5-8 優しい雨と緑の傘
文字数 2,073文字
本屋から無事に帰って来た僕は、残りの仕事を手早く片付けると、どたばたと帰り支度を整えた。
いつもだったら、もう2時間残って仕事をするところだけど、今日は別。
瞳さんのサイン会終了時刻に、僕はもう1度本屋に行かなくちゃいけないからだ。
リュックを背負ったタイミングで、編集長が書類の束を片手にこちらへやってきた。
ぺこぺこ頭を下げると、編集長はふっと微笑んで、
小降りの雨に濡れながら、僕がやってきたのは本屋――ではなく、〈カフェうのはな〉。
その出入り口が見えた、と思ったら、ちょうど木谷くんが出てきた。
胸元をどんどん叩いて、何とか呼吸を整えていたら、ぽん、と小気味良い音が聞こえた。
はた、として見上げれば、木谷くんが笑顔で僕に緑色の傘を差し出していた。
一瞬、木谷くんの傘の柄を持つ手がぷるっと震えた。
その大きな手を見つめながら、僕は彼から1歩距離を取る。背中がまた濡れ始めるけど、構わない。
ちゃんと目を見て、答えたいから。
僕、木谷くんのこと、たくさん知ることができて嬉しかった。僕のこと、好きだって言ってくれたことも……すごく嬉しかった。君といて、嫌だって思ったことは1つもないんだ。
だからこそ、君には誠実に答えなくちゃって思ってた。
でも、考えれば考える程分からなくなって、君をたくさん困らせた。
でも、今日、ようやく分かったんだ。
僕も、木谷くんが僕のことを本気で好きだって言ってくれたように、本気で実ちゃんのことが好きなんだ。この気持ちを誤摩化し続けていくのは、嫌だ。この気持ちと、ちゃんと向き合っていきたいんだ。
そこまで言い切ると、僕は頭を下げた。
背中は冷たいけど、顔は火が噴き出してるんじゃないかってくらい熱い。
しばらくして、ぱちゃん、と水が跳ねる音がした。同時に、背中に当たる雫の感触が消えた。
おずおずと顔を上げると、少し屈んだ木谷くんの微笑みがすぐ傍にあって。
笑顔を絶やすことも歪めることもなく、誠実な言葉をくれる木谷くん。
そんな彼の前でまたみっともなく泣く訳にはいかない。
不意に襲ってきたつむじへの痛みに、僕はたまらず悲鳴を上げる。
原因は木谷くんが持っていた傘の内側にある骨のせい。僅かに蹌踉けた彼の動きに引っ張られて、僕のつむじに追突してしまったらしい。
すみません、と木谷くんがすぐに傘を上げてくれた。でも、その表情は申し訳ないというよりも、呆れているように見えて。
実ちゃんにもよく言われるその言葉に僕がおろおろすると、木谷くんは返答することなくはぁ~~~~と盛大なため息を吐いてしまった。
そ、そんなため息吐くなんて、そんなに僕、かっこ悪い返答を……。
ショックで何も言えないでいたら、不意に木谷くんがぷっと噴き出した。
笑う木谷くんの肩は濡れて、シャツが貼り付いてしまっているし、髪も毛先からぽたぽた、と雫が零れ落ちている。
でも、彼は僕に緑色の傘を傾けたままだ。