけでいいから……。

 ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしながら、僕は実ちゃんを見つめる。

 涙で歪んだ視界のせいで、実ちゃんの表情が見えにくい。涙のせいかな、一緒になって泣いているようにも見える。

……分かった。

 ぽん、と頭に乗せられたぬくもりと、トーンの落ちた声。

 ぐじゅ、とまた鼻を鳴らした僕に、涙でぼやけた実ちゃんがぽつり、と呟いた。

今まで、ごめんな……。

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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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