1-3 僕の憧れ
文字数 5,156文字
ここは、〈サミダレエンターテイメント編集部〉。
僕が1年前から働いている出版社で、主にアニメ・漫画関連の雑誌、書籍を取り扱っている。雑誌部に所属する僕は、アニメや漫画の情報月刊誌『さみだれモード』を担当している。
今日は、月に1回の編集会議。
数10分前、その会議が終了し、僕は自分の席で一息吐いていた。
緊張で終始ガチガチだった会議を思い返しつつ、僕は持って来たランチボックスを開ける。
朝、ドタバタしちゃったけど、お弁当持ってこられて良かった。
忙しくない時は、こうやってお弁当を持ってくるようにしてる。会社の近くにあるカフェもランチが美味しいから外食も嫌いじゃないんだけど、自分で作った方が栄養も偏らないし、食べたい物をピンポイントで食べられる。だから、お昼ご飯はなるべく、手作り弁当にしたいんだ。
まあ、すぐに忙しくなるから、多分2、3日でお弁当は持って来れなくなるだろうけど。
「いただきます」のポーズを取ったタイミングで、右隣から話しかけられた。
相手は僕の同期であり、同じく『さみだれモード』担当の渡辺くんだ。
『1度関わったら、生活習慣から性癖まできっちり改造される、秩序と〆切の鬼編集者・日和智。彼が笑ったら最後、社長ですら命はない』
——っていう、どこのB級映画のキャッチコピーだよって突っ込みたくなる噂持ちだからさ。もっとおっかない人だと思ってたよ、見た目も、性格も。
色んな作品に携わっているけど、どれも作家さんの良さをあますことなく引き出しているし、実際売れてるし!
確かに仕事に対しては厳しいけど、普段は気さくで、とっても話しやすいよ。昔からそうなんだよね。
確かに、日和さんは僕のお母さん……小春凛子先生の元担当だし、僕自身も子供の頃に遊び相手になってもらったりしてたけど。
僕にとって、日和さんは憧れの存在で、目標なんだから。いや、目標なんておこがましいから、神様だね! うん!
苦笑を浮かべる渡辺くんに、僕も同じように笑い返しながら出し巻卵を口にする。
日和さん、ずっと書籍部にいたし。
僕がいつか、書籍部に異動して、そこで初めて一緒に働けたらいいな〜って思っていたけど、まさか日和さんが先にこっちに来てくれるなんて)
いつもスーツをぴしっと着ていて、分厚い黒革の手帳に書き込みをしたり、携帯電話でやり取りしたり……そんな日和さんを心の底からかっこいいって思ってた。
もちろん、今も思ってる)
何と言うことでしょう。
気がついたら、同僚の渡辺くんの背がぐんと伸びて、細身の眼鏡がよく似合うナイスミドルになっていたのです。
で、僕はさっきここに座ったところだよ。一応、座る前に声をかけたんだけど、小晴ってば、ニコニコしながらぼ〜っとしてて、全然僕に気づいてくれなかったから。
勢いよく頭を下げた僕に、日和さんが「あはは」と楽しそうな笑い声を零した。
憧れの人と同じ職場にいられる幸せ。
子供の頃から何度も思い描いていたページに、ようやくたどり着いたんだと思うと、頬が緩んでしまう。
差し出されたのは、僕の企画書のコピー。さっきの会議で日和さ……ああ、違った、編集長にはもちろん、みんなに配ったものだ。
少し捲ってみると、いくつか小さな付箋が貼られていた。しかも、どの付箋にもみっちりと赤い文字が踊っている。
編集長は相変わらずにっこりと優しい笑顔のまま。
会議の時に指摘されたものもかなりの量だったのに、今貰った分を含めて修正して、明日までに提……徹夜しても、無理があるんじゃ。
赤だらけの企画書を胸に抱いて、僕は恐る恐る編集長を見上げる。
やっぱり日和さんは優しい笑顔のまま。
編集長がぽんぽん、と僕の頭を撫でる。
昔から変わらない優しい手つきだけど、僕の心はどんどんとテンションが下がっていくばかりだった。
数10分の吟味の末、僕が購入を決めたのは数冊のアニメ、漫画雑誌。どれも仕事の参考資料として必要なものばかりだ。
その本の山を抱えて僕がやって来たのは、ファッション誌のコーナー。どの表紙も、パステルカラーを基調としたファッションに身を包んだモデルさんたちが微笑んでいる。
コーナーの中心に鎮座していた雑誌『サミダレボーイズ』を手にした僕は、思わずにま〜っと頬を緩めた。
『サミダレボーイズ』は、サミダレエンターテイメント編集部の関連会社が出しているメンズファッション誌。10代から20代をターゲットにしていて、『明るくポップなスタイルから、スーツでびしっと決めた大人っぽいスタイルまで、コレ1冊でこなそう!』がテーマだ。
表面に鏤められた虹色のラメと、金色の縁取りが眩しい『サミダレボーイズ』のロゴ。その表紙をどどーんと飾るのは、ロゴに負けないくらいキラキラの笑顔を浮かべたイケメンだ。
彼は如月瞳(きさらぎ ひとみ)。実ちゃんも所属している<Kanna-duki事務所>の看板と言っても過言ではない存在だ。くすんだ蜂蜜色の髪や「シミとは無縁です」と言わんばかりの白い肌、少し高い鼻。ちょっと異国人っぽさがあるモデルさんだ。
その「異国人っぽさ」のせいなのかな、かなり大人びている印象だ。年は僕より1つ上の24歳だっけ。
如月瞳の巻頭特集や他の売れっ子モデルたちのページを飛ばし、僕が開いたのは、『プライベートショット集』のコーナー。タイトル通り、仕事の休憩時間やお休みの日のプライベートな写真をピックアップするコーナーだ。所謂SNSに載せていそうな写真があげられているんだけど、どれも初出だから、ファンにとってはたまらないコーナーだ。
1ページしかないそのコーナーには、3枚の写真がピックアップされていた。
その内の1枚に、僕のお目当ての人が小柄なモデルと肩を並べて映っている。人懐っこい笑顔を浮かべたその人――実ちゃんの姿に、僕は思わず唇の端を緩めた。
そんなことを考えつつ、写真の下部に添えられたコメントを読んでみる。
SNSでもよく名前が挙がってるし……カッコいいって言うよりも、カワイイ系かな。服装によっては、ボーイッシュな女の子に見えることもあるし)
『サミダレボーイズ』今月号に載りますって情報がSNSで発信されるまでは、プライベートの自撮りが不定期に載るだけで……その時点ですごーく心配はしてたんだ)
僕はぶんぶんと頭を振って、漂っていたマイナス思考を振り払う。
そうだっ、今日は実ちゃんの好きなハンバーグを作ろう! 本人が食べられる訳じゃないけど、こういうのは気持ちが大事だからね!)
こうして、2冊の『サミダレボーイズ』が加わり、両手いっぱいに雑誌を抱えることになった僕。雑誌の山を何度も床にぶちまけるという失態を晒しながらも、笑顔でレジまで運ぶことができたのだった。