1-4 定期連絡
文字数 4,494文字
午前0時まで、あと少し。
深夜という時間帯に不釣り合いなほど明るい自室で、僕はノートパソコンの画面と睨めっこしていた。
パソコンの前に座ったのが9時くらいだったから、作業を始めて3時間が経過したのか。
作業する前から、日付が変わる頃になっても、パソコンと向き合ってるだろうって予想はしてたし! 予定通り予定通り!
さーて、どのくらい残ってるのかなあ?
妙なハイテンションになった僕は、ウキウキしながらパソコンの横に置いていた企画書を手に取った。
残りページの厚みを確認し、僕はがっくりと肩を落とした。
1つ1つの指摘が細かいんだよね、日和さん……もとい、編集長は。それも、僕が「突っ込まれるかな〜」って懸念していたところだけじゃなくて、全く気に留めてなかったことも指摘する。「甘やかすつもりはない」と言っていた時の彼の笑顔が、今になって恐ろしいもののように思えてきた。
でも、これも1つの試練。一人前の編集者になるために、乗り越えなくちゃいけない壁だ。この指摘の山に躓いているようじゃ、僕に期待してくれている編集長をがっかりさせてしまうかもしれないし!
背筋を伸ばし、カップに残っていたコーヒーをぐいっと飲む。その冷たさと苦みに、頭の片隅で燻っていた眠気が吹っ飛んだ……気がする。
空になったカップを手に、僕が立ち上がった時、コミカルなメロディが聞こえてきた。子供の頃によく遊んでいたゲーム、ミラクルオニ男ギャラクシーのテーマソング(カラオケver.)――もとい、僕のスマホの着信音だ。
この着信音に設定している相手は1人だけ。
……というか、その人が勝手に僕のスマホの設定を弄ったせいだけど。
『酔ってねえーもーん』
あー、黄色のコーラうめぇ〜。大人のほろ苦さがしみる〜』
僕はやれやれとため息を吐いて、ベッドに腰掛けた。
実ちゃんの電話は、基本的に長い。酔ってるなら、尚更ダラダラ喋るだろうし、すぐに仕事に戻るのは難しいだろう。
まあ、いいんだけどね。ちょっと気分転換したかったところだから。
こうやって、深夜に実ちゃんが電話を掛けてくるのは、2週間に1度くらい。
実ちゃんが実家を出てから、約5年。この(大体)定期連絡が、僕と実ちゃんの恒例行事になっている。
でも、実際に顔を合わせる回数は、1年に1度あるかないかくらいだ。
最後に会ったのは1年くらい前かな。確か、去年のお正月……だった気がする。
高校卒業から、お互いの進路が別れたこと。実ちゃんが1人暮らしを始めたこと。
僕らが顔を合わせなくなった主な物理的要因は、この2つ。
それでも、会おうと思えば会えた。僕の家から電車に乗れば、1時間くらいで実ちゃんが住んでるマンションに行けるし、お互いの休みを調整すれば、時間だって作ることができたんだ。
でも、僕らは……少なくても、僕はそうしてこなかった。
それは、僕がとある事情のため、実ちゃんと直接会うのを避けているから……なんだけど。
まあ、それはとにかく。
声を張り上げた実ちゃんにただならぬ空気を感じ、僕はこわごわと呼びかけた。
ごんごん、って鈍い音が聞こえてくる。これ、実ちゃんが持ってるグラスをテーブルに叩き付けてる音かな。酔っ払ってテンションが上がると、よくやるんだよね。
次の瞬間、ダァン!と鋭い音が僕の鼓膜を打った。
その衝撃に、僕は反射的に「ごめんなさい!」と実ちゃんのポスターに向かって頭を下げてしまった。
弾ける笑顔の実ちゃんのポスターを見つめながら、僕は努めて優しい声音で尋ねる。
今の実ちゃんはきっと、ポスターと真逆の表情を浮かべてるんだろうな。
ぐすぐす、と鼻を鳴らす実ちゃん。
その聞き慣れた音を聞きながら、僕はやっぱりか、と密かにため息を吐いた。
実ちゃんに何があったのか、大体想像はできた。
だってこの流れ、僕にとってはお馴染みのものだから。
中学生の頃から、変わらないよねえ。
今までの恋人さんのことは名前はもちろん、性格や好きな食べ物まで実ちゃんが自分から話していたくらいなのに……。
けど、今は聞くタイミングじゃないな、どう考えても)
実ちゃんの、ずびっと鼻をすする音が大きくなった。
酔ってる分、泣き方も豪快になってる気がする。
『何も知らないで、好きだって言い続けてた俺、馬鹿みたいじゃんか』
『……小晴』
鼻をすする音が止んで、実ちゃんの声音も穏やかなものになってきた。酔いが醒めた訳じゃないだろうけど、涙は止まったのかな。
対する僕の心は、何だかざわざわして落ち着かない。冗談でも、「付き合って」なんて言われたことがないからかも。
そんな恋愛経験ゼロの僕なのに、実ちゃんの恋愛相談を毎回受け持っているのも、おかしな話だ。小さい頃から一緒だから、1番話しやすいってことと、実ちゃんの長話に付き合える友達がなかなかいないってことが理由なんだけどね。
とにかく実ちゃんも落ち着いたみたいだし、適当に電話を切って、仕事に戻ろうかな。
そう思って、ベッドから腰を浮かした時のこと。
はー、泣いたらスッキリした。
俺、寝るわ。おやすみ』
僕の「おやすみ」を待たずに、ぷちり、と通話が切れる。
途端に脱力してしまった僕は、ベッドに寝転んだ。
従兄弟として、教えてあげるべきかな。でも、絶対受け入れないんだろうなあ)
あはは、と苦笑いを浮かべ、僕は通話の切れたスマホを見つめる。
僕はベッドから起き上がると、自分の頬をぺちぺちと叩いた。