1-9 続・シュラバ

文字数 4,321文字

勝負しろ、瞳。

 実ちゃんが、瞳さんにそう言い放ってから、約15分後。


あっ!? てめっ、セコい真似すんなっ!
どうした、ハル。お前の本気とやらは、こんなものか?
んな訳ねーだろっ! まだまだだっ!

 カウンター席に座る僕の背後から、実ちゃんの怒声と瞳さんの楽しそうな声が聞こえてくる。


 瞳さんの胸ぐらを掴んで勝負しろとか言うから、殴り合いの喧嘩をするつもりなのかと最初はハラハラしたんだよね。

 でも、勝負っていうのは、店内に設置されているダーツゲームでの対決のことだったようで……心配して損した。


 いつの間にか実ちゃんたちの周りにはギャラリーができていて、彼らのダーツゲームを楽しんでいるみたいだ。

 まあ、2人とも、目立つもんね。

 瞳さんなんて、テレビにも出てる人だし。……思い切り顔出ししてるけどいいのかな。


(実ちゃん、絶対僕のこと忘れてるよね……別にいいんだけどさあ……)

 1口しか飲んでいないウーロン茶のグラスを見つめ、僕は深々とため息を吐く。


 忘れられてるなら、僕、黙ってお店を出て行ってもいい気がする。

 でも、黙って帰ったら、後で実ちゃんから怒りの電話が掛かってきそうだしなあ。

 それに、一応、事情を知る身としては、このシュラバがどういう結末を迎えるのか、ちょっとだけ気になるし。

退屈だね。
はひっ?!

 左隣から聞こえてきた声に、僕はびくん、と大きく肩を揺らして振り向く。

 そこにいたのは、テーブルに肘をついてこっちをじぃ、っと見つめる碧人さん。彼の前に置かれた淡いブルーのカクテルは、出されてから1度も口をつけた形跡がない。


あの2人、完全に僕たちのこと忘れてるよね。
そ、そうですね……。
瞳はハルに構い始めると長いんだよね。ハルはハルでしつこいし……ほんと、時間の無駄遣いだよ。

 はあ、とため息を吐いた碧人さんが、カクテルのグラスに口をつける。

 そんな碧人さんの動きを、僕はつい目で追ってしまう。

 顔もパーツも小さいなあ。肌も白くて、一切無駄なものがない。

 それは瞳さんや実ちゃんも同じだけど……って、そりゃそうだよね、3人ともモデルなんだから。


 ……っていうかさ。

 何で碧人さんは僕と並んで座ってるんだろ。瞳さんと実ちゃんの勝負に関心がないのかな。 

 それとも……。

……。(じっ)
な、何ですか?
別に。(じ〜)

 「別に」っていう淡白な返事に対して、意味深な視線が容赦なく突き刺さってくる。

 綺麗な子に見つめられるのは嫌じゃない。

 嫌じゃないけど、感情の読めない眼差しをしているせいか、怖い。

 


(い、一体何なんだろう……ぼ、僕は別にモデルでも何でもないし、見ても全然面白い顔もしてないと思うんだけど……)

 碧人さんからの不気味な視線を感じつつ、僕がウーロン茶を口に含んだ時だった。


君、ほんとにハルと寝たの?
ぶへぇっ?!

 ド直球な質問に、僕は思わず口に含んだウーロン茶を一気に噴き出してしまった。

 ウーロン茶のグラスやそれを持った僕の手、カウンターテーブルまで汚れちゃった。

 アワアワする僕に、カウンターでシェイカーを振っていたバーテンダーさんが無言でおしぼりを渡してくれた。


す、すみません……けほっ。
……どうなのさ?

 おしぼりでテーブルを拭く僕に、碧人さんが再び尋ねてくる。

 僕がウーロン茶を噴き出したことについては、スルーらしい。

(ど、どうしよう……でも、ここで馬鹿正直に「いえ、フリなので」なんて答える訳にもいかないよね。一応、『恋人』だし)
……。(じ〜)
ね、ねねねねね寝まし……たけど。
嘘だね。
ぅえっ?!

君、最初からハルに対する態度がおかしかったから。

ハルが君の方を向く度に、変な動きしてたし、抱きしめられた時も嫌そうだったし。

嫌、というより、ハルに触られるのが怖いんだと思った。

そ、そんなことはっ。
だから、ハルにレイプでもされて、無理矢理関係を持たされたのかなって思ったんだ。

でも、ハルはそこまでアブノーマルじゃないし、攻めるより攻められたいタイプだって瞳が言ってたのを思い出したから、それはないかなって。

(さらっとレイプって言った! さ、さすがに実ちゃんもそこまではしないよ! 多分
君がハルを攻めるって感じでもないよね。何より、君たち2人には色気の『い』の字もない。

「ハルがセックスなしの清い恋愛関係を保てる訳がない」って、瞳も言ってたし……それを踏まえて考えると、君たちが恋人同士って言われても全然ピンと来ないんだよね。

(か、返す言葉が見つからない……)

 ウーロン茶が染み込んだおしぼりを握りしめたまま、僕は必死に言葉を探す。

 でも悲しいことに、実ちゃんをフォローできる言葉が何も浮かばない。

 そんな僕に構わず、碧人さんは全く表情を変えずに話を続けてくる。


君、何でハルの恋人のフリなんかしてるの? ハルに弱みか何か握られてるの?
よ、弱みは、昔からよく知っている間柄なので、お互いに知ってますけど……。

でも、そんな、脅されてるとか、そういうのは全然……。

違うの? 

じゃあ、尚更分からないな。ハルのワガママに付き合って、君に何か得でもあるの?

と、得って……。
例えば、お金を貰ってるとか。
い、いやいやいやっ、何も貰ってませんから!
じゃあ、君はほんとにハルのこと、好きなの?
え。

 碧人さんから出た「好き」の言葉に、僕はびくり、と体を震わせた。


っ何で? 

実ちゃんが近くにいないのに、何で動悸がするんだろう。

碧人さんの前でもしちゃうってこと? いや、でも、彼とは初対面だし)

 グルグル考えながらも、僕は激しい音を立てる心臓を落ち着かせようと、胸元をトントンと叩く。

 そんな僕を追いつめるかのように、碧人さんは更に話を続けてきた。


図星? へぇ、君、ハルのことが好きなんだ。

い、いやっ、違……っ、じゃ、じゃなくて、恋人、だからそれはも、もちろん……です。


(お、落ち着けっ! 変なこと言っちゃダメだっ)
まだその下手な演技続けるの? 

そんなことするくらい好きなんだ。

肝心のハルは、瞳に未練タラタラなのに。

虚しくならないの?

えと……。

ハルもバカだよね。

僕と瞳の関係を知った時、口では文句ばっかり言ってたけど、今にも泣き出しそうな顔してた。

自分にも、別に本命がいるって言った時もそうだった。

そんなの嘘だって、僕も瞳も分かっていたのに。

 碧人さんの視線が、ちらり、と背後に向けられる。

 つられて僕も視線を移すと、瞳さんに詰め寄る実ちゃんの姿が見えた。眉を吊り上げて何やら文句を言っている様子の実ちゃんに対し、瞳さんは余裕たっぷりの笑顔を浮かべている。

今も、ああやって悪あがきしてるけど、結局瞳に遊ばれてるし。

決定的な場面を見ちゃったんだから、引き下がればいいのに。

そうすれば、無駄に傷つかずに済むのにね。

……諦めが悪い人なんですよ、実ちゃんって。

 怒っていた実ちゃんが、不意ににやり、と唇の端を吊り上げる。

 その笑顔につられるように、僕も笑った。


昔から、そうなんです。好きになったら一直線で、僕や周りが何を言おうがお構いなしに突っ込んで行く。自分で納得して引かない限り、彼の恋は終わらないんです。
そんな感じだろうね。瞳とのイザコザを見てるとそう思うよ。

他人から見れば呆れてしまうくらい、全力なんですよね。実ちゃんの恋は。

実ちゃんが好きな人のことを話す時、心の底からその人のことが好きなんだなって伝わってくるんです。その気持ちを感じ取る度に、僕まで嬉しくなっちゃって。

嬉しい? 君には関係のないことなのに?
確かに僕は部外者ですけど。実ちゃんとは小さい頃から一緒だったし、お互いのことは何でも話していたから……実ちゃんは、もう1人の僕みたいなものかも。全然性格は違うんですけど。

だから、自分のことみたいに嬉しいのかもしれないですね。

今回の瞳さんのことも、真剣なんだなって思います。

浮気されても、「別れろ」って言われても諦められないくらい、好きなんだって。

(復讐、なんて言ってたけど、本当はそうじゃないよね。瞳さんのこと、まだ好きだから……諦めてない。瞳さんにまた振り向いて欲しくて、僕にフリを頼んだんだ)
(きっと、そのせいだ。今の実ちゃんを見てると、胸の奥が苦しくなる)

 その苦しさから逃れるように、僕は隣の碧人さんに視線を移す。

 碧人さんは相変わらず、じぃ、と僕を見ていた。

僕は、恋愛をしている実ちゃんのことが、好きなんです。

モデルの仕事をしている時と同じで、キラキラしているから。

そういう輝きを、僕は持っていないから、すごく羨ましく感じるんです。

……君にはハルが、キラキラしているように見えるの?
はいっ!
……悪あがきしてる今も?
もちろんです。

相手に別れを切り出されて、未練タラタラに愚痴る実ちゃんも、悪あがきする実ちゃんも、僕には眩しく見えます。

だから、応援したくなっちゃうんですよね。

 は〜、と碧人さんが深々とため息を吐いて、額に右手を押し当てた。
頭痛ですか? 頭痛薬ありますよ。
……君って、変わってるね。

見た目は、どこにでもいそうな一般人って感じなのに。

え、えっと、まあ、よく言われます……。
だろうね。

君、一応ハルと付き合ってるっていう『設定』じゃないの? 

応援してどうするのさ。

……あっ。

 眉間に深々とした皺を刻んだ碧人さんにそう言われた瞬間、僕は体が燃えるように熱くなるのを感じた。


あ、ああああああのっ! い、今のは、そのっ! 言葉のあやというか何と言うかっ。
大丈夫。今の話で、君がいかにハルを好きか、分かったから。
そ、それなら良かっ……た?
ハルを好きになる人間は、総じて変な奴ばっかりだね。

その中でも君は、とびきり変な奴だよ。自信を持ってもいいと思う。

あ、ありがとう、ございます……?

 あれ? 褒められたような気がしたけど、地味に貶されてもいたような……。

 ぎこちなく笑う僕に、碧人さんは初めてくす、と小さく笑った。

じゃあ今夜は君にとって、絶好のチャンスだね。
へ?
ハルは瞳に勝てない。勝てたことが1度もないんだ。

ダーツも、瞳に1から教えてもらってできるようになったって、言ってたし。

そ、そうなんですか?
うん。だから、この勝負、勝ち目がないことはハル自身がよく分かってるはず。

それでも挑む辺り、ハルらしいといえばらしいけどね。

いつも通りなら、3時間はやると思うよ。

多分、瞳はすぐに飽きるだろうけど。

……チャンスって、どういうことですか?
えー……分からないの? ニブすぎ。
う。
まあ、3時間後を待ちなよ。

そうすれば、ニブい君でもきっと分かるから。

 それ以上は話しても無駄、と言わんばかりに、碧人さんは僕からふい、と視線を逸らしてしまったのだった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色