碧人番外編〈ウラ・イミテーション〉11.悪あがき

文字数 3,294文字

 ハルと遭遇したのは、瞳と別れて数日が経過した後のことだった。

 場所は僕の通う大学の近くにあるカフェ〈うのはな〉

 ここはあの魚谷小晴の職場からも近く、彼の姿を度々見かける。以前は何度か声をかけたこともあったけど、最近は見て見ぬフリをして勉強に専念していた。仕事が忙しくておざなりになっていたレポートや宿題の片付けもあったからね。

 今日は彼の姿を見かけることなく、やることを滞りなく終わらせることができて、久しぶりにスッキリした気分だった。


 なのに。


ーーこんなこと、俺が言う資格ないですけど。

これ以上魚谷先輩を傷つけるつもりなら、近づかないでもらえますか。

 店を出たら、ハルが店員に絡まれていた。

 あの店員も見覚えがある。ここで魚谷小晴に遭遇すると、必ずといっていい程傍にいる男だ。多分、年は僕とそう変わらないと思う。

 全然面識なんてないんだけど、何故か僕に対してツンケンした態度を取ってきて、魚谷小晴に対して分かりやすい好意を向けているっていう、よく分からない男だ。

……アンタ、高校の時、よく小晴と一緒にいた後輩だよな?

そうですよ。だから、貴方のこともよく知ってます。

別に、知りたくなんてなかったけど……知らざるを得なかったから。

先輩はあの頃から貴方のことで傷ついてました。

決して口には出さなかったし、本人にその自覚はなかった。でも、ずっと傷ついてたんです。

昨日今日の話じゃないんです。

……。

俺はもう、先輩に傷ついて欲しくない。

だから、中途半端な気持ちであの人に近づかないでください。


言いたいのはそれだけです。

 険しい顔のままハルに背を向けると、店員は何事もなかったかのように店へ戻っていった。出入り口で彼とすれ違ったけど、僕に対するリアクションは一切なかった。

魚谷小晴に会いに来たの? ハル。


 突っ立ったまま動かないハルに声を掛けると、彼のくりっとした赤い目が僕を捉えて、またまん丸に見開かれた。


碧人? お前、何でここにいるんだよ?

僕の大学から近いんだ、このカフェ。

だから、たまにだけど魚谷小晴にも会うよ。

そう、なのか。

 再び彼の名前を出したら、ハルがぐ、と眉を寄せて俯いてしまった。

 これは、魚谷小晴とも何かあったんだな。

 ……何もない訳、ないか。あの人はハルの契約解除の件や僕らのことで酷くショックを受けていたもの。それにそのことを隠したままハルに接するような器用さもなさそうだ。

 ハルにそのことを尋ねて、拗れる展開は十分考えられる。

あのさ。今、時間あるか?
僕? 魚谷小晴に会いにきたんじゃないの?

ああ。お前と話したくてきたんだ。

事務所のマネージャーから、碧人は大学に行ってるって聞いたからさ、本当はカフェじゃなくてそっちに行くつもりだったんだけど、な。







 駅前のファーストフード店〈ゴールデンカフェ〉高校生や大学生で賑わう店内の隅で、僕は頭を下げたハルを呆然と見つめていた。

トレーニング?

お前の時間がある時でいい。モデルとして持ってるお前のノウハウを、何でもいいから俺に叩き込んでくれ。

できれば、お前から見て改善した方がいいところも教えて欲しい。

モデル、続けるつもりなの? 

契約を打ち切るって話、また出たんだよね?

 瞳はハルをせっついている様子だったけど、ハル自身はもう諦めているのだと僕は思っていた。

 だって、1度持ち上がったファッション雑誌の仕事を他のモデルに奪われて以来、事務所の事務ですら顔を見せることがなくなってしまったからだ。だから、瞳が何と言おうと、彼が求めるハルはもう現れないのだと思っていた。それならそれで、素直になってハルとまた復縁すればいいのに、瞳は相変わらずモデルのハルに固執して……。

 あの最悪の別れ際を思い出して眉を寄せていると、ハルがぱっと顔を上げた。一瞬怯んだように唇をきゅっと結んだのは、僕の表情が険しすぎたからかもしれない。

モデルを続けたい理由を、思い出したんだ。
理由?

……俺、小晴のこと、すげー傷つけちまったんだ。

あいつの優しさに甘えてたくせに、いざ隠してたことがバレたら「お前には関係ない」って冷たくあしらっちまって。

やっぱり、あの人、君に言ったんだ。僕と瞳が話したこと。

ああ。あの時はお前らにもすげー苛立ったけど、今は違う。

小晴を傷つけたのはお前らじゃなくて、俺なんだ。何にも言わずに、ただかっこつけてばっかいて……なのに、失恋のことを忘れたいからって、小晴の優しさに甘えて、恋人のフリまでさせ続けて。

 ハルの大きな赤い目がゆらり、と潤む。

 最早、『フリ』のことを隠すつもりがないってことは。

フリ、したくないって言われた?
……っあいつ、お前にも、言ったのか?
ううん。僕も、あの人と同じ立場だったから分かるだけ。
じゃあ、お前と瞳も……?
付き合いきれるわけ、ないじゃない。あんな最低なやつと。好きでいても、自分が苦しいだけだよ。
……苦しい、よな。あいつも、小晴もそう言ってた。

 ハルの歯切れの悪い口ぶりから察するに、あの人はきっと、ぼろぼろ泣いていたのかもしれない。

 その1番の要因はハルだと分かっている。でも、少しだけ胸が痛いのは単に共感しているだけじゃなくて、あの人を傷つけるきっかけを作ったのは僕でもあるんだと思ってしまったからだ。あの時はあの人の空気の読めなさに苛立ってしまったけど、真実を暴露した辺りは、どう考えてもただの八つ当たりだった。

フリなんて、君や瞳が思う以上に傷つくんだよ、付き合わされる方は。
……ほんとだな。
 今までだったら絶対に怒って反論していたところなのに、ハルは苦々しく笑ったままだった。
ーーそれで、あの人と別れたこととモデルを続けたい理由、どう関係があるのさ。むしろ、ますますやる気になんてなれないでしょ。

俺も、そう思ってた。

身近な味方だったあいつを傷つけて、俺は何がしたいんだってずっと考えててさ。んで、思い出した。最初にモデルをやってみようって思ったきっかけ。


小晴なんだよ。スカウトのこと1番に喜んでくれて、雑誌に掲載された時も誰よりも早く『見たよ』って教えてくれて、祝ってくれた奴。それは今も変わんなくて、小さな記事1つでもすげー喜んでくれるんだ。俺、それがすげー嬉しくて、でも、心の何処かでそれは当たり前なんだと思ってた。小晴は小さい頃からずっと一緒にいたやつで、兄弟みたいな存在だったからさ。

 ハルが眉を吊り上げて、僕を見据える。

俺、あいつを悲しませたままにしたくない。

俺は、あいつに笑ってて欲しい。俺のこと、これからも見て欲しい。

だから、あいつが誇らしく思ってくれるような俺になりたいんだ。

そう思うのは、『好き』だから? 彼のことが。
……ああ。

 迷いなく頷くハルに、僕はため息を吐いた。


 バカだな、瞳ってば。結局、ハルを彼から奪い返せなかったんだ。

 あんなに一途に思っていたくせに。

 僕を抱いていても、ハルのことしか見えていなかったくせに。

でも、あいつには言わない。
どうして?
散々迷惑かけて、泣かせちまった後だし……告白なんかしたら、多分あいつもっと傷つくと思うから。

 そんなことないでしょ、魚谷小晴はどう見てもハルが好きだったんだ。むしろ思いが成就すると分かったら喜ぶんじゃないかなって思うけど。

 言いかけたその言葉は、頭の片隅でちらつく瞳の顔のせいで喉の奥に引っ掛かって出て来ない。

今は、モデルとして1からやり直したい。変わりたいんだよ、俺は。

後輩の僕に頭を下げてまでして?

ああ。むしろもう、お前の方が俺より先輩みたいなもんだしな。

できることなら、何だってする。だから碧人、頼む。

……どうして僕に頼むのさ。

小晴との事情知ってんの、お前と瞳だけってのもあるし、何より事務所の看板候補のお前の実力は本物だってずっと思ってたんだよ。すげー悔しい話なんだけどさ。

でも、そんなやっすいプライドなんかどうでもいい。

俺は、このままで終わりたくない。

 再び頭を下げるハルの後頭部を見つめ、僕は静かに告げた。
ひとつ、条件がある。
ああ。
一定期間中、瞳の付き人をすること。それを受け入れるなら、僕も協力する。
……は?
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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