6−4 How To ICHA-ICHA

文字数 3,944文字

 〈うのはな〉で簡単に打ち合わせし、一旦別れてから数時間後。

 僕は碧人さんと会社の最寄り駅で落ち合ったんだけど、彼の格好を見てびっくりした。

 いつも中性的なパステルカラーとか可愛いチェック柄の洋服を着ていることの多い碧人さんが、モノトーンのパーカーにジーパン姿をしていたから。

 襟足まで伸びたグレーの髪をひとつに束ねてたり、前髪には数本のピン留めをしていたり、手首にはブレスレットがいくつか嵌まっていたり……そう、実ちゃんのスタイルをそのまま再現しているのだ。

 ……いやいや、格好まで実ちゃんに似せるって話は打ち合わせでしてないんだけどな?!

じゃあ、行くよ。〈小晴〉。
 名前で呼ばれることは事前の打ち合わせで決まってたことだけど、見た目が実ちゃんっぽいせいか、本当に彼に呼ばれたみたいに体中にびりり、と甘い痺れが走った。
返事は?
あ……よろしくお願いします、碧人さん。

 緊張を漂わせて返事をした僕に、碧人さんはふ、と口元を緩めて、おもむろに僕の頭をぽんぽんと撫でた。


そんな固くならないで。練習だよ。
そ、そうです、けどっ……。

とりあえず、敬語は止めようか。ハルに接するみたいに話してよ。

大体、小晴の方が年上なんだから、元から使わなくてもいいはずだし。

わ、分かりまし……。
むぅ。

 ……ちょっと待って下さい、何で実ちゃんの拗ね方まで完コピしてるんですか……。

 ますますドキドキしちゃうじゃないか。

……分かった。頑張り……る。
よし。

 折角覚悟を決めて返事をしたのに、碧人さんがにこにこして頬にキスをするものだから、変な悲鳴が上がってしまった。

 でも、狼狽えている暇なんてないよ、とばかりにがっちり手を繋がれ、既に頭から煙を吐きそうな僕は碧人さんに引きずられるように改札を潜ったのだった。






 やってきたのは、海に面した公園。その中で一際大きな存在感を出していたのは、カラフルでポップなキューブ型が可愛い観覧車だった。

 最近できたばかりの新しい注目スポットの一つで、様々な雑誌でも取り上げられているし、テレビでも何度も紹介されていた場所だ。休日は公園の一角とは思えない程の行列ができる、と言われていたけれど、今日は平日、しかも営業時間終了間際だからか、然程並ぶこともなく僕と碧人さんは青いゴンドラに乗ることができた。

何で観覧車なん……なの?
僕が来たかったから。嫌?
い、嫌じゃないよ!

……懐かしいなあ。

 遠ざかる公園を見下ろしながら、僕はしみじみと呟いた。

 公園じゃなくて、遊園地だけど。小さい頃、最初に乗るのも最後に乗るのも観覧車だった。

 絶叫系大好きな実ちゃんと、メリーゴーランドみたいな平和な乗り物が好きな僕とじゃ元々の好みが合わなかった。それでも実ちゃんと一緒に遊びたいから無理してジェットコースターに乗って、その度に目を回してベンチでぐったりしていたのも、今思えばいい思い出だよね。

ハルと乗ったことがあるの?
あ……うん。子供の頃、遊園地でだけど。碧人さんは?
ない。
え。
遊園地にも行ったことないよ。
そう、なんだ。

興味はあったよ、それなりに。

でも、一緒にいく相手なんていなかったし、かといってわざわざ1人で行きたいとも思わなかったからね。

 特に傷ついた様子もなく淡々と語る碧人さん。確かに誰かと一緒に行動するのが好きそうには見えないけど、今の口ぶりだとちょっとは寂しく感じていたのかな。

 だとしたら、今回、一緒に乗る相手が僕で本当に良かったんだろうか。折角のムード満点の乗り物なのに。

悪くないね、観覧車。眺めもいいし。
そ、そうで……だね! 昼間の観覧車もいいけど、夜だと雰囲気が一気に大人っぽくなって、ムード満点だし。
ほんと。

 左手に柔らかな温もり。窓ガラスに映っていたのは、僕をじぃ、と見つめる鈍色の瞳。

 いつもの無感情さはどこへやら。穏やかに笑う彼に、僕は実ちゃんを思い出す。

 僕の、本当の恋人になった実ちゃんと、同じ笑い方ーーどうして知ってるんだろう。

ね、こっち向いて、小晴。
……っむ、無理……。
こっち向いてってば。
 ぷるぷると必死に首を横に振ってたら、項に湿った感触が当たった。
ひゃっ?!
こっち向かないと、キスマークつけるけど? ここに。

 ちゅっ、とわざとらしく音を立てて項にキスをされて、僕は慌てて振り向いた。

 そこにあったのは、してやったり、とばかりに含み笑いをする碧人さんの顔。あまりの近さに、後ずさりした瞬間、ごん、と後頭部に鈍い痛みが走った。

いっ……たぁ……。
暢気に痛がってる場合?

 右頬に手を添えられて、顔の位置を固定されてしまった。

 碧人さんはにこにこしながら、甘ったるい声で僕を追いつめていく。

ね、ハルとはどんなキスをしたいの?
え。

できるようになりたいんでしょ? 練習するなら、小晴の望みに沿った内容にしたいからね。

触れるだけでいいの? それとも、セックスしたくなるくらい気持ちいいのにする?

っ!
なんて、聞くまでもないか。じゃあ、「とびきりヨくしてやるよ」。
 碧人さんらしからぬ低くて、ちょっと乱暴な物言いに体が勝手に反応してしまった。
実、ちゃん……。
 僕の呼びかけに答えるように、実ちゃん……の姿に似せた碧人さんが僕の顎を掴む。白い瞼が下ろされて、彼の鼻先と僕の鼻先がつん、と触れ合った。
……め……。
……っやっぱダメ!!!!
ぶっ?!

 叫ぶと同時に、僕は両手で碧人さんの口を塞いだ。衝撃でぱちくりと開かれた灰色の目に向かって僕は必死に訴えた。

ダメ! エッチもキスも、僕は実ちゃんとしたいの! 練習でも、実ちゃん以外の人とはできません!!! 

僕はっ、碧人さんや実ちゃんみたいに本命じゃない人相手でもホイホイキスできるなんて恋愛上級者テクは使えないんですうううう!

ほはふ(小晴)。
碧人さんの本命は瞳さんでしょ! 構ってくれないからって浮気はダメですぅ!
ほはふへわ(小晴ってば)。
もうっ、どんな屁理屈捏ねたってダメなものはダメなんだから! 実ちゃんもそうだけど、碧人さんも自分のことをもっと大切にしなきゃダメです! 練習とかなんだとかいって、本命以外と触れ合ってたって虚しいだけなんですからね! 

そういうのは本命としてなんぼでしょ?!

(がぶっ)
いたぁっ?!

 中指の付け根を襲った鋭い痛みに、慌てて手を引っ込めた。血、は出てないけど、綺麗な歯形がついてる……。

 じんじんする痛みにふぅふぅと息を吹きかけていると、はあ、と大きなため息が聞こえてきた。

鼻と口を塞がないでくれる? 普通に酸欠で死ぬから。
ご、ごめんなさい。

大体、さっきの話は何なの? 突っ込みどころ満載だし、恋愛ポンコツの君に言われたくないんだけど?

ポ……で、すよね……。
……でも、僕も同じこと考えてた。僕も、瞳以外とセックスはもちろん、キスも無理。それが例え演技でもね。

だから、君が拒絶しなくても、多分できなかったよ。

え。
僕だって、瞳のことしかもう見えないもん。小晴だって、ハルのことしか見えないでしょ?
……うん。
……あーあ。これじゃあ、寂しさを全然紛らわせられない。瞳のせいだよ、もう。

 窓際に頬杖をつき、頬をぷくり、と膨らませる碧人さん。その仕草が可愛くて、僕も思わず笑みがこぼれた。


とはいえ、ここで終わっちゃったらもったいないよね、折角準備したし……あ、そうだ。あそこ、いこっか。

あそこ?




 そんな訳で、連れて来られたのは最早碧人さんとの思い出がたくさんある〈SHIWASU〉。

 ドアを開けて5秒も経たないうちに、ウエイターの実ちゃんと僕らは対面していた。

 ちなみに、碧人さんは僕と手を繋いで、恋人よろしくぴったり体をくっつけていて、にこにこ上機嫌だ。


思う存分いちゃつけるところ、よろしくね。
何してんだお前ら。
見て分かんない? 小晴とデートしてるの。

 ね、と僕に甘ったるい笑顔を向ける碧人さん。いくらそんな気がない相手でも、この笑顔にどきりとしない度胸なんて僕にはない。


あ、えと、その……っ!

アホ、どーせ小晴をからかって遊んでただけだろ。

瞳に構ってもらえねーからって、人の恋人弄るの止めろよな。

そこはもっとヤキモチ妬くところじゃないの? 瞳の時はあんなに面白いくらい妬いてたのにさ。

あんなお前の熱烈な「瞳を取らないでよね」宣言聞いた後で、お前と小晴がどうこうなるって思わねえから。そんなんにヤキモチもクソもねーっての。

うわ、つまんない。

いつからそんなつまんない奴になっちゃったの、ハル、最近見直したのに、また失望するんですけど。

勝手に失望してろよ。
 呆れながら、実ちゃんがそっと僕の方へ手を伸ばす。多分、腕を取って碧人さんから引き離そうとしてくれただけなんだと思うんだけど、それでも僕の体は過剰に反応し、ずざっ、と後ずさりしてしまった。
あ、悪い……。
ご、ごめん、僕っ……。

 お互いにぱっと視線を逸らしてしまう僕ら。ああ、もう嫌だ。恋人との再会なのに、悲しい気持ちになっちゃうよ……。


……重症だね。

う、うっせーな。と、とにかく、変なごっこ遊びしてねーで、適当にメシ食って解散しろ、お前ら。

僕は小晴をハルのところへ届けに来ただけだから、もう帰るよ。
 する、と手を解いた碧人さんが、ぽんぽん、と僕の頭を撫でる。
僕の憂さ晴らしに付き合ってくれてありがと、小晴。
あ、ううん、僕こそ……ありがとう。

 はにかんでそう返したら、碧人さんがふっと笑って。

 次の瞬間、ぐいっとネクタイを引っ張られたかと思うと、ぷちゅ、と小さな音がした。

へ?

 キス、された。

 口……じゃなくて、端っこに。

頑張ってね、小晴。

 ぱっと離れた碧人さんは、これ以上ないくらい満面の笑みを浮かべていて。

 対する実ちゃんはこれ以上ないくらい口を開けて、唖然としていた。

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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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