5-9 雨上がりの大勝負
文字数 3,428文字
傘を揺らし、僕は駅までの道を走っていた。ちゃんと差せていないせいで、傘がガタガタ揺れて、全身が満遍なく濡れてしまってる。
でも、立ち止まる余裕なんてない。早くしないと、実ちゃんを捕まえられないから。
木谷くんと別れた後、僕は感傷に浸る間もなく、瞳さんのサイン会をやっていた本屋に直行した。
僕が会社に戻る時に実ちゃんが、サイン会後も少し会場に残っているかも、と言っていたから、急げばまた会えるかも、と期待したんだ。
だけど、そこにいたのは瞳さんとそのマネージャーだけ。しかも書店側と話し合っている最中だったから、話しかけるなんて無理だと背中を向けたんだけど、なんと瞳さんから声を掛けてきたのだ。
鬱陶しそうに片手で追い払う仕草をされたけど、僕は笑顔で礼を告げると、再び雨の中を駆け出した。
雨の駅前は混雑していて、気をつけていないと人にぶつかりそうだ。
赤毛で、小柄で、今日着ていたのは黒のパーカーで……と実ちゃんの特徴を呟きながら駅構内を探しまわる。
と、改札機に向かう人波の中に、あの赤毛が揺れるのを見つけ、僕はたまらず叫んだ。
赤毛はぴくり、と反応したかと思うと、その場に立ち止まり、辺りをきょろきょろとし始めた。
でも、背後から次々と人がやってくるためか、よろけながらも人波を脱出し、そしてこっちを振り返った。
ほっとしたのもつかの間、激しく咳き込んで立ち止まった僕に、実ちゃんが慌てて駆け寄ってきてくれた。
息も絶え絶えな僕の言葉に、実ちゃんはぷは、と噴き出した。
訝しげに首を傾げる実ちゃんをよそに、僕は深呼吸を繰り返した。
〈動悸〉がスゴい。心臓、壊れちゃいそう。
でも、言うんだ。ちゃんと、僕の気持ちをぶつけるんだ。
つんつん、と僕のこめかみを実ちゃんがつつく。
それを合図に、僕はついに口を開いた。
足が震えてる。今更、雨水に晒された体が冷たくて、くしゃみが出そう。
でも、伝えるんだ、誤摩化すことなく、全部。
平気……じゃないけど、言いたいんだ。自分から 恋人ごっこを辞めたいって言い出した癖に、その後でこんなこと言うのどうかと思うし、僕のこと、嫌になっちゃうかもしれない。
でも!! 聞いて欲しいんだ、僕の本当の気持ち!
言った瞬間、実ちゃんが叫んで自分の頭をぐしゃぐしゃ~!と掻いた。
実ちゃんにとって、僕はただの従兄弟。それ以上なんて、ない。
……それでも傍にいさせてくれるなら、言わない方が断然いいって分かってる。
でも、僕の、「実ちゃんを好き」って気持ちを嘘にしたくなかったんだ。
碧人さんが本気で瞳さんが好きで、瞳さんが本気で実ちゃんが好きで……。
木谷くんが本気で僕を好きでいてくれたように。
ぐっと傘を握りしめる右手に力を込めて、僕はお腹から声を出した。
ぱちん、と実ちゃんのデコピンを喰らった。
また、実ちゃんがぐしゃぐしゃ頭をかく。
あのさ。俺もおんなじなんだ。
恋人ごっこをして、分かったこと。最初はなかなか認められなかったけど……ごっこを止めて、あれからぐるぐる考えてさ……そうしている内に、受け入れられたんだ。
俺、ずっと「瞳がいる」ことがモデルを続ける理由だって思ってたけど、違ったんだ。
俺がモデルでいたいって思っていたのは、瞳を好きになるもっと前から……小晴、お前が俺を応援してくれたお陰だ。
「実ちゃん、かっこいいね」って。「もっと、活躍するところ見たいよ」って、言い続けてくれたから。
お前がいたから、瞳との別れも乗り越えられた。小さなチャンス1つでもお前が喜んでくれたから、その仕事取れなかった時、滅茶苦茶凹んだ。
輝いている俺をまたお前に見せたくて、何としても仕事を取りたいって足掻いてるんだ。
俺の原動力は、全部お前なんだよ、小晴。
まだ痛みでジンジンするおでこを撫でながら、実ちゃんが僕に近づく。
呆れたようにため息をついたかと思うと、おでこを撫でていた実ちゃんの手がするり、と下降して。
顎を掴まれたかと思ったら、そのまま唇を奪われた。
しゃがみ込んだ僕に、実ちゃんが1歩後ろに下がる。
やれやれ、と言わんばかりに肩を竦めると、実ちゃんがその場にしゃがみ込んだ。
相変わらずしゃがんだまま動けない僕と、同じ目線になった実ちゃん。その目が微かに潤んでいるように見えるのは、僕が雨水をたくさん被ったせい……じゃないよね?
俺、お前から「恋人ごっこはもうしたくない」って言われた時、すげー凹んだんだ。まだ自分の気持ちをちゃんと受け入れてない時だったけど、「あいつは俺のこと恋愛対象として見てないから、嘘でもあんなことさせられて、マジで嫌だったんだ」って思ってさ。
だから、本当の気持ちを伝えたら、もう2度と俺に関わろうとしないだろうって思った。
その上で、お前に気持ちを伝えようって勝手に覚悟を決めてたんだ。
さっきまでいっぱい言えたのに、肝心なところで唇がぷるぷる震えて、声が出て来ない。
でも、実ちゃんは僕の言えなかった「好き」を分かってくれたみたいで、ふにゃ、と屈託無く笑った。