6-2 君の全てを受け止めたい!(物理)

文字数 4,275文字

……ただいま。
にゃっ!

 自分でもあからさまだと思うくらいテンションの低い声で自室のドアを開けると、まぐろがぴょん、と飛び出してきた。

 おばあちゃんは寝てる時間だし、お母さんは例によって書斎に缶詰になるって今朝宣言してたから、構ってくれる相手に餓えてたんだろう。

 僕の周りをくるくる、と回ってにゃあにゃあと甘い声で鳴くまぐろを、よしよし、と撫でる。満足げに喉を鳴らすその姿が可愛すぎて、僕は思わずその小さな体を抱き上げた。

にゃっ?!

 「そこまでは求めてないよ!!」とばかりにまぐろが僕の頬をべしべしとパンチする。

 地味に痛いそれを静かに受け止めながら、僕は深々とため息を吐いた。

……足りない。
にゃ?
まぐろじゃ、物足りないよ〜〜!

 まぐろを抱えたまま、ベッドへ身を投じる。

 まぐろは素早く逃げて行ったけど、僕は構わずにベッドの上をごろごろと転がりながら唸って……うつ伏せになったところで、ぴたり、と止まった。

キスしたい。
にゃ?
抱きしめたい。
にゃ〜。
その先のことだって……したいよ。
……にゃ。
でもっ、体が言うこと聞いてくれないんだよ……手さえ繋げないってどういうことなの……。
 ため息を吐きながら、僕は自分の両手を見つめる。
もう、恋のドキドキを謎の動悸だなんてバカなことは全然考えてないのに……それに、今はちゃんと両思いになれたのになあ……。
本当の、恋人なんだよね……実ちゃんと……。
……へへへ。
 両手を見つめながらニヤニヤしていると、「しゃーっ!」と威嚇する声と一緒にべしべしと容赦ないパンチが左頬を襲った。
いだっ?! ちょ、爪立てないでよ! 

……あだっ、ごめん! 調子に乗りました! ニヤニヤしてる場合じゃないって、分かってるし、困ってるよぅ!

にゃっ!
 よし、とばかりに鳴いて、僕の目の前にやってきたまぐろ。その何か言いたげな円な目を見つめながら、僕はきゅ、と唇を噛んだ。
(原因は多分、僕にある。だから、僕が何とかしなくちゃいけないんだ。

でも……どうやって?)





 翌晩。日付が変わって間もない頃。

 今日は家に帰れないことが確定した僕は同じく残業組の渡辺くんと、自販機の前でつかの間の休憩を取っていた。

恋人に触りたいのに、触ろうとすると体が拒否する、ねえ。
いやあ、意外だわ。
何が?
だってお前、絶対AVとか見たことないだろ。

っていうか、オナニーって知ってるか?

えっ、ちょ、渡辺くん、僕のこと小学生以下だと思ってるでしょ!
シモいことに関してはそう思ってたけど。だってお前、エロ漫画でも真っ赤な顔で卒倒しそうになってたじゃん。
そっ、そうだけど……だ、だからって、興味がない訳じゃないんだからっ!

そのリアクションで、お前もちゃんと男だって分かったよ、悪かったな。

そうかそうか。恋人ができて、魚谷も健全な男の一面を見せるようになったか〜、いやあ、泣けるわぁ。
 ぐすん、と鼻を鳴らして、目頭を押さえる渡辺くん。いやいや、思い切りニヤニヤしてるじゃん!
もー、僕は真剣に悩んでるんですけど!
まあ、忙しい時ほどそういうことを考えがちだよな。

いいじゃん、全部終わったら、ご褒美にいちゃいちゃできるって考えると、頑張れそうじゃん?

……だから、イチャイチャがしたいけど、できないんだってば。

手を繋ごうとするとどっと冷や汗が出て、体が勝手に距離を取っちゃうし……。

うわ、それ、相手によっちゃ「何チキンぶっこいてんだ、この童貞」ってキレられそうだな。

しっかりしろよ、男なら彼女をちゃんとリードしろ。

そ、そうなんだろうけどさ。僕らの場合は相手の方が経験豊富だから……。

向こうも、僕にリードされる展開なんて、全然考えてないと思うよ。

お前なあ……。そんなんじゃ、結婚したら尻に敷かれる運命だぞ。
あ、はは……まあ、そうだね……。
でも、なるほどな。向こうが経験豊富ってんじゃ、変にプレッシャー感じるのも分かる気がするな。

否応無しに、元カレ共と比べられちまいそうだし。

うーん、プレッシャーかあ……確かに肩肘張りすぎてるのはあるかも。恋人になったからって、態度を変えるのもおかしな話だもんね。
そうそう。もっと気楽に考えろって。
……でも、この悶々はなかなか消えないしなあ……慣れて、ようやく触れるまでどのくらい掛かっちゃうんだか……それまでに愛想尽かされたらどうしようとか考えちゃうし……。

 何せ実ちゃんは、付き合ったら即体の関係を持ちたがるくらいスキンシップ大好きだし。

 それを我慢してまで僕のことを大切にしてくれるのは……気恥ずかしいけど、愛されている証拠だとも言える。

 でも、僕だって触りたいんだ。このままじゃ、やっぱりダメなんだよな。

 下向きに思考が行こうとしたその時、渡辺くんがぽん、と僕の肩を叩いた。

んじゃ、その悶々を利用して、荒治療してみたらどうだ。
へ?
何だかんだ言って、AV、どうせ見たことねーんだろ? これを機に、まずはAV童貞卒業してきたらいーじゃん。

一時的な悶々も解消できて、シミュレーションもできて一石二鳥だろぉ?

「え〜! 何それ、結局下ネタなアドバイスなのぉ?!」





 ……って、渡辺くんには言っちゃったけど、その1時間後、僕はドキドキしながらネットカフェの1室で、パソコンと向き合っていた。

(すごい、さすがインターネット。すぐに出て来たよ)
 『ゲイビデオ専門』の字面とポップな文体という取り合わせにドキドキする間もなく、ずらりと並んだいかがわしい広告とビデオの生々しいタイトルを目の当たりにし、一瞬目を瞑ってしまった。

 いやいや、何のためにここまで来たんだと自分を奮い立たせ、視聴したいタイトルを決めた。

(ヘッドホン、良し。コーヒー、良し。心臓の音……)

 背広を脱いで、ネクタイも外した後、僕は自分の胸元に手を当てる。

 どどど、とかつてない程に速いビートを刻む心臓を落ち着かせようと、僕は何度も深呼吸を繰り返した。

(だ、だいじょうぶ……じゃ、ないけど……これも、僕と実ちゃんのためだから……いずれ、僕らが乗り越えなきゃいけないことだし……むしろ、望んでしたいって思ってるんだから……)
 そう言い聞かせても、心臓のリズムは変わらない。仕方ない、あとは勢いに任せていこう!
……南無三っ!

 そう叫ぶと、僕はとある動画の再生ボタンをクリックした。





 僕が選んだ動画は『ぼくらのせいしゅん』というタイトルで、高校生の友達同士という設定のものだ。

 お互いがお互いに片思いをしていて、なかなか友達から抜け出せない様子が丁寧に描かれている。その焦れったさは僕自身にも覚えがあるものだったから、ついつい見入ってしまって。

 ようやく好き、と言い合った2人のシーンでは思わず涙ぐみ、鼻をすんすん鳴らしてしまった。

 別の用途で使うはずだったティッシュで目元を拭った時、そのシーンは前触れもなく訪れた。

(……え、ちょ……待って、何で2人とも真っ赤な顔でハアハアしてるの?

 僕の戸惑いをよそに、ネコポジションだと思っていた男の子がそのまま四つん這いになり、タチ……かなあと思っていた男の子にお尻を向ける。

 ……ちなみに、ここは校舎裏で、真っ昼間。ネコの子の下半身はいつの間にか丸出しだった。

(ええ、ちょっと待って、こんな真っ昼間で! 外で! いつ脱いだの、下ぁっ! 

あっ、ダメ、入っちゃ

 タチの子の、華奢な体躯に対して大きすぎるペニスが、ネコの子のお尻に擦り付けられた瞬間、僕はたまらず目を瞑った。

 でも、耳はイヤホンを差したままだから防ぎようがなく、ネコの子の高らかな喘ぎ声に全身がびくん、と震えてしまった。

 タチの子もタチの子で低いけれど、激しめに喘いでいて、僕の耳の中がものすごい状態になってしまった。

 両手で顔をしっかり覆ってから、指と指の間から何とか歯を食いしばって画面を見る。

 わあ、お尻がぷるぷる揺れてるし、立派なモノがじゅぽじゅぽ動いてる……。

(……今更だけど僕って、入れられる方、なんだよね。実ちゃんも前、そんなこと言ってたし、経験的にも考えると、リードなんてできる訳ないし……お尻、あんなに……弄られると気持ち良くなっちゃうものなのかな?)

 男優さんってすごい。ネコの子は見た目もとても可愛いけど、エッチな声も可愛い。

 僕もソッチだとしたら、僕もあんな声が出るってこと……いやいや、あんな可愛い声なんか出せる自信ないぞ……。

 少し落ち着いて考えられるようになってきた僕をよそに、画面の2人が初めてキスをした。もちろん、繋がったまま。


(いいな。キス……気持ち良さそう……)

 ちゅう、と2人のリップ音に誘われるまま、僕は自分の指をそっと唇に押し当ててみる。

 最後に実ちゃんとキスをしたのは、告白した時以来。まだ数週間しか経っていないけど……もう随分昔のことみたいに感じてしまう。

 ふにふに、と唇を押しながら、記憶の中のキスの感触を探す。

(告白した時はほんとにちょっと触れただけだけど……でも、もっと気持ちいいキスを、僕は知ってる。それも、実ちゃんが教えてくれたんだ
(唇の表面だけじゃなくて、舌も柔らかくて気持ちよくて、温かくて……)
ん……ぁっ。

 記憶の実ちゃんの舌を思い出しながら、指先を口の中に入れて、自分の舌を弄くってみる。

 実ちゃんの舌じゃないって分かってるのに、耳に流し込まれた嬌声のせいか、弄れば弄る程体が熱を帯びて行く。

(止まんない……気持ちいい……どうしよ……)
 ぼぉ、とする中、画面の2人が不意に大きく全身を震わせた。

 ネコの子のペニスが映し出されて、勢い良く精液が飛び出していく。

(キス……しながら、するのって、そんなに気持ちいい、のかな……)

 そう思ったら、お尻がムズムズしてきた。

 もちろん、弄ったことなんか1度もない場所だ。

 でも、いずれ使うことになるのなら、慣れておく必要があるかもしれない。


 ぼんやりしながら、僕はベルトを緩め、ズボンのジッパーを下ろした。椅子から少しだけ腰を浮かすと、そろり、と舌先を弄んだ手を下着の中に入れて、ゆっくりとお尻の割れ目をなぞってみる。

(あ、何か変な感じ……ムズムズするし……いける、かも)

 瞼をきゅっと閉じて、僕はそっとアナルに触れる。ぴく、と反応するその感触に誘われるまま、濡れた指先をーー思い切り突っ込んだ。






っいったああい!?




 これが後に語り継がれることとなる黒歴史、『深夜のネカフェでゲイAV鑑賞中、アナルに指を突っ込んで思い切り叫んで人目を集めた挙げ句、あまりのお尻の痛さに薬局へ駆け込む羽目になった事件』である。


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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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