碧人番外編 〈ウラ・イミテーション〉8.矛先
文字数 3,805文字
午後9時、××駅南口改札。
僕は瞳とキスしていた。
苛立つと、瞳は行動が乱暴になる。表情や声音だけなら、問題なく演じられる。でも、手を握る時の力加減とか、キスした時に血が滲むくらい舌を甘噛みしてきたりとか、セックスの時、まだ解したりない段階で突っ込んできたりとか、細かい部分が雑になる。
慣れって恐ろしいよね。どんなに雑に扱われても、「あーハイハイ、そうかそうか」、って受け止められちゃうから。
顔は両手で覆われてるけど、耳は真っ赤だし、全身を小刻みに震わせている。キスで随分とウブな反応してくれちゃって。多分、キスすらしてないんだろうな。あんなに楽しそうにデートしてたし、ハルにも変化が見えたから、何かしらはあったんだろうけど。
瞳、何も説明しないで呼び出したんだ。それにほいほい応じる彼も彼だけど。
なるほど、それが目的か。
思わず嫌そうな声を出しちゃったけど、瞳も魚谷小晴も全く気にしなかったらしい。堂々と曝け出された瞳の性悪目的に固まる間もなく、今度は僕らのデートに同行しろと告げられて、大きな目を白黒させている。
それでも、真剣な顔で僕らの後ろから付いてくるから、ああ、やっぱり彼も相当馬鹿なんだなぁ、と溜息を吐きたくなった。瞳やハルほどじゃないけど、ちょっとイラッとする。
体はすっかり瞳の味を覚えていて、外なのにスイッチが入ってしまう。でも、心の中は吹雪いているから、温度差で風邪を引きそうだ。
瞳の注文通り、わざとらしい甘えた声を出す。はあ、馬鹿らしくてお腹抱えて笑い出してしまいそう。
乗ってくる瞳の方は、珍しく余裕がない。口にする言葉はいつも通り演技だけど、目が熱に浮かされている。
えっ、まさか、本当にここで?
そんな危機感から、僕はちら、とこっちを見ている魚谷小晴を見やる。彼には悪いけど、おかげで瞳の暴走は寸でで止まった。
何度も他人のキスシーンを見せられ、瞳からはハルのことで煽られ、さすがの彼の表情もあからさまに曇ってしまった。
そんな辛そうな顔、してるくせに。
やっぱりハルが好きなんじゃないか。
それなら、さっさと奪えばいいのに。
ああ、イライラする。
瞳に呼ばれて、僕は心底ため息をつきたいのを堪えて、笑顔を作った。
最後に辿り着いたのは、ハルのアルバイト先の〈SHIWASU〉。見計らったかのように出迎えたハルのびっくり顔はちょっと面白かった。でも、面白かったのは、その顔だけだった。
食ってかかるハルとそれを楽しげにかわす瞳の応酬なんて、嫌ってほど見てきた。なのに、今日はすごくムカムカした。2人はお互いに夢中だし、しゃがみ込んでしまった魚谷小晴も放心状態だから、僕のイライラなんて誰も気づいてないだろうけど。
そんな中、ハルが瞳に告げたのは。
この前のアレできっぱり、お前とは終わったって思ってる。
俺があまりにも未練タラタラだったから、それを断ち切るために小晴まで巻き込んで変なちょっかい出して来たんだろうけど。
そういうの、いらないから。
静かな別離宣言。ここで未練たらしく瞳に怒っていた彼と同一人物に思えないくらい、落ち着いていた。
やっぱり、ハルは変化している。その要因は瞳じゃない、仮の本命くんーー魚谷小晴によって、だ。
きっと、瞳もそのことに気づいている。だから、ハルの傷口に爪を立てたんだ。
瞳、冷静を装っているつもりかもしれないけど、できてないよ。
それまでの明るさを見る見る内にうしなって俯くハルを置いて、1人カウンター席へ進んでいく瞳。
僕も無言になる2人を置いて、瞳の後を追った。
僕に寄りかかっている瞳に声を掛けるけど、返事がない。その鳶色の目はしっかり開いてるから、辛うじて意識はあるんだろうけど、酔いのせいで頭が回っていないようだ。
ここは僕らにとってお馴染みのホテル。いつもならセックスするために来る場所だけど、今日は〈SHIWASU〉で酔いつぶれた瞳を介抱するために来ていた。
瞳の自宅までタクシーで送るって方法もあったけど、今の彼を1人にしてはいけない気がして、結局ここに来てしまった。
そのままベッドで眠ればいいのに、僕に寄りかかってぼんやりして、一体何を考えてるんだろ。
瞳は、でも一切喋らなかった。一応、僕はあの2人が一緒に食事をして、店から出て行くところを確認していた。でも、今の瞳に言ったところで意味がないように思えたから、彼には言わなかった。
ぽんぽん、と背中をさすってそう促すと、瞳の目が僕を捉えた。
かと思ったら、そのまま唇を奪われた。乱暴なキスはいつも通りだけど、味がしょっぱいしお酒くさいから嫌だ。
首を振って何とか逃れようとしたけど、全然ダメ。
その勢いのまま僕の青のカットソーを捲り上げようとする瞳の手を両手で掴んで思い切り爪を立てると、う、と微かに唸って唇が離れた。
お互いに荒く息を弾ませながら、じ、とお互いの目を覗き込む。
熱に浮かされた瞳の鳶色が歪み、その縁からじわりと雫が浮かんだ。
瞳は目を閉じたまま、何も言わない僕を抱き寄せ、縋るように腕の力を強める。
誰も、俺を求めようとしない。
親も、ハエのように集ってくる『友人』もどきも。
俺はただ、決められた道を歩み、誰の手にも届かない高みへと据えられることを求められる。誰も俺を越えようとしない、誰も、俺に興味を抱かない。俺も、それが当たり前なのだと思った。
だから、驚いたんだ。お前が俺に「お前にだけは負けたくない」と力強く言い放った時。
嬉しいなんて、生易しい言葉で言いあらわせない。お前のことしか考えられなくなるほど、お前に夢中になった。
単にデビュー時期が重なっただけの、仮初めの『ライバルもどき』だとしか思えなかったお前が、事あるごとに俺の放つ嫌味に応えるたび、愛おしさが募った。
これが愛だと気がついたのも、お前のせいだ。
俺は今でも、「愛してる、恋人になりたい」とお前に告げられた、あの夜が忘れられない。
身体中の血という血が、僕の心臓に集結したみたいに熱い。
これが、僕の知りたかったもの。
母親(あのひと)が数多の男たちに向けていたもの。幼い頃から、飢えていたものだ。
僕は瞳の背中に腕を回し、負けじと抱きしめ返した。
答えは、再び重なったキスのせいで聞けなかった。
あれほど嫌だったお酒臭さは、わき上がる僕の劣情にちょうどいいスパイスになった。