3-1 熱い夜

文字数 4,632文字

思ってた以上に面白かったな、あの映画。

久しぶりに当たり引いたかも。

うん。原作に忠実だったし、キャスティングもぴったりだったねえ。

僕、また見に行きたいな。

お、いいな。じゃ、次のデートで見に行くか。
うん! 

あ、どうせ見に行くなら、新しく出来た映画館に行こうよ。

売店コーナーが大きくて、取り扱ってるアイテム数も多いみたい。

併設されてるレストランもおいしいんだって。

いいじゃん。

しかもあの映画館、大きいゲーセンもくっついてるだろ。

映画ついでに、そっちも開拓しようぜ。ミラオニアーケードもやりてーし。

デートする度にやってるよね、アーケード版のミラオニ。

そもそも、ゲーセンで遊ぶのはムードがないって、実ちゃん言ってなかったっけ?

楽しけりゃいーの。お前だって、楽しんでるだろ?

 映画デートを終えた僕たちは、夜の色に染まった帰り道をのんびり歩いていた。




 いつもだったら駅で別れるんだけど、今日は実ちゃんが久しぶりに実家に顔を出すって言うから、そのついでに僕の家まで帰り道デートをすることになったんだ。

 映画の話をしながら帰れるのも嬉しいけど、家に着くまで実ちゃんと一緒にいられるのも嬉しい。



 今日も、僕は実ちゃんの右隣をキープしてる。やっぱり、この位置が一番落ち着く。

 そんでもって、実ちゃんの隣を歩いていると、不思議とあんまんがとっても食べたくなるんだよねえ。

  だから今日も、僕はあんまんを食べた。実ちゃんは期間限定の青椒肉絲マン――ちょっと味付けが濃くて、いかにも実ちゃんが好きそうな味だった――を買っていたけど、僕に一口分けた後は、全部一人で食べてしまった。

それにしても、小晴、見直したぞ。
な、何? いきなり。
だって今日の映画、事前に分かってたとは言え、想像以上にエロいシーン多かっただろ?

初めてのデートで行こうとした時はあんなに動揺してたのに、今日はすげー真剣な目で見てたから、隣で感心してたんだよ。

もしかして、耐性ついたか?

そ、そんなことないよ。最初は何度か目を逸らしちゃったし……。
でも、ヒロインの演技がすごく良かったから、いつの間にか物語に引き込まれちゃってて……気がついたら最後までちゃんと見られたんだよね。
まあ、確かに。すげーいい映画だったもんな。

でも、映画の話抜きで考えても、今日のお前、すげー落ち着いてると思うぜ。俺が近づいても全然慌てないし、目逸らそうとしないし。

今だってほら、手もしっかり繋げてるじゃん?

 実ちゃんが、繋いだ手をぷらぷらと揺らした。

 その仕草に僕の心臓がどきり、と跳ねる。

 でも、「手を離さなきゃ」とか、「早く実ちゃんから距離を取らなくちゃ」とか、そういう逃げの体勢になることはない。

 相変わらず〈動悸〉はするけれど、前よりも気にならなくなってきたし、むしろ最近はその音が心地よく感じるくらいだ。

確かに、慣れたの……かも?
練習の成果、よーやく出てきたな。良かったじゃん!

 ぽんぽん、と実ちゃんが僕の頭を撫でる。

 こういう何気ないスキンシップも嬉しい。ついつい口元が緩んで、ヘラッと笑っちゃう。


実ちゃんのお陰だね、ありがとう。
……。
実ちゃん?
お前、マジでいい顔するようになったよな。

 僕の頭を撫でていた実ちゃんの手が、ゆっくりと下りてきた。 

 僕の頬をなぞるように実ちゃんの指がつー、と滑った途端、体の芯がムズムズしてきた。


……キスしたいの?
え、分かる?
実ちゃん、キスしたい時、声のボリュームが急に下がるから。
マジかよ。
うん。

もしかして、気づいてなかったの?

……っ小晴の癖に気づいてんじゃねーよ。

 実ちゃんがむにぃ、と僕の頬を抓る。

 「痛いよ〜」と口にしたものの、大した痛みじゃないし、むしろこういうスキンシップも嬉しいって思っちゃうんだよなあ。


じゃ、最後に〈練習〉しとくか。

お前んち、ちょうど見えてきたし。

うん。

 辺りを見回して、誰もいないことを確認した僕らは、電柱の影にそっと身を寄せて。

 僕が瞼を下ろすのと同時に、実ちゃんの唇がそっと触れてきた。


 キスされる度に呼吸困難になっていた頃は全然分からなかったけど、実ちゃんの触れ方は優しくて丁寧だ。頭や頬を撫でられている時みたいに、くすぐったくて、温かくて。


 多分、キスされてる時の僕の顔を鏡で見たら、恥ずかしくて死にたくなっちゃうかもしれない。絶対、変な顔してるだろうし。



 、でも、死んじゃったら、実ちゃんとキスの練習できなくなっちゃうのか。

   それは、嫌だなあ。


 なんて、ぼんやり考えていたら、実ちゃんの唇が微かな音を立てて離れた。


あ……。

 キスの余韻が心地よくて、思わず僕の口から変な声が漏れた。

 変な声でちゃった。でも、しょうがないよね、気持ちいいから。


……っその顔、ずるい。
へ……んむっ?!

 実ちゃんの拗ねたような声が聞こえたかと思ったら、再び僕の唇は塞がれていた。

 驚く間もなく、僕の口の中をぬるり、と柔らかいものが入り込んできたからたまらない。

 咄嗟に実ちゃんの胸元をぱし、と叩いたら、それが合図だったかのように舌を絡めとられてしまった。



 何コレ。こんなキス知らないし、激しすぎてついていけない。



 頭の芯が痺れて、くらくらしてくる。

 じゅ、じゅと吸われている舌先から全部、僕が溶けてなくなってしまいそう。



 ……それでも、いいか。

 この気持ち良さがずっと続くなら、全部、実ちゃんに吸われてもいい。



 でも、その気持ち良さは、唐突に実ちゃんの温もりと共に離れていってしまった。


ふぁ……?
……ごめん。ちょっと、調子、乗った……。

 ゆっくり目を開けると、実ちゃんがそっぽを向いていた。

 頬が赤くて、はふはふ、と荒々しい吐息を零している実ちゃん。表情は不機嫌そうなのに、どこか色っぽくて、見ているだけでドキドキする。


実ちゃん、大丈夫?
だいじょーぶじゃねーよ。お前があんな顔するから、俺……。
あんな顔……って?
 僕が首を傾げると、実ちゃんがびくり、と肩を大きく揺らして、俯いてしまった。
? 

実ちゃん、どうし……。

 むにぃ〜。

 俯いてしまった実ちゃんの顔を覗き込もうと屈んだ瞬間、僕の両頬は思い切り引っ張られた。

いひゃいいひゃい! ひゃめて〜!
小晴の癖に調子に乗んな。
ひゃ、ひゃひほへ、ひゃうっ?!
 抓られたところをバチン、と叩かれて、僕の両頬は乱暴に解放された。
もー、何するのさ……。
……変な顔。
実ちゃんのせいで、変な顔になったの!
ハイハイ、スミマセンデシター。
ったく、俺としたことが、お前なんかに一瞬でもドキッとしちまうなんて。
え。
……いっ、一瞬だかんな! 一瞬! 

今の変なツラ見てたら、もう忘れたし!

……一瞬でも、ドキッとしたって、言ででででっ?!
だーかーら! 一瞬だって言ってんだろ! 

調子にのーんーな!

わ、わひゃったからあ! ひっぱりゃにゃいで〜!
よし。

 満足げに頷いて、実ちゃんがまた僕の頬から手を離した。

 もー……今ので二倍くらい伸びた気がするよ、僕の頬。


――じゃあ、これで今度こそ解散、だなっ。
あ、うん。今日もありがと、実ちゃん。
ん。おやすみっ!

 ひらり、と片手を挙げると、実ちゃんが一足先に駆け出して行く。


 その後ろ姿に向かって手を振っていたら、急に体から力が抜けてしまって。


……あれ?

 自分の体の変化に戸惑う間もなく、僕はぺたん、と冷たいコンクリートに座り込んでしまった。

 その冷たさを感じたことで、僕は体中が火照っていることに気づく。


あつい……。
(実ちゃんの、舌みたいだ)

 舌先に、もういなくなったはずの実ちゃんの熱を感じてしまって、僕は思わず両手で自分の口を覆った。








にゃ〜。

 家に入ると、まぐろが甘い声で鳴いて僕を出迎えてくれた。


 午後十時。おばあちゃんはとっくに眠っている時間だ。

 お母さんも雑誌のコラムの〆切が差し迫っているって言ってたから、自分の部屋に籠もってるはず。


 二人の邪魔にならないよう、僕はまぐろを抱えてそっと二階の自室へ向かった。

は〜……。

 リュックを床に放り出して、僕は両腕を広げてベッドにダイブした。

 仕事が終わってすぐの映画デートだったから、服装も仕事用のスーツのままだ。

(うう、ダメ。せめて背広は脱がないと……ネクタイも皺になっちゃうよ……)

 顔を布団に埋めたまま、僕は必死に首を横に振る。

 にゃあ、と僕の右耳にまぐろが擦り寄ってきた。

 甘えた声を出してるってことは、「一緒に遊んで♡」ってことなんだろう。

……ごめん、まぐろ。そんな余裕、ないんだ……。
にゃ〜。
いや、本当に、今日はダメ、だから……。

仕事だって、しなくっちゃいけないのに……。

にゃー。
 僕のことなんかお構いなし、と言わんばかりに、顔を擦り付けてくるまぐろ。

 普段だったら「もー、しょうがないなー」って諦めるところなんだけど。

(体が熱くて、ドキドキして……変なことばっかり、考えちゃう

 疼く体にむち打って僕はむくり、と起き上がり、まぐろの体を抱えた。

 構ってもらえると思ったのか、まぐろが目を細めてごろごろと喉を鳴らす。


ごめん。今夜はお母さんかおばあちゃんのところで休んでね。

 部屋の外にまぐろを下ろすと、僕は素早くドアを閉めた。

 普段はまぐろが自由に入って来れるよう、鍵は締めないんだけど、今日は閉めざるを得なかった。



 ドアの向こうでにゃーにゃー鳴いてるまぐろにもう一度「ごめん」と呟くと、僕は背広を脱いだ。

 ハンガーにかける余裕はないから、学習机の椅子に掛けて。

 再びベッドに腰掛けた僕は、静かに自分の下半身を見下ろした。


……っ。

 ごく、と小さく喉を鳴らして、僕はズボンを下ろした。

 ボクサーパンツをずらした途端、元気のいいペニスの先端が顔を出して、僕は思わず呻いてしまった。

(……しょうがないよ。だって、あのキス、気持ちよかったし……最近、処理もちゃんとできてなかったし……)
(僕も実ちゃんと同じで、「魔が差しちゃってる」だけだから。さっさと抜いちゃえばいい、だけだから)

 自分自身にそう言い訳をしながら、僕は意を決して両手でペニスを包み込んだ。

 ぐ、と奥歯に力を入れながら、ゆっくりと手を動かす。


……う。

 ちょっと触っただけなのに、とろとろ、と先端から透明な雫を零すペニスを直視できなくて、僕はぎゅっと目を瞑った。


 脳裏を掠めたのは、キスの後、狼狽えていた実ちゃんの顔。


『お前があんな顔するから、俺……
『俺としたことが、お前なんかに一瞬でもドキッとしちまうなんて』
『……っその顔、ずるい』
……っや……だ……っ。

 実ちゃんの顔だけじゃなくて、声や絡んで来た舌の感触までもが、ずるずると引き出されてしまって、たまらず僕は首を振った。

 でも、僕の手はその勢いに任せて動きを速めてしまっている。

 辛うじて聞こえていたまぐろの鳴き声は聞こえなくて、代わりに僕のペニスが零すいやらしい音しか聞こえない。



 こんな僕を、もし実ちゃんが見たらどう思うんだろう。

 軽蔑する? それとも――。


『小晴』
っぅあ?!

 頭の中で実ちゃんに名前を呼ばれた途端、僕の手の中が熱いもので濡れた。

 恐る恐る瞼を開けてみれば、僕の手はぐっしょりと精液で汚れていて。その内のひと雫が、ぽた、と下ろしたスラックスの上に零れ落ちてしまった。


あ……。
 スラックスをじわじわと汚していく僕の精液。

 目を逸らしたいくらい恥ずかしいのに、僕の視線はまるで縫い止められたかのように動けない。

……っさい、あく……だぁ。
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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