1-2 ちょっとだけ、巻き戻って

文字数 2,284文字

あっ、ながれ星だ!
えっ?! ど、どこっ、どこどこっ?
はやく、大人になれますように!!
は、はや、はやきゅ、おとなに……あ、きえちゃった……。


あはは、こはる、おせー。
……どうしよう、ぼくだけおねがい、きいてもらえなかった……。
大じょうぶ、おれが、こはるのぶんもおねがいしておいたから。
ほんと?! ありがとう、さねちゃん!
へへっ、こはる、おれがいっしょじゃないと、たよりねーからな!
ねぇ、さねちゃんは、大人になったら、何になるの?
おれ、大人になったら、この空よりずっとずーっと、キラキラしたもんになりたいっ!
さねちゃん、お星さまになりたいの?
星なんかよりも、でっかくて、キラキラで、すげーやつになるんだよ!

すげーだろ?

さねちゃんなら、なれるよ! ぼく、はやく大人のさねちゃんが見たいなあ。
おねがいしたから、あしたにはもうなってるかもしれないなっ! ちゃんと見とけよ、こはるっ!
うん!
こはるは?
ぼく?
こはるは、大人になったら、何になるんだ? おばさんみたいな、えーと……ショーセツカか?
ぼくは……。
にゃ〜。
にゃー……?
……何だ。まぐろか。

 ぼんやりとした視界の中、僕の顔を覗き込む愛猫の姿を確認する。

 そのふわふわの黒い毛並みを撫でると、心地よさから僕の瞼が再び重たくな――る前に、鼻先に鈍い痛みが襲いかかった。

いてっ。
フーッ!
……っ危ない、つい2度寝するところだった。

ありがと、まぐろ。

にゃー。

 礼はいい、さっさとブツ(朝ご飯)を寄越せ。

 そう言わんばかりに僕の頬をぺちぺちするまぐろを撫でながら、僕はベッドから起き上がった。


はいはい、朝ご飯だね。ただいま。

 うーん、と腕を伸ばしつつ、僕はぐるり、と自室を見渡す。 

 水色のカーテンを開ければ、小さなベランダが見えた。さっき、僕の夢の中に出て来たベランダは、これだ。

 からり、と開けて覗いてみれば、朝の日差しに照らされた木製の柵と床板で構成されたベランダがある。大人が2人も入れば、窮屈に感じるくらい狭い場所だ。そっと歩くだけでもギシギシと不穏な音を立てるその場所には、数えきれないほどの思い出が詰まっている。

 正面はお隣さん家の出窓しか見えないけど、柵から少し身を乗り出せば、空を見上げることができる。

 幼い頃の僕は、柵に手を添えるだけでも精一杯で、乗り出すことはなかなかできなかった。

 でも、僕の隣にいつもいた彼は、躊躇いなく柵から身を乗り出して、流れ星を見つけていた。

(懐かしい夢、見ちゃったな。あれは小学生の頃……初めて実ちゃんが僕の部屋に泊まった時のことだっけ)

 実ちゃんっていうのは、僕の従兄弟のこと。

 彼の名前は水野実治。本人は、『実治』って名前も、『実ちゃん』って呼び名もダサくて嫌いって言う。僕は、『はる』って同じ音があるから、お揃いみたいで、結構好きなんだけどな。

 従兄弟で、同い年で、同じ誕生日。

 でも、中身は全然違う僕と実ちゃん。

 実ちゃんは、色んなことが得意な子だった。勉強……は、僕と同じで、そんなにできる方じゃなかったけど……運動も、友達を作るのも、嘘を吐くのも、悪戯をするのも。

 昔から、何をするのにもトロくさい僕とは正反対で。

 僕はそんな実ちゃんに憧れていた。


(……『憧れていた』、は違うか)
にゃー!
あ、ごめん、もうちょっとだけ待って。
 部屋の出口で鳴くまぐろを宥めつつ、僕は窓を閉めて、くるり、と回れ右をした。

 僕の視線の先にあるのは、小学生の頃から使い続けている年季の入った学習机。その左隣には、実ちゃんのポスターが貼ってある。今から3年くらい前かな、雑誌の付録だったポスターだ。

(うん、やっぱり憧れていた、は違う)
(今だって、憧れている。あの日の夜空よりキラキラしていて、遠いところに行っちゃった実ちゃんに)
(実ちゃんがキラキラしてる姿を見てる時が、僕は一番頑張れる。だから、今日も目一杯、パワーを貰うよ、実ちゃん)
……やっぱりいいなあ、この実ちゃん、かっこいい。

 しみじみと、そんな呟きが漏れる。

 僕のお母さんや叔母さんはこのポスターを見た時、

「この実治の顔は、かっこつけすぎてないか? さすがアンタの息子だわ」

「『さすが』ってどういう意味よっ、クソ姉貴っ。……ああ、でも、コレは確かに、ないわー……」

と喧嘩しながら、駄目出しをしていた。まあ、二人ともポスターだけじゃなくて、実ちゃんが載った雑誌を見てもそんなリアクションをするけれど。

 いつもニコニコのおばあちゃんは「実ちゃん、大きくなったねえ」と笑うだけで、中身には触れない。僕と実ちゃんの共通の友達も、みんな似たような反応をする。

 そんなみんなと相反する意見を持っているのが、僕一人だけ。


 ちょっと、ほんのちょっとだけだけど。僕は身内びいきすぎるのかな、って思ったこともある。

 でも、僕は本当に心の底から思ってる。どの実ちゃんも大好きだって。

 カッコイイというよりも、キラキラしてるって言った方が正しいかな。同じ雑誌に載っているモデルさんでも、同じようにキラキラしている人もいるし、実ちゃんよりも背が高くて綺麗な人だっている。

 でも、僕の心を捉えて離さないのは、いつだって実ちゃんだけ。

 実ちゃんのキラキラが、僕の頑張る原動力なんだ。

にゃー。
……うん、そうだね。そろそろ、現実に戻らないと遅刻しちゃうね。
 まぐろに話しかけながら、僕はそっとポスターに向かって手を伸ばす。

 キラキラの笑顔でこちらに向かって広げられた実ちゃんの手のひらに、僕は自分の手を重ねた。

 この挨拶をして、僕の一日は始まるんだ。

今日も頑張ろうね、実ちゃん。
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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