1-4 定期連絡

文字数 4,494文字

……やっぱり、終わんない……。

 午前0時まで、あと少し。

 深夜という時間帯に不釣り合いなほど明るい自室で、僕はノートパソコンの画面と睨めっこしていた。

 パソコンの前に座ったのが9時くらいだったから、作業を始めて3時間が経過したのか。


なーんだ♪ 3時間しか経ってないんだ〜。じゃあ、「まだまだ終わらない」なんて結論付けるのは早いよね。

作業する前から、日付が変わる頃になっても、パソコンと向き合ってるだろうって予想はしてたし! 予定通り予定通り! 

さーて、どのくらい残ってるのかなあ?

 妙なハイテンションになった僕は、ウキウキしながらパソコンの横に置いていた企画書を手に取った。


……まだ、半分以上も残ってる……。

 残りページの厚みを確認し、僕はがっくりと肩を落とした。

 1つ1つの指摘が細かいんだよね、日和さん……もとい、編集長は。それも、僕が「突っ込まれるかな〜」って懸念していたところだけじゃなくて、全く気に留めてなかったことも指摘する。「甘やかすつもりはない」と言っていた時の彼の笑顔が、今になって恐ろしいもののように思えてきた。

 でも、これも1つの試練。一人前の編集者になるために、乗り越えなくちゃいけない壁だ。この指摘の山に躓いているようじゃ、僕に期待してくれている編集長をがっかりさせてしまうかもしれないし!

よぉしっ、コーヒー淹れ直して、頑張ろ〜。

 背筋を伸ばし、カップに残っていたコーヒーをぐいっと飲む。その冷たさと苦みに、頭の片隅で燻っていた眠気が吹っ飛んだ……気がする。

 空になったカップを手に、僕が立ち上がった時、コミカルなメロディが聞こえてきた。子供の頃によく遊んでいたゲーム、ミラクルオニ男ギャラクシーのテーマソング(カラオケver.)――もとい、僕のスマホの着信音だ。

 この着信音に設定している相手は1人だけ。

 ……というか、その人が勝手に僕のスマホの設定を弄ったせいだけど。


はいは〜いっと。
 返事をしながら、僕はベッドに置いていたスマホを手に取る。ディスプレイに表示された『実ちゃん』の文字をとん、と軽くタップ。
はい、もしもし。
……
あれ? もしー? 実ちゃんでしょ? 

もしもーし。

……小晴?
 ようやく聞こえてきた実ちゃんの声は小さくて、テンションが低かった。
うん、小晴だよ。
……本当? 俺、間違って掛けてない?
えー、何その確認。

あっ、実ちゃん、酔ってるでしょ。

酔ってねえーもーん


うわ、分かりやすい反応。

どんだけ飲んだの?

『コーラとジンジャーエールしか飲んでないし。全然酔ってないし』
へー、実ちゃんって炭酸で酔えるんだ。すごーい(棒読み)。
ふへへへ
誇らしげに笑ってるけど、全然褒めてないからね? 

とにかく、もうお酒はおしまいにしなよ。二日酔いで苦しみたくないでしょ?

『むー……酔ってねーもん。んぐ。

あー、黄色のコーラうめぇ〜。大人のほろ苦さがしみる〜』

……もー。

 僕はやれやれとため息を吐いて、ベッドに腰掛けた。

 実ちゃんの電話は、基本的に長い。酔ってるなら、尚更ダラダラ喋るだろうし、すぐに仕事に戻るのは難しいだろう。

 まあ、いいんだけどね。ちょっと気分転換したかったところだから。

 こうやって、深夜に実ちゃんが電話を掛けてくるのは、2週間に1度くらい。

 実ちゃんが実家を出てから、約5年。この(大体)定期連絡が、僕と実ちゃんの恒例行事になっている。

 でも、実際に顔を合わせる回数は、1年に1度あるかないかくらいだ。

 最後に会ったのは1年くらい前かな。確か、去年のお正月……だった気がする。


 高校卒業から、お互いの進路が別れたこと。実ちゃんが1人暮らしを始めたこと。

 僕らが顔を合わせなくなった主な物理的要因は、この2つ。

 それでも、会おうと思えば会えた。僕の家から電車に乗れば、1時間くらいで実ちゃんが住んでるマンションに行けるし、お互いの休みを調整すれば、時間だって作ることができたんだ。

 でも、僕らは……少なくても、僕はそうしてこなかった。

 それは、僕がとある事情のため、実ちゃんと直接会うのを避けているから……なんだけど。

 まあ、それはとにかく。


それで? 今日はどうしてそんなに元気ないのさ。何かあった?
『んー……あ、雑誌、見てくれたんだよな。ありがと』
久しぶりに見られて、僕も嬉しかったよ。欲を言えば、もっと大きな写真で見たかったけどね。それくらい、いい笑顔だったからさ。
『……お前ってさ』
ん?
マジ、いい奴だよなあ! やっぱりさ、俺のこと一番に褒めてくれて、甘やかしてくれんのって、小晴なんだよなあ
え、何。何か怖いんだけど。

 声を張り上げた実ちゃんにただならぬ空気を感じ、僕はこわごわと呼びかけた。

 ごんごん、って鈍い音が聞こえてくる。これ、実ちゃんが持ってるグラスをテーブルに叩き付けてる音かな。酔っ払ってテンションが上がると、よくやるんだよね。

『決めた。俺、小晴と付き合う
……いやいやいや。実ちゃん、今、フリーじゃないでしょ。確か、一年くらい続いてる彼氏がいるじゃ……。

 次の瞬間、ダァン!と鋭い音が僕の鼓膜を打った。

 その衝撃に、僕は反射的に「ごめんなさい!」と実ちゃんのポスターに向かって頭を下げてしまった。


……
えっと、うん。僕、言っちゃいけないこと、言ったんだ、よね? ごめん。
……すぐ謝るんじゃねーよ。ばーか
いや、だってさ……。
ばーか
……あのさ、話、聞くよ。というか、聞いて欲しいから電話したんでしょ?

 弾ける笑顔の実ちゃんのポスターを見つめながら、僕は努めて優しい声音で尋ねる。

 今の実ちゃんはきっと、ポスターと真逆の表情を浮かべてるんだろうな。

別に、そんなつもりじゃねーし
も〜。僕相手に強がらないでよ。今更でしょ?
……小晴ぅ

 ぐすぐす、と鼻を鳴らす実ちゃん。

 その聞き慣れた音を聞きながら、僕はやっぱりか、と密かにため息を吐いた。

 実ちゃんに何があったのか、大体想像はできた。

 だってこの流れ、僕にとってはお馴染みのものだから。

 中学生の頃から、変わらないよねえ。

実ちゃんがお付き合いしてる人って、同業者(モデル)だっけ。
……あいつはさ、俺よりずっとずーっと上にいるんだよ。それに見合った実力も人気もあるのは、分かってる
うん。
(実ちゃんがその人に入れ込んでるっていうのは、電話で話を聞いていて、僕もよく知ってる。大体、付き合っても半年も持たなかった実ちゃんが、1年以上続いている時点ですごいよ)
(……そういえば、恋人さんの名前、僕知らないや。モデルで、同じKanna-duki事務所の人ってことは、実ちゃんの話から推測できたんだけど。

今までの恋人さんのことは名前はもちろん、性格や好きな食べ物まで実ちゃんが自分から話していたくらいなのに……。

けど、今は聞くタイミングじゃないな、どう考えても)

あいつが忙しくなって、仕事の時も休みの時もあんまり会えなくなって……それでも俺は、あいつ一筋だったんだ。他の男になびいたりなんて、これっぽっちもしてねえ。なのに……

 実ちゃんの、ずびっと鼻をすする音が大きくなった。

 酔ってる分、泣き方も豪快になってる気がする。

小晴……俺、もう、男を信じられる気がしないんだ……
うーんと……。

僕も実ちゃんも男なんだけど、ってツッコミしたら、また怒られそうな気がする)

泣いちゃうくらい辛いことがあったんだね。
マジあり得ねえし……何であんな終わり方しなきゃなんねえんだよ……
辛いねえ。

何も知らないで、好きだって言い続けてた俺、馬鹿みたいじゃんか


 ちーん、と鼻をかむ音が、僕の鼓膜をくすぐる。
実ちゃん、変わらないね。好きになると一直線、ってところ。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうくらい、その人のことが大好きになっちゃうんだよね。
(まあ、振られても、すぐに別の相手を見つける立ち直りの早いところもあるけど
実ちゃんに愛されてる人は、幸せ者だと思うよ、僕は。

……小晴

ん?
俺と付き合って
励ましてはあげられるけど、同情でも実ちゃんと付き合うのはちょっと。
ひでー! お前だけはどんなことがあってもいいよって言ってくれると思ったのに! 裏切られた!
実ちゃん、寂しいからって、僕に「付き合って」はヤケになり過ぎだよ。
『んー……まあ、確かにな。言っておいてアレだけど、すげー違和感あるし』
でしょ? 言われた僕も変な感じがするよ。

 鼻をすする音が止んで、実ちゃんの声音も穏やかなものになってきた。酔いが醒めた訳じゃないだろうけど、涙は止まったのかな。

 対する僕の心は、何だかざわざわして落ち着かない。冗談でも、「付き合って」なんて言われたことがないからかも。

 そんな恋愛経験ゼロの僕なのに、実ちゃんの恋愛相談を毎回受け持っているのも、おかしな話だ。小さい頃から一緒だから、1番話しやすいってことと、実ちゃんの長話に付き合える友達がなかなかいないってことが理由なんだけどね。

 とにかく実ちゃんも落ち着いたみたいだし、適当に電話を切って、仕事に戻ろうかな。

 そう思って、ベッドから腰を浮かした時のこと。


『じゃあさ、デートしよう』
……へ?
『何だかんだ、1年くらい会ってないじゃん? だから、久しぶりに一緒に遊ぼうぜ』
……あ、ああ! そういう意味か。
『どういう意味だと思ったんだよ?』
い、いやあ、だって、「付き合って」からの「デートして」だったから、頭が一瞬真っ白になっちゃって……って言うか、言い方が紛らわしいよ。
『そうか? まあ、何でもいいけどさ。とにかく、会おうぜ。今週末くらいにどうだ?』
あ、うん、多分大丈夫、だけど……。
『待ち合わせ場所は、いつもの駅でいいよな? お互い住んでるところの中間にあるし、遊ぶ場所もいっぱいあるし』
う、うん、分かった。
『よし。じゃあ決まりな。

はー、泣いたらスッキリした。

俺、寝るわ。おやすみ』

お、おやす……。

 僕の「おやすみ」を待たずに、ぷちり、と通話が切れる。

 途端に脱力してしまった僕は、ベッドに寝転んだ。


(実ちゃん、変わらないなあ。自分の気分で人のこと振り回すトコ……ああいうところで、恋人に愛想を尽かされちゃってるんだよねぇ、多分。

従兄弟として、教えてあげるべきかな。でも、絶対受け入れないんだろうなあ)

 あはは、と苦笑いを浮かべ、僕は通話の切れたスマホを見つめる。

デート、かあ。
楽しみだなあ。
 思わずそんなことを呟いた途端、僕の心臓がばくばくと忙しない音を刻み始めた。
……んんん??
(実ちゃんと電話で話すだけなら、平気だったはず……だよね。

なのに、何で今、心臓がばくばくしてるんだろ。動悸は、実際実ちゃんと会った時にしか起こらないはず……)

疲れてるのかな、ずっと企画書と睨めっこしてたし……。

って、そうだよ! まだ仕事が残ってるんだった! 切り替えないとっ)

 僕はベッドから起き上がると、自分の頬をぺちぺちと叩いた。

(よし、早く仕事を終わらせて、できるだけ睡眠時間を確保しよう。今週末、思い切り遊ぶためにもっ!)
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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