6-10 エピローグだけど、始めよう!(終)

文字数 1,455文字

 今日はは、僕にとって大事な日。

 いつもより早めに退社して、お気に入りのカフェ〈うのはな〉のコーヒーを飲んで、心の準備は万端だ。

 背負ったリュックのベルトを祈るように握りしめ、僕は本屋さんへ向かった。

 先に仕事で使う資料の棚をざざ〜っと見て、数冊手に取る。今回は今まで以上に冊数が多いから、この時点で腕が大分ぷるぷるしてきた。


 でも、本番はここから。

 『月刊さみだれモード』を最後に1冊だけ取って、深呼吸した後、目的の雑誌コーナーへ向かう。

 ファッション誌が並ぶ本棚。その中央に見つけた赤いきらきら星に僕は思わずあっ、と声を漏らしていた。

 数年ぶりの、実ちゃんこと『ハル』が表紙を飾るファッション雑誌。今日はその発売日なのだ。

 大人びた笑みでこっちを見つめるその表情に、折角深呼吸で整えた心臓が結局うるさく主張し始めてしまった。ついでに表情筋もあからさまにゆるゆるとしてきたけど、仕方ないよね。

……だいすき……。

 っと、いけない。つい思いが漏れてしまった。いくら恋人だからって、雑誌に向かって話しかけてたら怪しい人だ。

 それに思ったより時間を使っちゃったんだから、さっさと買おう。中身は今夜じっくり読みたいから、今は我慢する。

 ……けど、3冊買うのは我慢しなくてもいいよね?




 両手に重たい手提げ袋を下げて、僕はどたばたと待ち合わせの駅の改札口へ向かう。スマホが頻繁に鳴って、『遅い!』『はやくしろ〜〜』と催促のメッセージが入ってる。ごめん、って返したいけど、両手が塞がってる所為でダメだ。それに、もうすぐ会えるから、そこで謝った方が早いもんね。

 人混みでごった返してるせいで、周りをよく見渡せない。切符売り場まで逃げて、改めて人混みに目を凝らそうとした時、

こら、ニブチン小晴。
あたっ?!

 後頭部を小突かれて、慌てて振り返ると、僕の大好きないたずらっ子の笑みを浮かべた実ちゃんがいた。

 だて眼鏡をしてるしトレードマークの赤毛は帽子の中にすっぽりと隠されちゃってるけど、その表情と右手首につけた赤いミサンガだけは、いつも通りだ。

ったく、すぐに切符売り場に近づいてきたから、珍しく早く気がついたなって感心してたのに、思い切りこっちに背中向けやがって。
ご、ごめん、全然見えてなかった……。
そもそも来んのが遅ェーし。
そ、それも……ごめん……本屋で雑誌見たら、気持ちが昂っちゃって……。
そうだろうって思ってたよ。じゃ、しょうがねえから許してやる。
 そう言って、実ちゃんが僕の左手から本の入った手提げ袋をそっと取った。あ、重いよ、それ、と言う間もなく、実ちゃんがうげ、と眉を寄せる。
お前何冊買ってんだよ……。
し、仕事用が大半だから! 実ちゃんのは3冊で我慢したから!
うちにもお前用に3冊もキープしてるって言っただろ。
だ、だって欲しかったんだもん……本音を言うなら10冊くらい買いたかったし。
……ばか。
 実ちゃんが蕩けそうな笑顔を浮かべて、僕に空いていた手を差し出す。
ほら、早く行こうぜ。今日こそウルトラレアオニ男カードフルコンプするんだからなっ!
うん!

 実ちゃんの手に自分のそれを重ねて、指と指を絡ませる。

 お互いの手首につけたミサンガの赤と青が並ぶこの瞬間は、きっとこれから先も僕は大好きなままだ。

実ちゃん。
ん?
……っ大好き!!

 お腹から声を出したせいで、思った以上に大きな声になっちゃって、実ちゃんがびっくりして目を見開く。

 でもすぐに、「馬鹿小晴」とデコピンされて、それから僕に負けないくらい大きな声で叫んだ。

俺も!!
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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