5-5 僕じゃ、君に届かない
文字数 4,188文字
レストランのテーブル席に着いた途端、木谷くんはいきなりそう言った。
何度も頷く木谷くんに、僕はがっくりと肩を落とした。
おずおずと顔を上げれば、木谷くんが笑顔で待ってくれている。
思わず食い気味に言ったら、木谷くんは目を丸くした後、はにかみ笑いを浮かべた。
先輩、前にも言いましたけど、水野先輩が好きだって気持ち、無理に消そうとしないで下さい。
忘れなくたっていいんです。俺が先輩を好きになった時、先輩はずっと水野先輩のことを話してたし、見てました。
だから、俺は水野先輩のことが好きな貴方のことも、好きなんです。
先輩が納得するまで、俺はとことん付き合いますから。
だから、甘えて下さい。
その後は、当たり障りのない話をしながら木谷くんおススメの焼き魚定食を食べて、彼とのデートはおしまい。
駅まで送ってくれた時も、木谷くんは僕の隣で眩しい笑顔を浮かべ続けていた。
家に帰って来た頃、雨はすっかり止んでいた。
でも、僕の気持ちはちっとも晴れ晴れとしていなくて、着替えもせずにベランダに出てぼぉ、と夜空を眺めていた。
部屋では、まぐろがお土産に買ってきたオモチャのネズミを揉むのに熱中している。
夜空を見てもちっとも気持ちが晴れず、僕は膝小僧に顔を埋めた。
脳裏にちかり、と輝くのは、実ちゃんの笑顔。
彼の笑顔を最後に見たのは、いつだっけ。
ふと思いついた僕は、側に置いていたスマホを手に取った。
スマホに映し出したのは、実ちゃん、もとい、ハルの公式SNSのページだ。
このページを最後に見たのは、誕生日直前だったはずだ。あれから色んなことがありすぎて、チェックできていなかったんだよね。
画面をスクロールすると、ちょうど1時間前の記事が掲載されていた。
『今日は久しぶりにメイクした。
結構上手くできただろ? ダチには「無難すぎる」って駄目出しくらったけど(笑)』
コメントと共に投稿されていたのは、Vサインをして笑顔を見せる実ちゃんの自撮り写真。
同じような笑顔を毎朝ポスターで見ているはずなのに、あまりにも眩しすぎて、僕は慌てて画面をスクロールする。
けど、写真付きの投稿はその後も続いている。実ちゃんの自撮りショットだけじゃなく、街の風景や、スタジオらしき建物内の様子など、様々な写真が並んでいた。
ふと、見上げた夜空に一瞬、目映い光の筋が浮かんだ。
流れ星だ。
子供の頃だったら飛び跳ねて喜んでいただろうけど、今はその一瞬のキラメキに泣きたくなってしまった。
と、不意にスマホがぶぶっ、と微かに振動した。
はっとして画面を見てみると、ハルのSNSに新しい記事が投稿されていた。
『今、帰宅した。
ちょっとだけ、凹みモード派言ってる。人生、ゲームみたいに上手くいくことばっかりじゃないよな。
24年も生きてるのにさ、最近そのことがようやく分かったんだよなあ。(遅すぎ!)
俺が目指す先は、まだ遠すぎて手が届かない。こうやって、見上げるのが精一杯。
遠いな~』
添えられた写真は、夜空に点在する星々に向かって伸ばされる手が映っている。
そう思ったら、じわあ、と胸の奥が熱くなってきた。
じっとしていられなくなった僕は、SNSの新規登録ページへ飛んだ。
普段閲覧用に使っているアカウントとは別に新しいものを作り、再びハルのページへ戻る。そして、最新記事のコメント欄にこう書き込んだ。
『大丈夫。貴方ならきっと手が届くから。ずっと応援しています』
勢いで送信ボタンを押さなくて良かった、と安堵した瞬間、ごつーん、と僕の後頭部に衝撃が襲った。
痛みに俯いた僕の視界に入ったのは、足元に転がっているネズミのオモチャと、それをもみもみと揉んでいるまぐろ。
ゼンマイを巻くと動くそのオモチャは、可愛い見た目に反して結構重たい。そりゃ、頭に当たったら痛いのは当然な訳で。
頭を擦りながら抗議したけど、まぐろは知らんぷりでネズミを抱えて行ってしまった。気に入ってくれたのはいいけど、ぶん投げるのは止めて欲しいなあ。
……って、あれ。
握りしめていたスマホを見たら、『コメントを投稿しました』の文字が表示されている。
さっきの衝撃で、送信ボタンをタップしてしまったようだ……と自覚したら、か~と顔中が熱くなってしまった。
顔の熱を引かせようと一生懸命自分を宥めていると、再びスマホが震えた。
恐る恐る画面を見てみると、さっき取得したばかりのアカウントに、『1件の返信があります』 の文字。
『ありがとう。めっちゃくちゃやる気出て来た。絶対、今より輝いてみせるから!』
ただそれだけの返信だし、相手が僕だと理解している様子はないけれど……でも、すごく嬉しい。
もう一度ハルのページに戻ると、コメント欄には僕以外にもファンからと思しきコメントが残されていた。そこに、実ちゃんからの返信が次々とつけられていく。
何だ、僕以外のコメントにも同じように返すのか。
一瞬浮かんでしまった考えに、僕は頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
恥ずかしさと情けなさが弄り混じって泣きそうになっていると、またスマホが震えた。また、新しい記事が投稿されている。
『コメント、ありがとうな。
いつも照れくさくて言えないけど、これからはまめに返して行くようにする。
辛いことも悔しいことも山ほどあって、つい弱気になってモデルを辞めちまおうか、なんて思うこともある。
でも、辛いのも悔しいのも全部、「好き」の中にあって、俺の大事な一部だ。何1つ、無駄なことはないんだ。
これ、俺の大事なダチの言葉でさ、今でも俺の宝物なんだ。明日も足掻くぜ!』
宝物だと言ってくれたその台詞を目にした瞬間、僕はぼろ、と涙を零していた。
その台詞は、かつて、僕が実ちゃんに贈った言葉だから。
中学3年生の時。
実ちゃんは僕に「親友を好きになってしまった」と打ち明けてきた。
当時、実ちゃんは男の人を好きになってしまう自分を受け入れきれずにいたみたいで、僕にカミングアウトした時、顔をクシャクシャにしてぼろぼろ泣いていた。
無駄じゃない。気持ち悪く思っちゃう気持ちも、苦しさも、キスをしたいって願いも……全部、実ちゃんの『好き』の中にあるものじゃない。それは、僕の大好きな実ちゃんの一部だもん、だから僕は、気持ち悪いなんて思わない。
そう言って、実ちゃんの手を握りしめると、彼はますます泣きながら馬鹿小晴、と呟いた。
それを見た瞬間からだ。僕の心臓が、今まで聞いたことのない音を奏でるようになったのは。
スマホを握りしめ、僕はぐっと俯いた。木目のベランダの床がぱた、ぱた、と小さな音を立てる。
止まらない涙のせいで、スマホの画面が見えなくなる。
ますます、実ちゃんが僕の手の届かないところにいってしまったような気がした。