碧人番外編〈ウラ・イミテーション〉11.悪あがき
文字数 3,294文字
ハルと遭遇したのは、瞳と別れて数日が経過した後のことだった。
場所は僕の通う大学の近くにあるカフェ〈うのはな〉。
ここはあの魚谷小晴の職場からも近く、彼の姿を度々見かける。以前は何度か声をかけたこともあったけど、最近は見て見ぬフリをして勉強に専念していた。仕事が忙しくておざなりになっていたレポートや宿題の片付けもあったからね。
今日は彼の姿を見かけることなく、やることを滞りなく終わらせることができて、久しぶりにスッキリした気分だった。
なのに。
店を出たら、ハルが店員に絡まれていた。
あの店員も見覚えがある。ここで魚谷小晴に遭遇すると、必ずといっていい程傍にいる男だ。多分、年は僕とそう変わらないと思う。
全然面識なんてないんだけど、何故か僕に対してツンケンした態度を取ってきて、魚谷小晴に対して分かりやすい好意を向けているっていう、よく分からない男だ。
突っ立ったまま動かないハルに声を掛けると、彼のくりっとした赤い目が僕を捉えて、またまん丸に見開かれた。
再び彼の名前を出したら、ハルがぐ、と眉を寄せて俯いてしまった。
これは、魚谷小晴とも何かあったんだな。
……何もない訳、ないか。あの人はハルの契約解除の件や僕らのことで酷くショックを受けていたもの。それにそのことを隠したままハルに接するような器用さもなさそうだ。
ハルにそのことを尋ねて、拗れる展開は十分考えられる。
駅前のファーストフード店〈ゴールデンカフェ〉。高校生や大学生で賑わう店内の隅で、僕は頭を下げたハルを呆然と見つめていた。
瞳はハルをせっついている様子だったけど、ハル自身はもう諦めているのだと僕は思っていた。
だって、1度持ち上がったファッション雑誌の仕事を他のモデルに奪われて以来、事務所の事務ですら顔を見せることがなくなってしまったからだ。だから、瞳が何と言おうと、彼が求めるハルはもう現れないのだと思っていた。それならそれで、素直になってハルとまた復縁すればいいのに、瞳は相変わらずモデルのハルに固執して……。
あの最悪の別れ際を思い出して眉を寄せていると、ハルがぱっと顔を上げた。一瞬怯んだように唇をきゅっと結んだのは、僕の表情が険しすぎたからかもしれない。
ああ。あの時はお前らにもすげー苛立ったけど、今は違う。
小晴を傷つけたのはお前らじゃなくて、俺なんだ。何にも言わずに、ただかっこつけてばっかいて……なのに、失恋のことを忘れたいからって、小晴の優しさに甘えて、恋人のフリまでさせ続けて。
ハルの大きな赤い目がゆらり、と潤む。
最早、『フリ』のことを隠すつもりがないってことは。
ハルの歯切れの悪い口ぶりから察するに、あの人はきっと、ぼろぼろ泣いていたのかもしれない。
その1番の要因はハルだと分かっている。でも、少しだけ胸が痛いのは単に共感しているだけじゃなくて、あの人を傷つけるきっかけを作ったのは僕でもあるんだと思ってしまったからだ。あの時はあの人の空気の読めなさに苛立ってしまったけど、真実を暴露した辺りは、どう考えてもただの八つ当たりだった。
俺も、そう思ってた。
身近な味方だったあいつを傷つけて、俺は何がしたいんだってずっと考えててさ。んで、思い出した。最初にモデルをやってみようって思ったきっかけ。
小晴なんだよ。スカウトのこと1番に喜んでくれて、雑誌に掲載された時も誰よりも早く『見たよ』って教えてくれて、祝ってくれた奴。それは今も変わんなくて、小さな記事1つでもすげー喜んでくれるんだ。俺、それがすげー嬉しくて、でも、心の何処かでそれは当たり前なんだと思ってた。小晴は小さい頃からずっと一緒にいたやつで、兄弟みたいな存在だったからさ。
迷いなく頷くハルに、僕はため息を吐いた。
バカだな、瞳ってば。結局、ハルを彼から奪い返せなかったんだ。
あんなに一途に思っていたくせに。
僕を抱いていても、ハルのことしか見えていなかったくせに。
そんなことないでしょ、魚谷小晴はどう見てもハルが好きだったんだ。むしろ思いが成就すると分かったら喜ぶんじゃないかなって思うけど。
言いかけたその言葉は、頭の片隅でちらつく瞳の顔のせいで喉の奥に引っ掛かって出て来ない。
小晴との事情知ってんの、お前と瞳だけってのもあるし、何より事務所の看板候補のお前の実力は本物だってずっと思ってたんだよ。すげー悔しい話なんだけどさ。
でも、そんなやっすいプライドなんかどうでもいい。
俺は、このままで終わりたくない。