6-3 ほうじ茶ラテの誘惑

文字数 2,222文字

『悪い。次の休み、仕事が入っちまった。予定決まったらすぐ連絡するから!』
(そっか、了解。お仕事、頑張ってね……っと)

 少し遅めの昼食を取りにカフェ〈うのはな〉にやってきた僕は、1時間前に届いた実ちゃんのメールを眺めていた。

 とんとん、とメッセージを打ち込んで送信すると、僕はうぅん、と背伸びをする。

 ふっと力を抜いたら、そのままテーブルにごろん、と寝転がった。ここのテーブル、木のいい匂いがするしちょうどいい冷たさだからほっぺを当てると気持ちいいんだよね。

(そっかあ、次のデート、やっぱりキャンセルになっちゃったか……元々、そうなるかもって言われてたから、大きなショックはないけど。

実ちゃん、最近忙しいもんね。ようやくモデルらしい仕事を回されるようになってきたって、喜んでたし。小さいけど、雑誌のお仕事もあるって言ってたから、今から発売日が待ち遠しいくらい僕も嬉しい)

(だけど、こうも会えない日々が続くと、ちょっぴり寂しいと言うか……。

でも、会えても、キスもできないし手も握れない……)

 ちらり、と視線をテーブルから真横に置いているコーヒー入りのマグカップに移す。緑色のマグカップに映るアンニュイな自分の顔に、重いため息が零れた。
相変わらず、悩みが尽きないみたいですね、先輩。

 ふわり、と優しいスパイスの匂いとそれによく合う声が聞こえてきた。

 ばっと体を起こすと、テーブルに具沢山の五穀米カレーが置かれている。

 その右隣に鏡みたいに磨かれたスプーンを置いたのは、笑顔の木谷くんだった。

カレー、お待たせしました。お疲れさまです、先輩。
あ……お、お疲れさま……。

 突然だったから、ちょっとあからさまにぎこちない返しをしてしまった。でも、木谷くんはにこりと笑い返すだけ。



 実ちゃんと無事に付き合うことになってすぐのこと。木谷くんとどう話をしようかと迷う間もなく、彼の方から寄ってきてくれて、実ちゃんとのことを聞いてくれたんだ。正直に付き合うことになったことを告げれば祝福してくれて、少しだけ涙ぐみそうになってしまった。

 そんな僕に、木谷くんはこうお願いしてきた。

その、難しいと思うんですけど。今まで通り、俺に話しかけて下さい。それが、俺の望みなんで。俺も、今まで通り、先輩にじゃんじゃん話しかけますから。

 こうして顔を合わせる度に緊張しちゃうけど、それは多分、木谷くんも同じ。

 でも、僕から距離を取ることなく接してくれる彼の気持ちが嬉しいから、僕もできる限り笑顔で答えるようにしてる。

……水野先輩のことで、悩んでたんですか?
き、木谷くん、ホントに何でもお見通しだね。

お見通しっていうか、先輩が分かりやすいだけですから。

元気なさそうだから、もしかしてあまり水野先輩と上手く行ってないのかなって思ったんですけど。

上手く行ってない訳じゃない……とは思うんだけど。進展できていないというか、むしろ後退しているって感じかな。
後退……って、上手く行ってないじゃないですか。

確かにね。でも、ホントに実ちゃんとの関係が悪い訳じゃないんだ。お互いに、ちゃんと好きだって分かってるし。

だけど、体が心に追いついてないみたいでさ、実ちゃんに触られると体が強ばっちゃうんだ。

正直なところさ、フリをしてた時の方がまだリラックスできてたし、安心もできてたんだけど。
まあ、マジな恋愛は上手いこと行かないもんですよ。

 ふ、と少しだけ寂しそうに目を伏せた木谷くんに、ちょっぴりずきり、と心臓が痛んだ。

 でも、悟られる訳にはいかないから、笑顔で誤摩化した。

困ったなあ……気持ちはもう十分どんとこいって感じなんだけど。
いっそ、後先考えずに大胆に動いてみたらどうですか? 案外、上手く行ったりして。
大胆って、例えば……。
ずべこべ言わずにさっさとセックスすればいいんだよ。
なるほど、さっさとセッ……。
 うっかり口にしかけた台詞のヤバさに、僕はうぐ、と小さく呻いた。

 ギョッとして固まる木谷くんから、誰もいないはずの正面の席へ恐る恐る視線を向ければ、アッシュグレイの髪に黒ぶち眼鏡の男の子がずずず、と音を立ててマグカップを啜っていた。

こんにちは。相席、いい? もう座ってるけど。
あっ……おと、さん、ほんとにいつも突然ですよね?!
別に、驚かせるつもりはないんだけどね、いつも。
で、さっきの話、ちょっと聞かせてもらったよ。

君、あれこれ考えすぎて、焦れったい。

だから、頭空っぽにしてやっちゃいなよ。

なっ?!
そ、それができたら苦労しないんですよぉ!

できたらもう、やってますって!

えっ?!
やる気はあるんだ。君、最初と比べると大分進歩したんだね。
そんなことないですよ。今は最初よりも全然ダメです。

今までできてたのが嘘みたいに、手も繋げなくて。

あんなに練習して、できるようになってたのになあ……。

……じゃあ、練習する?  僕と。
へ?
は?
ハル相手じゃ緊張しちゃうんでしょ? だから、相手を変えてみたらどうってこと。

ぶっちゃけ、そこの店員の子でもいいと思うよ。でも、彼はハルの要素、少なそうだから練習にならなそうだし。

……ムカつく。
 碧人さんの言葉に木谷くんがムッと眉を寄せて何か呟いたみたいだけど、よく聞こえなかった。

 

いやっ、あの、僕は……っ!
だから、僕が相手してあげるよ。

ちょうど、退屈してたからさ。

 小首を傾げて満面の笑顔の碧人さんは眩しいくらい可愛くて、そのまま雑誌の表紙を飾れそうなくらい魅力的だった。
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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