5-9 雨上がりの大勝負

文字数 3,428文字

 傘を揺らし、僕は駅までの道を走っていた。ちゃんと差せていないせいで、傘がガタガタ揺れて、全身が満遍なく濡れてしまってる。


でも、立ち止まる余裕なんてない。早くしないと、実ちゃんを捕まえられないから。







 木谷くんと別れた後、僕は感傷に浸る間もなく、瞳さんのサイン会をやっていた本屋に直行した。

 僕が会社に戻る時に実ちゃんが、サイン会後も少し会場に残っているかも、と言っていたから、急げばまた会えるかも、と期待したんだ。

 だけど、そこにいたのは瞳さんとそのマネージャーだけ。しかも書店側と話し合っている最中だったから、話しかけるなんて無理だと背中を向けたんだけど、なんと瞳さんから声を掛けてきたのだ。


あいつなら、もうここにはいない。

……急げば、駅前で捕まえられるはずだ。

あ、ありがとうございます!

 鬱陶しそうに片手で追い払う仕草をされたけど、僕は笑顔で礼を告げると、再び雨の中を駆け出した。





 雨の駅前は混雑していて、気をつけていないと人にぶつかりそうだ。

 赤毛で、小柄で、今日着ていたのは黒のパーカーで……と実ちゃんの特徴を呟きながら駅構内を探しまわる。

 と、改札機に向かう人波の中に、あの赤毛が揺れるのを見つけ、僕はたまらず叫んだ。


実ちゃん!!

 赤毛はぴくり、と反応したかと思うと、その場に立ち止まり、辺りをきょろきょろとし始めた。

 でも、背後から次々と人がやってくるためか、よろけながらも人波を脱出し、そしてこっちを振り返った。


小晴……?

……っ良かった! 見つけたっ……。

 ほっとしたのもつかの間、激しく咳き込んで立ち止まった僕に、実ちゃんが慌てて駆け寄ってきてくれた。

何でそんなにビショビショなんだよ。

傘忘れて……ねえな。どんな差し方したらそんなんになるんだよ?

い、急いでたから……っ。実ちゃんに、追いつかないとって……っ。

俺のこと探してたの?

うんっ。瞳さんが、教えてくれて……っ。

 息も絶え絶えな僕の言葉に、実ちゃんはぷは、と噴き出した。

ばか。俺のスマホに連絡すりゃ済む話じゃん。瞳なんかに聞いてんじゃねーよ。

……っあのさ、今、話したいことがあるんだ。いい?

何だよ、改まって。別に良いけどさ。

じゃ、どこか入る? 夕飯食いがてらでも……。

ダメ。決心鈍っちゃうから、ここから動かないで聞いて。

は? 何だそりゃ。

 訝しげに首を傾げる実ちゃんをよそに、僕は深呼吸を繰り返した。


 〈動悸〉がスゴい。心臓、壊れちゃいそう。

 でも、言うんだ。ちゃんと、僕の気持ちをぶつけるんだ。

こーはーるー? 大丈夫か~?

 つんつん、と僕のこめかみを実ちゃんがつつく。

 それを合図に、僕はついに口を開いた。


あのね、僕……僕も、実ちゃんに言わなかったことがあるんだ。

へ?

『恋人』を演じなかったら、多分一生分かんなかったこと……最初はこんなの、思っちゃいけないって思ったから、言わずにいるつもりだった。

 足が震えてる。今更、雨水に晒された体が冷たくて、くしゃみが出そう。

 でも、伝えるんだ、誤摩化すことなく、全部。


へ、平気か、お前。今にも倒れそうだぞ。

平気……じゃないけど、言いたいんだ。自分から 恋人ごっこを辞めたいって言い出した癖に、その後でこんなこと言うのどうかと思うし、僕のこと、嫌になっちゃうかもしれない。



でも!! 聞いて欲しいんだ、僕の本当の気持ち!

お前の本当の……っそれ……はあ?! ま、マジかよ……っ!

そう、マジな気持ち、実ちゃんには知ってもらいたいからっ!

ま、待て! それはまだっ……!!

待たない!



僕は、実ちゃんのことが本気で、恋愛対象として好きなんだ!!

うわあああ?!

 言った瞬間、実ちゃんが叫んで自分の頭をぐしゃぐしゃ~!と掻いた。

っ、そうだよね、絶叫するほど嫌だよね。

血の繋がった従兄弟に、しかも実ちゃんの好みから大きくかけ離れた僕から告白されるなんて。

分かってるよ。全部、覚悟した上だから。

、あ、そ、そうじゃな……。

実ちゃんにとって、僕はただの従兄弟。それ以上なんて、ない。

……それでも傍にいさせてくれるなら、言わない方が断然いいって分かってる。

でも、僕の、「実ちゃんを好き」って気持ちを嘘にしたくなかったんだ。

碧人さんが本気で瞳さんが好きで、瞳さんが本気で実ちゃんが好きで……。

 木谷くんが本気で僕を好きでいてくれたように。



 ぐっと傘を握りしめる右手に力を込めて、僕はお腹から声を出した。

僕だって、実ちゃんが本気で好きだよ! 誰にだって渡したくない! 僕だけを見ていて欲しいよっ!

……分かった。分かったから、小晴さん、一旦落ち着こ……。

一生をかけた告白してるのに、落ち着けないよ!

あ、はい。ですよねー……って。

アホ!いい加減俺に喋らせろっ!

 ぱちん、と実ちゃんのデコピンを喰らった。


うっ!

よし、黙ったな。

ほ、本気でやらないでよお、いたぁ……。

悪い。でも、こうでもしなきゃお前、話聞いてくれなさそうだったからさ。

……そうだね。

分かった。逃げないで、ちゃんと受け止めるよ。

勝手に失恋してんな、ばか。

ったく、色々予定が狂っちまったじゃんか、くそー。

 また、実ちゃんがぐしゃぐしゃ頭をかく。


けど……同じ、だったのか。

ははは……振られることばっかり考えてた。俺、すっげーバカじゃん。

実、ちゃん?

あのさ。俺もおんなじなんだ。

恋人ごっこをして、分かったこと。最初はなかなか認められなかったけど……ごっこを止めて、あれからぐるぐる考えてさ……そうしている内に、受け入れられたんだ。

俺、ずっと「瞳がいる」ことがモデルを続ける理由だって思ってたけど、違ったんだ。

俺がモデルでいたいって思っていたのは、瞳を好きになるもっと前から……小晴、お前が俺を応援してくれたお陰だ。


「実ちゃん、かっこいいね」って。「もっと、活躍するところ見たいよ」って、言い続けてくれたから。

お前がいたから、瞳との別れも乗り越えられた。小さなチャンス1つでもお前が喜んでくれたから、その仕事取れなかった時、滅茶苦茶凹んだ。

輝いている俺をまたお前に見せたくて、何としても仕事を取りたいって足掻いてるんだ。


俺の原動力は、全部お前なんだよ、小晴。

うそ……。

嘘でこんな恥ずかしいこと言わねーよ。

それに、なんとも思ってない従兄弟にも言わない。

 まだ痛みでジンジンするおでこを撫でながら、実ちゃんが僕に近づく。

俺も、お前とチューしたいしエッチもしたいって意味で好きだぜ。

っ、ち、ちょっと、何で下ネタで答えるのさっ!

だって、そう言わねーとお前、「ありがとう……それでも従兄弟でいてくれるんだ」だの、「嘘でも嬉しいよ」だの、ネガる方向で受け取るだろ?

そっ……うじゃないの?

ほら、言ってるそばから。

 呆れたようにため息をついたかと思うと、おでこを撫でていた実ちゃんの手がするり、と下降して。

 顎を掴まれたかと思ったら、そのまま唇を奪われた。

これで、分かったか?

……っ。

うぉっ?!

 しゃがみ込んだ僕に、実ちゃんが1歩後ろに下がる。

お、おい、小晴。またいつぞやみたいに意識飛ばしてねーだろうな?

……大丈夫、じゃないけど、大丈夫。

……そっか。

 やれやれ、と言わんばかりに肩を竦めると、実ちゃんがその場にしゃがみ込んだ。

 相変わらずしゃがんだまま動けない僕と、同じ目線になった実ちゃん。その目が微かに潤んでいるように見えるのは、僕が雨水をたくさん被ったせい……じゃないよね?

俺、お前から「恋人ごっこはもうしたくない」って言われた時、すげー凹んだんだ。まだ自分の気持ちをちゃんと受け入れてない時だったけど、「あいつは俺のこと恋愛対象として見てないから、嘘でもあんなことさせられて、マジで嫌だったんだ」って思ってさ。

だから、本当の気持ちを伝えたら、もう2度と俺に関わろうとしないだろうって思った。

その上で、お前に気持ちを伝えようって勝手に覚悟を決めてたんだ。

実ちゃん……。

バカだよなあ、俺。

いつの間にかお前に感化されて、自分までニブチンになってた。

お陰で間抜けな覚悟までして告白するところだったぜ。

先に言われちまって正直悔しいけど……でも、嬉しかった。

俺もお前のことが好きだ、小晴。

今度は、本当に恋人になってくれるか?

っうん……僕も……す……。

 さっきまでいっぱい言えたのに、肝心なところで唇がぷるぷる震えて、声が出て来ない。

 でも、実ちゃんは僕の言えなかった「好き」を分かってくれたみたいで、ふにゃ、と屈託無く笑った。

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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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