5-3 僕に恋をする、君のことをもっと教えて

文字数 4,131文字

『ご飯、ごちそう様でした。とても美味しかったです。

先輩と一緒に食事できたのが夢のようで、今もドキドキしてます。

明日の朝、〈うのはな〉で待ってます。明日のモーニングは、約束通り奢らせて下さいね』


 木谷くんとの夕食を終えて、僕が家に着くのを見計らったかのように届いたのが、このメールだ。

 今日は僕の奢りだからって言っても、ずっとお財布片手に「やっぱり払います」って粘ってたっけ。「じゃあ明日のモーニングは奢って」って言ったら、ようやく引き下がってくれたんだよね。その時に見せてくれた笑顔は、可愛かったなあ。

俺……本気ですから。先輩のこと、誰にも渡したくないって思ってますから。

 帰り際、ぎゅっと僕の手を握りながら、木谷くんは真っ赤な顔でまた告白してくれて。

 その真剣さを目の当たりにしたら、僕もドキドキして、「うん」って答えるのが精一杯になってしまって。

 ……っていうか、今も思い出すとメールを打つ指先が震えてくる。


にゃ~?

 玄関先で突っ立ってメールを打ってたら、まぐろがひょっこりと階段から顔を出した。

 「何で入らないの?」と言いたげに近寄ってくるまぐろに、僕はメールを打つ手を止めて、しゃがみ込んだ。


本気の恋って難しいよ、まぐろ。

にゃ?

前向きに考えるって返事をした以上、もちろんそうするつもりだよ。

でも、彼の真剣さを知れば知る程、あっさりと「じゃ、付き合っちゃおうか」なんて言えない気がして……。

まだまだ、知らなくちゃいけないことがたくさんあるし、じっくりと知りたいけど、あんまり待たせすぎるのもそれはそれで悪いしなあって思っちゃったりしてさあ。

にゃー。

何より……僕が未だに失恋を引きずっちゃってるのがね……。

 忘れる必要なんてない。恋心は、簡単に消せないものだと自分も知っているから。

 木谷くんはそう言ってくれた。

 編集長、もとい日和さんも、良い意味で「利用してもいいんじゃないか」ってアドバイスをくれた。

 その先に見えるものは案外いいものかもしれないと。


……木谷くんには申し訳ないけど、今はゆっくり考えさせてもらおう。

ちゃんと、僕が選択して、答えを出すまでは。

にゃっ!

うん。話、聞いてくれてありがとう、まぐろ。

 まぐろを抱き上げると、僕は打ち込んだメールを送信した。


 明日のモーニングもだけど、ショッピングも楽しみにしてるね。

 僕は、もっと君のことが知りたいです、と。








 翌日。夜になっても降り続けている雨の中、僕は木谷くんと〈うのはな〉の前で合流した。


 既に木谷くんは待っていて、スマホをじっと見つめていたけど、僕が声を掛けるより早くぱっと顔を上げて、あの可愛い笑顔で出迎えてくれた。

お疲れさまです、先輩!

うん、お疲れさま。待った?

いえ、俺も今来たところです。

 そう答える木谷くんだけど、多分もっと早くから待ってたんだろうなって思う。

 肩が濡れているし、その栗色の髪もしっとりと湿気を含んでぺちゃん、となっているから。


 昨日の夕食の時もそうだった。やっぱり木谷くんは、僕よりも先に待ち合わせ場所にいたんだ。

 その時に、何気なく木谷くんの腕に触れたらすっごく冷たくて、思わず背広を貸しちゃったんだよね。

 随分待ったんじゃないの、と聞いたけど、「待ってないです、全然。俺、冷え性なんです」なんて笑って言ってたし。


〈うのはな〉で温かいものでも飲んでから行く? 

体、冷えちゃったんじゃない?

いえ、ここに来る前にコーヒー飲んできたんで大丈夫です。

飲み食いは、向こうのショッピングストリートに行ってからにしましょう。

大丈夫?

はい、全然平気です。

それよりも、早く行きましょう。俺のこと、先輩にもっと知って欲しいです。

 頬を赤らめて恥ずかしそうに視線を彷徨わせながらも、木谷くんはその言葉の1つ1つに想いを込めて、まっすぐに僕へがつん、とぶつかってくる。

 あまりに勢いが良すぎて蹌踉けてしまいそうになるけど、その温かさに思わず口元が緩んでしまう。

じゃあ、たくさん教えてもらおうかな。よろしくね。

はいっ!

 僕が傘を差すより先に、木谷くんがぽん、と緑色の傘を差して僕の頭上に掲げる。どうぞ、と小さな声で誘いかける彼に、「僕も傘持ってるから大丈夫」なんて無粋なこと言えない。


 僕が木谷くんの右隣に移動すると、彼は一瞬びくん、と体を震わせた。

 でも、その横顔はとても嬉しそうで、見ているこっちも何だか嬉しくなってきた。

(やっぱり恋する人を見ていると、見ているこっちもドキドキして、嬉しくなっちゃうな)

(それは、実ちゃんの時からよく知っていることだけど……。


っと、いけない、いけない。

僕が今一緒にいるのは木谷くんなんだから。彼のことだけ、考えないと





 相合い傘でたどり着いたのは、ショッピングストリート。

 最初に入ったのは、スポーツ用品専門店。木谷くんお気に入りのお店らしい。運動オンチの僕には縁のないお店だ。


先輩、どっちがいいと思います?

 木谷君が2枚のTシャツを僕に見せてきた。

 どっちも全体的に似たシンプルなシャツだ。違いは胸元のロゴと、袖口に入っているラインの色くらいかな。

ぼ、僕のセンスで決めちゃっていいの? 僕にセンスがないこと、知ってるよね?

もちろんです。でも、自分で決めると代わり映えしないんで。

気にせず、純粋に先輩がいいって思った方を教えて下さい。

(……と言われても、違いはロゴとラインの色か~……木谷くんと言えば、〈うのはな〉の緑のエプロン姿だよね。それを思うと、青よりも緑のラインが木谷くんっぽいかな。ロゴも、兎のシルエットの方が狐のものよりもかっこいいし)

じゃあ、緑のラインのTシャツ、かな。

あー、やっぱり先輩はこっちを選ぶんですね。

俺、この兎のロゴとかビビットな緑がダサいと思ったんですよねえ。

えっ?! 

ちょ、ちょっと待って! 自信なくなってきたから、やっぱり青の……っ!

 ぎょっとして訂正しようとしたら、木谷くんがぶぶっといきなり噴き出した。


 マズいことをしたか、と身を縮こまらせる僕をよそに、木谷くんがくくく、と肩を震わせて……笑ってる。すっごく。


せんぱい、必死過ぎ……っぷ、あはははっ!

えっ。

すみません、悪ふざけしちゃいました。さっきのは冗談ですよ。

ええっ?!

どっちも事前に俺が選んだものなので、どっちになってもダサいとか思わないですよ。

もちろん、先輩が選んでくれた方にします。

ほ、ホントに大丈夫?

はい。むしろ、先輩に選んでもらってはっきりとこっちが欲しいって思いましたし。

……からかってすみません……ふふっ。

 なかなか笑いが収まらないみたいで、ぷるぷると肩を震わせて笑っている木谷くん。

 笑われてるのに、どうしてだろ……怒りも恥ずかしさも全然なくて、ただ、笑う彼をぼぅっと見つめてしまう。


(木谷くんって、こんな風にも笑うんだ。全然、知らなかった)




 無事にTシャツを購入した後、木谷くんは「今度は先輩の行きたいところに行きましょう」と提案してくれた。

 その言葉に甘えてやってきたのは本屋さん。いつもなら仕事関連のコーナーへ真っ先に足を運んでしまう僕だけど、木谷くんのことをもっと知るため、彼に付いて行った。

 そんな木谷くんが案内してくれたのは、料理本のコーナー。


木谷くんって、料理好きなんだね。

今のバイト始めてから好きになりました。それまでは、包丁もろくに持てなかったし、興味も全然なくて。

そうなの?

はい。だから、うのはなの店長が基礎から丁寧に教えてくれたんですよ。

あそこの店で出してるレシピってマジでどれも美味いから、俺もできるようになりたいなって思ってるうちに、自分で色々するようになったんです。

今じゃ、家でも夕飯、俺が作ったりする時があるんですよ。

へえ! 

あ、じゃあ、もしかして大学卒業したら、そっちの道に進むの?

まだ、はっきりとは決めてませんけど……〈うのはな〉みたいな店を持てるくらいにはなりたいですね。

いいねえ! 

そしたら僕絶対に行くよ! 常連になりたいな。

もちろん。先輩には真っ先に知らせますから。

 ふわ、とまた柔らかい笑顔を浮かべる木谷くん。

 高校生の時、木谷くん、夢を持っているどころか、何に対しても興味が持てないから、僕のことが羨ましいってしきりに言ってたんだよね。


木谷くん、『夢』見つけたんだね。良かった。

高校の時、たくさん夢の話をしてくれた先輩のお陰ですよ。

いやいや、僕は全然……ただ、自分のなりたいことを勝手にぺらぺら喋ってただけだし。

でも、俺はそんな先輩に惹かれたんです。


それに、〈うのはな〉にバイトするきっかけになったのも、その、先輩に会いたかったから、ですし……。

え。

……先輩が年賀状で教えてくれたじゃないですか。

〈サミダレエンターテイメント編集部〉に就職するって。その時、すぐに大学の近くにある会社だって分かったんで……その……また会えたらいいなって、思って、色々機会を窺っていたら、〈うのはな〉を見つけて、それで……仕事しながら先輩に会えないかなって、思って。

 言いながら、木谷くんの顔が見る見る内に真っ赤になっていってしまう。

 と思ったら、手に持っていた料理雑誌を抱きしめ、くるり、とレジの方へ回れ右をして、

き、キモい話してすみませんっ! お、俺っ、買ってきます!

き、木谷くんっ!

 僕の呼びかけに反応することなく、木谷くんは逃げるようにレジへ走って行ってしまった。


(年賀状、か……そうだよね。

僕たち、高校を卒業してから、〈うのはな〉で再会するまで、年賀状のやり取りしかしてなかったもんね)

(でも、木谷くんはその頃から僕のことを……あ、違うか、高校生の頃からって言ってた。ずっと……気持ちを持ち続けてたんだよね)

(一途だなあ。実ちゃんも好きでいる内には、その人しか見えないから、そういうところ、ちょっと似てるかも。

実ちゃんも木谷くんと同じで、好きな人に全力投球してたもんね。そんな彼はキラキラして眩しくて……)

(って、ダメ。ちゃんと、木谷くんの気持ちと向き合わなきゃ。

実ちゃんのこと、思い出しちゃダメだよ

 僕はぺしぺし、と自分の頬を叩いて、一瞬思い浮かんでしまった実ちゃんの笑顔を必死で掻き消した。
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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