碧人番外編 〈ウラ・イミテーション〉4.いらだち

文字数 3,534文字

……ん……。

 瞼を持ち上げると、オフホワイトの天井が見えた。

 ゆっくりと体を起こせば、するり、と肩から布団が滑り落ちる。下着すら身に着けていない自分の体は、相変わらず面白みのない薄さと味気ない白さで構成されている。

 今までと違うとすれば、乳首のすぐそばの肌や太ももの内側に付けられたキスマーク。フィクションでは色めいたものとして表現されがちだけど、実際つけられると痛々しさにしかない。

 耳を澄ませば、シャワーの音が聞こえる。その密やかな音を聞きながら、僕が思い浮かべたのは昨晩の忌々しい記憶だった。

(昨日は僕も瞳も遅くまで仕事で、ホテルに入る前は瞳もタクシーでうたた寝してたくらいなのに。あんまりにも疲れたから僕もすぐに寝たかったのに……結局3回も付き合わされた
 1つ1つの記憶を辿るうちにふつふつとわき上がってきた怒りに、僕は思い切り枕を投げ飛ばした。
(1晩体を繋げただけで、何でその後も瞳に付き合わなきゃいけないのさっ!!)







 ホテルを後にし、そのまま解散……としたかったところだけど、今日は2人とも同じスタジオで撮影の仕事が入っていた。

 緑色のブレザー姿の瞳がカメラに向かって柔らかな笑顔を浮かべている。映画専門誌に載せるピンナップらしい。

 仕事柄要求されている表情と立ち振る舞いとは言え、とてもじゃないけど、明け方までズッコンバッコンやってた人物と同一とは思えない。

 スタッフたちが瞳に見惚れているのを冷ややかに見つめ、僕はホテルのベッドから燻っている怒りを持て余していた。




 あの茶番から1週間が経った。

 瞳をベッドで挑発した時は、まさかそれ以降毎晩セックス漬けになるなんて思わなかった。

 最初のうちは新鮮味もあったし、僕も望んでしたことだから良かったけど、今はもう、一方的な暴力を受けてる気分だ。だから、昨日は付き合え切れなくなって、ついに「嫌だ」って答えたんだけど、半ば強引に連れて来られてやられたんだよね。抵抗も面倒だったから付き合ったけどさ。

 瞳は優しいセックスなんてそもそも知らないんだろうな、と思う。

 そう考えると、僕を初めて抱こうとした時、一体どう抱くつもりだったのか、ほんの少しだけ興味が……いや、無理だろうな。優しくするフリをして、すぐに我慢が出来なくなってあの獣みたいなセックスに発展してただろう。

 ハルの時も同じノリだったんだろう。だとしたら、ハルはかなりのドMだ。あの瞳と1年以上付き合えるなんて、尊敬してしまいそうになる。

あっ。

 聞き覚えのある声に振り向くと、目をまん丸に見開いたハルが立っていた。

 仕事、にしてはラフな格好だ。紙袋を抱えているから、事務所のお使いにでも来たんだろうか。彼は本当にそういう事務仕事ばかりしているから。



 会うのは、あの茶番劇以来。

 挨拶の1つでもしようと口を開いたら、苦虫を噛み潰したような顔で僕を睨んで、踵を返してしまった。

瞳のこと、見に来たんでしょ?

見て行かなくていいの?

道間違えただけだよ。
 ぶっきらぼうな返答をする横顔に、瞳への未練が微かに浮かんでいる。

 この前の時のような勢いはなくて、随分しおらしくなったものだ。

 それくらい、ハルは瞳のことを本気で思っていたんだ。あの、ろくでもないセックスをする瞳のことが。


あのさ、ハル。

僕、君のこと、誤解していたかも。

は?
君も、色々大変だったんだね。
は?! ふざけんなテメー喧嘩売ってんのか?!

 つばを飛ばす勢いで食って掛かってくるハルを見て、僕はうわ、と思わず呟いた。

 そうだ、ハルはこういう奴だった。あの乱暴なセックスに付き合えるハルのこと尊敬できるかもって思ってたけど、前言撤回しよう。

あんまり騒ぐと瞳に気づかれるけど?
……ちッ!

 盛大な舌打ちと共に踵を返したハルは、派手な足音を立てながら大股で去って行った。

 あのリアクションから察するに、まだ瞳のことは振り切れてないみたいだ。例の『本命』とも、関係を解消したのかもね。ハルのことを本気で好きな彼は結局不憫なままか、どうでもいいけど。


 僕も、いい加減面倒くさがらずにこの不毛なセックス漬けの日常を何とかしたいところだ。体の相性はいいし、たまにくらいなら慰めに付き合ってあげなくもないけど、毎日はさすがに嫌だ。

 もうじき大学のテスト期間に入るし、今日は何が何でも外泊を阻止しよう。

 スタッフから声をかけられ、僕はお愛想の笑みを浮かべて撮影用のセットへ向かった。




 日曜日。僕は混み合う駅の改札口で佇んでいた。

 ここに来た理由は1つ。瞳に呼び出されたから。セックスの相手をしろと。

 テスト期間に入るからそういう誘いは自重してって伝えた後、3日は誘われることがなくてようやくホッとしたのに、昨日の夜になっていきなり「やらせろ」って迫ってきたんだ。

 テストという言い訳を出してみたけど、「3日も自重してやったんだから十分だろう」という何とも斜め上の言葉が返ってきて、頭が痛くなった。

 もちろん、最初は頑として断るつもりだったんだけど、それじゃあ面白くないな、と思う自分もいて。

 

ジャネルの新作のリュック買ってくれるならいいよ。

 って前々から買おうと思っていた高級ブランドのリュックを条件に出したら、あっさりと承諾するものだから怒りを通り越して呆れてしまった。


 最初こそ僕を抱くことに抵抗を示していたのに、1度ヤっただけで止めどなく性欲をぶつけてくるの、どうかと思うよ。あと、最中に何度もハルの名前を呼んだり、僕はほとんど性的なものを感じない乳首をやたらめったら噛んでくるのも勘弁して欲しい。やっぱり瞳だってハルのこと好きなんじゃないか。ハルといい、何なのこの人たち。


 なんて考えてたら、何だかイライラしてきた。リュックだけじゃ割に合わないな。うんと高くて美味しいものでも奢らせようかな。

 ふん、と鼻を鳴らして、改札口を睨みつけるように見つめていると、

遅い!!

 聞き覚えがありすぎるその怒声に、僕は思わず、と声を漏らす。

 人混みに身を潜めつつ、そっと声のした方を見ればいた。あの特徴的な赤毛とつり目はハル以外の何者でもない。

 その彼の怒りを一身に受け止めているのは、あの時の『本命』くんだった。

 ……待って、あの人何であんなに野暮ったい格好してるの? 帽子はギャグが何か?

 彼がぺこぺこと頭を下げたり、目をまん丸に見開いたりする度、ハルが何やらわーわーと怒っている。

 怒ってはいるけど、僕には生き生きと笑っているようにも見えてしまった。

 前、スタジオで出くわした時は不満そうでいかにも失恋引きずってますって雰囲気だったし、途方に暮れているようにも思えたのだけど、今日のハルは別人みたいに楽しそうだ。


 もしかして、あの後『本命』くんとハルは本当に付き合うことにしたんだろうか。


 だけど、もしそうならあのSHIWASUでの茶番劇から少し間が空きすぎているから、変なタイミングだと思う。付き合うなら、どう考えてもあの直後だと思うんだけど。

ま、待ってよお、実ちゃん!

 あれこれと考察している間に、ハルが『本命』くんを引きずって出口へ向かう。

 行き先は大型ショッピングモール。僕と瞳が向かう予定のホテル街とは真反対だから、彼らの目的はデートってところかな。

 ……そっか。恋人がすることはセックスだけじゃないんだっけ。


碧人。

 背後から聞こえてきた待ち人の声に、僕ははっとして振り返った。

 普段と変わらない姿だったハルと違って、瞳は伊達眼鏡にマスク、モノトーンのジャケット姿でその顔も出で立ちも隠している。僕も眼鏡を掛けて、服装もモデルとして着用している可愛い系統じゃなく、シンプルなもので纏めているけど、瞳程がっちりはしない。

遅い。
時間通りだ。

 確かにその通りだけど、悪びれもない態度がムカつく。

 けど、瞳はお構いなしに踵を返して、ホテル街へ向かう。

 その右腕を僕は思い切り引っ張って止めた。

何だ。
リュックはいらないから、代わりに僕とデートして。
何?
デート。恋人はするものなんでしょう? 付き合ってくれないなら、今日はヤらない。
いつからお前と俺は恋人になったんだ。

それはもうとっくに終わった茶番だろう?

けど、ハルはまだ君を引きずってる。下手に僕らが付き合ってないってバレちゃったら、何かと面倒なんじゃない?

だから、デートの1つでもしておけば、ハルに惚気る演技がよりリアルにできると思って。

適当な嘘でもついておけばいいだろ。
僕は知りたがりなんだよ。知ってるでしょ? 

さっきも言ったけど、条件に乗らないなら、僕、帰るから。

……チッ。
 振り返った瞳の不機嫌そうな顔を見て、僕はようやく自分の胸の奥がすかっとしたような気がした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色