1-8 初めてのシュラバ(恋愛編)

文字数 4,126文字

<前回までのあらすじ>


 僕、魚谷小晴は冴えない雑誌編集者。


 恋愛? 何それおいしいの?


 な僕が、ひょんなことから従兄弟の実ちゃんの恋人(アレを突っ込まれる方)のフリをすることになっちゃった。 

 だけど、実ちゃんに近づくと謎の動悸がする僕。

 高校生の時から悩まされているこの症状は、今夜も絶好調! 

 手を握られただけで、ドキドキバクバクうるさいよ! 

 でも、実ちゃんはお構いなしに夜の繁華街へ向かって行く。


 ああ、こうしてあらすじを読んでいる間もドキドキバクバクうるさくて、もう僕、死んじゃいそう。

 、語り手の僕が死んだら、このお話終わるよね? 

 そしたら今回で最終回? 1章で終わるんだったら、章立てする必要ないじゃん! 

 今までありがとうございました、原田先生の次回作にご期待下さ――。


はっ!

……って、僕、何変なこと考えてるんだよ!

 頭の中に浮かんだおかしなテロップを掻き消すように、僕は自分の頰をぺしぺし叩いた。

 そんな僕の目の前では、実ちゃんの後ろで括った赤毛がゆらゆら揺れている。


 歩き出してから、実ちゃんは1度も僕の方を見ないし、無言だ。


(ダメだ、ドキドキしすぎて、訳分かんないことになってる。

 ここどこ? 僕、一体どこに連れていかれるの?

さ、実ちゃ……。
着いた。ここだ。

 僕が口を開いたのと、実ちゃんが立ち止まったのは同時だった。

 僕らの目の前にあるのは、雑居ビル。その手前に、小さな看板が立てかけられた地下へ続く階段がある。

 看板には『SHIWASU こちらから』の文字。


SHIWASU?
レストランバーだよ。俺のバイト先。
そ、そうなのっ?!

 戸惑う僕のことなんてお構いなし、と言わんばかりに、実ちゃんが小さな階段を下りて行く。

 気をつけていないと、壁に肩が擦ってしまいそう。そのくらい狭い階段を下りたその先には、木製のボードの掛かったドアがぽつん、と佇んでいた。

 古ぼけた金色のドアノブといい、『Welcome』のボードといい、レストランバーというよりは、純喫茶を思わせる入り口だ。

 実ちゃんがドアを開けると、からんからん、とベルの音が頭上から聞こえてきた。

いらっしゃいま……ああ、何だ、水野か。
瞳、来てるだろ。どこだ?
奥のテーブルにいる。話すのは構わないけど、営業妨害すんなよ。
分かってる。

 燕尾服をモチーフにした制服を着たウエイターさんと素っ気ない会話をかわすと、実ちゃんはずんずんと奥へ進んで行く。


 木目調の壁に、床には赤い絨毯。照明は抑えめで、店内に流れる落ち着いたジャズピアノとよく合っている。

 お店の目玉なのか、ダーツ台がいくつか置かれていて、ゲームを楽しんでいるお客さんの姿がチラホラ見えた。

 そのダーツ台エリアの奥にバーカウンター、テーブル席があった。


 こんなお洒落なお店で働いてるんだ、実ちゃん。さっきの店員さんの格好、似合いそうだ。機会があったら見てみたいな。


ぶっ?!

 と、唐突に実ちゃんが急に立ち止まった。

 そのせいで、僕はその後頭部に思い切り顔をぶつけてしまった。

 うう、鼻先が痛い。


さ、実ちゃん、急に立ち止まらないで――。
……オイ、どういうことだよ、瞳。

 普段とは違う、ドスの利いた低い実ちゃんの声音に、僕ははっと息を呑む。

 実ちゃんの後頭部からそっと視線をずらすと、壁に面したソファー席が見えた。

 そこに並んで座っていたのは、2人の男性。


 1人は、目的の人物である如月瞳さん

 雑誌やテレビで見慣れているから、すぐに分かった。

 ……というか、変装とかしてないけど、いいのかな……?


この俺を待たせるとは、いい度胸だな、ハル。
っい、一応時間通りだろっ! 

仕事じゃなくて、プライベートの約束だから、セーフだよっ、セーフっ!

プライベートだからといって、油断していていいのか?

今日は俺をコテンパンにするんだろう?

 瞳さんが綺麗な桜色の唇の端を上げて、実ちゃんを煽ってくる。

 唇は笑ってるけど、目が全然笑ってない。

 雑誌やテレビでは慈愛に満ちた天使の笑みってキャッチフレーズまでついてるくらい、目も口もニコニコしてるのに。


 仕事の顔と本性が一致するとは、必ずしも言えないこと。

 この世界に限らないことだけれど、別段珍しいことじゃない。

 けど、実際目の当たりにすると……あの優しい笑顔1つで、「いい人っぽい」って勝手に解釈しちゃってたんだなって思い知らされる、気がする。


 そう言う意味でも、僕は瞳さんの隣に座っている、もう1人の登場人物が気になる。

 瞳さん同様初対面の相手だけど、僕はこの人のことも知ってる。



っていうか、何でそのビッチ野郎が平然といるんだよ! 

碧人(あおと)なんか呼んでねーよ!

『恋人』を連れてくるな、とは言われてないからな。
……。

 怒る実ちゃんを更に煽るように、瞳さんが隣の彼の肩を抱く。

 すぽ、と瞳さんの胸元に収まった彼—―碧人さんはにこりともせず、じ〜っと実ちゃんを見ている。

 可愛い顔立ちのせいもあるけど、よく出来た人形みたい。


 美樹碧人(みき あおと)

 実ちゃんや瞳さんと同じ事務所所属のモデルさんで、ついこの間、僕が買った雑誌にも掲載されていた。しかも、実ちゃんとのツーショットで。

 その時から僕、この碧人さんのことはちょっと気になっていたんだ。初めて見る顔じゃないなあ、どこかで見た気がするかもって。


 で、調べて納得した。

 彼、去年の『サミダレボーイズグランプリ』で優勝した子だった。このグランプリは、テレビでも最終審査や表彰式の様子が取り上げられるほど、大規模なイベントだ。

っ何が恋人だ! 

セフレに毛が生えた程度の関係だろっ!

俺は性欲処理だけの関係に興味はない。

そんなこと、1年俺と付き合っていたお前が、1番よく知ってるだろうが。

浮気された後で、ンなこと言われたって、信じられるかってーの!
ま、別に信じてもらう必要はない。

『ただのモデル仲間』のお前だしな。

あんだとぉ?!
いてててててっ!

 実ちゃんが怒りに任せて手を握りしめてきたものだから、僕はたまらず声を上げた。

 実ちゃん、僕と手を繋いでること、忘れてるでしょ! 

 僕もちょっと忘れかけてたけど!

ハルの『本命』って、その人?
ああ?! 


……あっ。

 碧人さんの呟きに反応して、実ちゃんがようやく背後にいた僕の方を振り向いた。

 勢いよく振り向いたものだから、思ったよりも顔が近くなってしまい、僕の心臓がばくばくと激しい音を立てる。


……っ。

 逃げるように視線を逸らすと、瞳さんと目が合ってしまった。

 その瞬間、瞳さんの唇に浮かんでいた不敵な笑みが消える。

 感情のない人形みたいなその表情に、僕はぶるっと体を震わせた。


――なるほど、ソレがお前の『本命』か。

 瞳さんがそう告げた途端、彼の唇は再び吊り上がった。

 あれ? さっき見せた能面みたいな顔は、僕の目の錯覚だったのかな。


そうだよ! 小晴が俺の『本命』だ!
ひゃっ?!

 実ちゃんが手を引っ張って僕を前に押し出したかと思うと、背後からぎゅっと抱きしめてきた。

 え、ちょ、な、何、この展開?!


言っとくけど、俺と小晴は恋人同士になる前からの長い付き合いだかんな! お前らみたいに即席カップ麺みてーな短期間でくっついたレベルの付き合いよか、断然、俺らの方が付き合いも長いし、ラブラブだしっ!
(みっ、みみみみっ、耳が、くすぐったいっ!)

 耳たぶに当たる実ちゃんの吐息のせいか、動くことも喋ることもままならない僕。

 それを初対面の、しかも、顔面偏差値が圧倒的に上の2人に見られてしまっている。

 もう恥ずかしすぎて、体が溶けちゃう。いや、消えてなくなりたい。

 きっと、ゆでダコみたいな顔してるよ、僕。


……って、言ってるけど。
相変わらず、キャンキャンうるさい犬だな。

うるさいのは、ベッドの上だけにしろとあれほど言っているだろうが。

誰が負け犬だあ?!
自分から負け犬だと認めるのか。お前にしては潔いな。
認めてねーよっ!

つーか、負けはお前の方だろ!

俺はなあ、お前と碧人が乳繰り合う前から、小晴とがっつりしっかりできてたんだよ! 瞳のことなんか、最初から見限ってたんだよっ!

そうか。

あれだけ浮気は害悪だの何だの偉そうに言っていたが、結局お前も同類だったか。

尚更、別れて正解だったな。

っ!
何だその顔は。俺のことは遊びだったんだろう? 

お前はその『本命』とよろしくやっていればいいじゃないか。

俺には碧人がいる。お前はいらない。

(か、会話が頭に入ってこないけど、何となく実ちゃんがどんどん引き返せない段階へ突っ込んでる気がしてならないよ……っていうか、いつまでこの体勢でいればいいの? もう、僕、心臓が持たないんだけど……)

 目の前がくらくらして、全身から力が抜けていく。


 もう、いいよね。

 何かアウェーな感じだし、このまま気絶しても会話に支障はなさそうだし。


 と、不意に僕は後ろへ突き飛ばされた。

 視界ががくん、と下がったかと思うと、僕の臀部に鈍い衝撃と、床の冷たさが襲った。その痛みと感触に、僕は思わず眉を寄せる。


『本命』なんじゃないのか? 随分と手荒い扱いをするんだな。
……っそれは、お前だって同じだったろうが。
……お前は俺の『本命』じゃなかったからな。

碧人にはそんなことしないさ。

この、最低野郎がっ!

 実ちゃんが瞳さんの胸ぐらを掴んだ瞬間、僕は臀部の痛みを忘れて飛び起きた。


さ、実ちゃん、ダメだよ! 喧嘩なんてそんな……!
勝負しろ、瞳。

 低い声音で実ちゃんがそう告げる。

 すると、瞳さんの目がすっと細められた。

 1度も感情を露わにしなかったその目が、楽しげに爛々と輝いている。


ダーツか?
お前との勝負って言ったら、それしかねーだろ。
「勝者は敗者に何でも言うことを聞かせることができる」。

そのルールを今回も採用するなら、受けてやってもいい。

言ったな? 忘れんなよ? もう取り消せねーからな。

 背中を向けているから実ちゃんの表情は、分からない。

 でも、きっと瞳さんの笑みを深めるようなものだったんだろう。

 静かに闘志を燃やしているだろう実ちゃんの背中を見つめながら、僕は密かに思った。

(僕、いる意味あったのかなあ……)
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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