碧人番外編〈ウラ・イミテーション〉12.けじめ(終)
文字数 5,198文字
ハルの頼みごとを聞くまで、瞳と関わるつもりなんて一切なかった。
だけど、その一方で瞳のことを自然と目で追いかけていたり、彼の情報を集めていたのも事実だった。だから、知ってたんだ。瞳の付き人が辞めたばかりで、後任を事務所が探していたことも。
ハルの承諾を得た僕は、その足で瞳の元へ押しかけ、その話を彼に突き付けた。
もう関わらないと宣言していたのに、あっさりそれを破り、その上「ハルを瞳の付き人にしろ」と迫った僕に瞳は困惑を隠せない様子だった。
最初は頑として断った瞳だったけど、
瞳がそう告げたことにより、ハルは彼の付き人をすることになった。
普段から事務を手伝っていたハルは即戦力になる、ということで事務所側からもあっさり許可が下りた。
それから1週間、彼らの様子を観察しているけど、問題なくやれているようだ。瞳は何かにつけ「行動が遅い」と文句を言っているけれど、ハルはへいへいと軽く受け流しながら、求められるままに動いている。一応彼もモデルとして仕事をこなしてきた立場だから現場なれしているし、スタッフとの連携もそつなくこなしている。
そんな話も、チラホラと聞くくらい、ハルの評価はじわりじわりとだけど上がっている。けど、ただ単に付き人をするだけじゃなく、瞳の仕事を観察しながらメモを取ったり、スタッフと密に話して、コネクション作りにも力を入れていたりと、ハルなりに努力を重ねていた。
そして、付き人としての仕事が終われば、トレーニングに取り組んだ。内容は、瞳と僕がハルにメイクのコツを指南したり、今までのモデルとしての仕事を再確認させた上で意見を述べてみたり、とその日によって様々だ。僕は余裕のある時だけ参加しているけど、瞳は常にハルと一緒だから、毎晩付き合っているみたいだ。
今日のトレーニング終了後。〈SHIWASU〉で遅い夕食を取りながら、ハルが苦々しげに呟いた。
ぐ、と瞳の鳶色の目が不愉快そうに歪められるのを見て、僕は口に入れた梅酒が甘く蕩けるのを感じた。
瞳の1番好きなところはどこか、と聞かれたら、この悔しそうな顔って答えるかもね。
瞳が何か言いたげに唇を開く。でも、それはハルが戻ってきたことで再び固く閉ざされた。
数日後。瞳は初エッセイ発売に向けて動き始めた。
各書店へ送るサイン本の作成や、大型書店で行われるサイン会イベントの準備をハルと共に事務所で行っているらしい。もちろん、瞳には他にも映画関連やドラマの仕事を抱えていて、普段以上にタイトなスケジュールになっているようで、
ハルは苦笑いしてそう言っていたけど、瞳に効果のある言葉じゃないよね。瞳の最優先はハルなんだもの。
僕が瞳の楽しみを奪うつもりでハルのトレーニングに代理で付き合おうかと思ったけど、僕も仕事や大学の課題が重なってしまってなかなか行けずじまいだった。
そして、今日。夜だけどようやく時間が取れた僕は、事務所で作業していると言う2人の元に行ってみることにした。
時間によっては行けないと思っていたから、事前に2人に連絡を取ることもなく、足を運んだのだ。
事務所スタッフから2人が会議室の1室でサイン本作成をしていると聞き、一応差し入れにと買ったほうじ茶ラテを3本持ってその部屋を訪れた。うっすらと開いたそのドアの前で不意に足を止めて、ドアノブをスルーしてそっと隙間を覗き見る。2人きりの時の瞳の様子って、ちらっとしか見たことがなかったから、興味があったんだ。
眩しい白の蛍光灯の下、山積みされたエッセイ本の傍らで、ハルがうつらうつらと船をこいでいる。瞳と常に一緒だし、付き人としての仕事だけじゃなくてアルバイトや彼自身のトレーニングもあるから、ハルもハルでハードな日々を過ごしているんだよね。今日は疲れがピークに達したんだろうな。
その隣で、瞳がじ、とハルを見つめていた。手元に開いたエッセイにペンを傾けてはいるけれど、全然動いてない。
瞳の呼びかけに、ハルは微かにうなり声を上げた。でも、重たい瞼が持ち上がる様子はない。
と、その手からペンが滑り落ちた。その手が伸ばした先にあったのは、半分夢の世界へ足を突っ込んでいるハルの頬だった。
んん、とまた声を上げたハルだけど、やっぱり目が覚めない様子。
それをいいことに、瞳が身を乗り出して、その寝顔に顔を近づけてーー。
瞳の本心は分かっていたし、僕自身も明かしたほうがいいと促していたことだ、驚きはなかった。
でも、その台詞を瞳の口から直接聞くと、否応無しに顔が引きつるのを感じてしまった。
それに対し、ハルの表情は変わらなかった。瞬きもせず、じっと瞳の顔を見つめている。
瞳。俺はお前のこと、同期のモデルとしてすげー尊敬してるし、変わらずライバルだって思ってる。
だけど、『恋人』としてお前のことを見ることは、もうない。
俺、好きな奴がいるんだ。『恋人』になるなら、そいつとがいい。
ついに、ハルがその言葉を口にした。
けど、僕の予想と違って、瞳の表情は見る見る内に晴れ晴れとしたものへと変わっていった。すっきりとした笑顔で、僕だけじゃなくて、ハルもちょっとびっくりしたみたいに目を丸くしていた。
本当に無自覚だったらしいハルが、かあ、と頬を赤らめる。
言われてみれば、確かに僕の指導をしていた時も『とろくさい従兄弟』の話は出てたかもね。あまりにも関心がないから、気にも留めなかったけど、ハルを好きな瞳からすれば、気が気でなかったのかもしれない。だから、フェイクとして彼が現れた時、あんなに怖い顔をしていたのかもね。
ひひっ、と笑うハルに、瞳も鳶色の目を和ませて微笑む。
顔の距離も近いことも相まって、2人がこの流れの中くっついてしまうんじゃないかって思ったら、僕の体は勝手に動いていた。
固まる瞳の胸元を引っ掴むと、僕は唇を重ねた。
ハルの前でするキスは、あの時以来。あの時にも少しだけ感じたゾクゾク感を再度味わえて、たまらない。
瞳の睨みをさらりと躱して、僕は放置されていたエッセイを手に取った。
巻かれた帯には『ここで終わらせない。もっと広い世界へファンを連れて行きます』という瞳のメッセージが刻まれてる。
挑発的に笑ってみせれば、瞳は鳶色の目で僕を睨んだまま、唇の端を吊り上げた。