碧人番外編 <ウラ・イミテーション>2.契約

文字数 3,579文字

 ハルに茶番を仕掛ける2週間前。


 <Kanna-duki事務所>の会議室で、僕はマネージャーに押し倒されていた。

大丈夫だよ、碧人。痛いのは最初だけだ。

大人しくしてくれたら、とびきり良くしてあげるからね。


 鼻息も荒いし、涎がダラダラしてる。薬とかそういうのキメてるのかな。何せよ、生理的に受け付けないのは確かだ。

 僕の頰を摩る手が滑って気持ち悪い。僕の臀部を鷲掴みにする手も小刻みに震えていて、やっぱり気持ち悪い。


 さて、どうしようか。


 僕はお世辞にも体力には自信がない。向こうは贅肉200%のなかなかいいクッションがついてるから、僕の非力じゃ退かすのはまず無理。下腹の主張が強くて、弱点が見えにくいのも困りものだ。

 いっそヤらせておいて、後で上にチクろうとも思ったけど、コイツ、社長のお気に入りなんだよね。

 消されるのは僕の方、か。それでも構わないけど、理由が気に食わない。


 仕方ない。相手がモノを出すまでは大人しくしてるか。

 目を瞑れば視覚の記憶が残らないし。

いい子だねえ、碧人……。

 ねっとりとした声で囁かれて鳥肌が立ったけど、まあ、仕方ないね。耳を塞ぐものがないし。

ーーほう?  白昼堂々と新人食いか。

 すっと耳を通り抜けて行った声と小さなシャッター音に、僕ははた、として瞼を持ち上げる。

っひ、瞳っ!

なかなかいいアングルだとは思わないか。嫌がる新人モデルと、その上に覆い被さるマネージャーの下品な面。

これを見て、合意の上だと思う奴はいないだろうな。

 僕から飛び退いたマネージャーへ近づいてく長身の男――如月瞳

 この事務所の看板モデル。こんなに近くから見たのは、僕が〈サミダレボーイズグランプリ〉で入賞した時以来だった。

 瞳は右手に持ったメタリックレッドのスマホをマネージャーに突きつけ、にたあ、と底意地悪い笑顔を浮かべた。


以前からお前の新人食いには目が余ると思っていた。

お前が片っ端からスカウトしたモデルに手を出しているお陰で、折角引き入れた新人が使い物にならなくなっちまう。

ーーそして、何より、俺のモノに手を出しやがった時点で、お前は社会的に殺してやると決めた。

なっ、あ、あれはハルを狙った訳じゃない! あれは、あいつが邪魔をしたからっ……!

言い訳は檻の中で幾らでも言うといい。

 言いながら瞳がスマホに指を滑らせる。ぴ、ぽ、ぱ、と電子音が鳴り響いた瞬間、マネージャーはぎええ、と悲鳴を上げて逃げて行ってしまった。

 すると、瞳は途端に無表情になり、ふん、と鼻を鳴らした。


逃げ足の速い豚だな。何にせよ、上の人間には通達済み。解雇処分は免れん。

……。

それにしても、お前、犯されかけたというのに、可愛く泣く演技すらしないのか。つまらない奴だな。

何? 君ってそういうのが好きなの?

興味ないな。

お前こそ、抵抗の1つもしないとはな。もしかして、ああいう豚が好みか?

まさか。

ほう? じゃあ、レイププレイが好みか?

シたことないから、好みかどうかなんて分からないよ。

まあ、真面目に考えるなら女より男とする方がマシだとは思ってるけど? 

……変わっているな、お前。

そうだね。普通じゃない自覚はあるよ。

だから、あんまり関わらない方がいいんじゃない?

 捲り上げられていたシャツの裾を直すと、僕はゆっくりと立ち上がった。マネージャーから大事な仕事の打ち合わせだ、ってことで事務所に来たけど、全然そんな話もせずに押し倒されたから、最初からレイプ目的だったんだろう。仕事がないなら帰るだけだ。


 さて、空いた時間は何をしよう。

 そう考えながら開かれたドアから出ようとした瞬間、左腕を掴まれた。


何?

何じゃない。礼も言わずに立ち去るつもりか。

僕は別に君に助けを求めてない。

君が勝手にマネージャーを脅したんでしょ。

そうか。なら、お前も脅そう。

は? 

俺に協力しないなら、さっきの写真はお前があの豚をたぶらかした結果だと事務所に報告する。

協力?

大したことじゃない。演技すればそれでいい。

俺の浮気相手としてな。

は? 浮気? 

君、ハルと付き合ってるんじゃないの?

 瞳とこうして話すのはほぼ初めてだけど、彼の恋人の噂は僕も知っている。

 というか、その恋人——ハルは事務所に入った当初、僕の教育係として去年はずっと一緒にいた。だから、瞳のことよりも彼のことはよく知っている。

 その中で、ハルは度々瞳の話を出していた。

 直接「恋人なんだ」って言うことはなかったけど、瞳のことを話すハルは何よりもイキイキしていたし、その内容も瞳がいかにすごいか、というものばかり。

 だから、恋人の噂は本当なんだなって察していた。

 自分には関係のないことだな、と思いながら。


ハルから聞いたのか。

ハルを見てれば分かるよ。彼、分かりやすいもん。

まあ、否定はしない。

認めるんだ?

ああ。

そのハルを手酷く振るために、お前には浮気相手を演じてもらう必要があるからな。

何で振るの? ハルに愛想が尽きた?

あいつが俺と同じ時期にデビューしたことは、知っているか?

 瞳の言葉に僕はこくり、と頷いた。


デビュー当時はハルも毎月のように『サミダレボーイズ』で取り上げられていたし、ファンイベントでも目立つ存在だった。

今は見る影もないけどね。

そう。モデルとしてのハルは瀕死状態だ。

デビュー時はあんなにギラギラと野心に溢れ、常に俺を意識し、ライバル心をむき出しにしていたというのに。

今やうるさいのはベッドの中だけという有様だ。

……だから、振るの? 

モデルとしての魅力のないハルとは付き合えないって。

まあ、現状、瞳と釣り合わないけどさ。

違う。

「ハルの現状に不満タラタラだ」って顔に書いてあるよ?

不満は大有りだ。

だが、俺と釣り合わないから、振るんじゃない。


俺は、あのライバル心をむき出しに俺に向かって来たハルこそが、この業界に輝くに相応しい存在だと、世間に思い知らせたいだけだ。

……そんなに魅力的? デビュー当時のハルって。
でなければ、色恋の関係になどなっていない。

今でも、恋人として傍にいると、その片鱗を感じることがある。

しかし、現在のハルの意識が低いあまり、それは仕事上では現れない。

そうさせてしまった要因は、俺にもある。

だから、別れて、ハルにかつてのやる気を取り戻して欲しいってこと?

それってやっぱり、売れっ子の君と釣り合う存在になって欲しいってことじゃないの?

売れる売れないは関係ない。

そんなもの、関係なしに俺はあいつを愛している。


だが、現状のままではダメだ。

それは、本来あるべきハルの姿ではない。

だから、ハルにはモデルとしてのプライドを取り戻してもらわなければならない。

そのためには、あいつを堕落させているものを排除する。

……やっぱり、君の考えはよく分からない。

そもそも、ハルにそんな価値があるとは僕には全く思えないんだけど?

別に、他人のお前に全てを理解してもらおうなどとは思っていない。

俺がお前に求めるのは、ハルを振る道具として機能すること。それだけだからな。

道具って表現はどうなのさ。

なら、仕事と言い換えるか?

モデルの仕事にはお金っていう報酬があるけど、今の話は受けたところで、僕に何の報酬もないじゃない。

言っとくけど、ボランティアなんて興味ないから。

ならばあの写真を『美樹碧人の不適切行為証拠』として事務所に提出するが、いいのか?

君みたいに何としてもこの業界にしがみつきたいとか思ってないから、ご自由にどうぞ。

 ただの時間の無駄だった。


 はあ、とため息を吐いて、僕が踵を返した時、ぽつり、と瞳の呟きが聞こえてきた。

報酬があれば引き受けるのか?

……言っとくけど、お金ならいらないから。

……なら、犯罪的なことや俺の手に余ることでなければ構わない。

お前の望みを叶える、というのが報酬ではどうだ?

 ぴた、と足を止め、僕はゆっくりと振り返った。

 瞳の不機嫌そうな眉間の皺を見た途端、微かな愉悦が僕の中に浮かんだ。

なるほど。それなら悪くないかもね。

……お前の要求は何だ。

君の体。

 瞳が片眉をぴくりと動かす。

僕、恋愛は興味ないけど、『セックス』には興味があるんだ

だから、君の体を好きにさせてよ。君が『入れる側』でいいからさ。

……分かった。

意外とあっさりオッケーするんだね?

てっきり「ふざけるな」って怒るかと思ったよ。

あいつを容赦なく振るためなら、それくらいはしなければな。


ふぅん?

その報酬なら引き受けるのか?

 冷静に返しているようだけど、瞳。

 僕の目には突きつけられた要求に動揺するあまり、苛立つ君の姿が見えるよ。

 そんなに嫌なら止めておけば良いのに。堕落しようがなんだろうが、愛していることに変わりないならそれに満足していればいいのに。

 でも、


(悪くないね。クセになりそう、その瞳の顔)

楽しそうだから、いいよ。

ハルから君を、奪ってあげる。

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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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