6-1 ホップ・ステップ・ギュン!

文字数 2,526文字

少し、期待外れだったな。

イタリアンレストランで1番美味いって勧められた店だったんだけど。

 レストランの明かりが遠ざかり、大通りに差し掛かった時、実ちゃんがぼそり、とそんなことを呟いた。

 ちら、と左隣を見れば、車道から零れる明かりに照らされた実ちゃんの、ちょっぴり落ち込んだ表情があった。

なんか……ごめんな。
そ、そんなことないよ! 

ブルスケッタ美味しかったし、サラダも食べ応えあったし……ただ、和風パスタばかり食べてるせいかな、本来のパスタ料理ってなんかこう、食べ慣れなくて……。

そっか、お前、和食派だもんな。そっちで調べとくんだった。
……あの! マズかったわけじゃないからっ。ほんと、実ちゃんが僕のために選んでくれたんだって思ったら、それだけで十分お腹が満たされて幸せっていうか……こうやって2人で……っで、デート……できるのがまず嬉しいし……その。

 何とか実ちゃんに立ち直ってもらいたくて、懸命に思いを伝えようとする。

 けど、まだ照れがあるせいか、まっすぐに実ちゃんを見つめながら言うのは難しい。でも、実ちゃんにはきちんと伝わったみたいで、僕を見ていた赤い目が笑った。

俺も、お前が隣にいたらそれで十分だよ。

お前とデートなんだって思ったら、今日はどうしようかってプランを考えるのもすげー楽しいし。

そ、そっか……。
今回は外しちまったけど。次は絶対、お前の胃袋をがっちり掴める店にするからな。
……うん、楽しみだな。

 本当は、別に美味しいお店だとか今回みたいに値段が張るお店じゃなくてもいい。いつも通り、学生の時によく行ってたゴルカやラーメン屋さんの方がお互いに好きな物も分かるし、気兼ねしなくていいんだけど。

 でも、僕を喜ばせようと頑張ってくれる実ちゃんを見られることが嬉しくて、どうしてもそうは言えないんだよね。

 実ちゃんには頑張ってもらってばかりで申し訳ないけど、しばらくはこの嬉しさを噛み締めさせて欲しいな。







 最近のお互いの仕事のことーー実ちゃんはまだ本格的な仕事は貰えないけど、少しずつ機会をもらえるようになって。僕は相変わらずヒイヒイ言いながら〆切と格闘しているーーを話しているうちに、目的の駅へ着いた。実ちゃんはこのまま自宅のマンションへ、僕は電車に乗って家に帰るから、ここでお別れしないといけない。


じゃあ、お前が家に着く頃電話するわ。
うん。急がなくて大丈夫だからね。仕事しながら待ってるから。
ったく、相変わらず色気がねーな。お前らしいけど。

 苦笑しながら、実ちゃんが僕との距離を詰める。至近距離からじ、と見つめるその表情は真剣で、否応無しに心臓が高鳴ってしまう。

 その右手がゆっくりと僕へ伸びる。その瞬間、僕はたまらず目をぎゅっと瞑った。

(っだ、大丈夫……っ。落ち着いて。キスなんてもう、何回もやってるんだから。これは初めてじゃない。

むしろ、両思いになれた後のキスだから、全然流れとしておかしくない、平気、だから……)

……はる。
(ぷるぷるしてるけど、大丈夫! これは武者震いって奴だよ! うん! 心臓のうるささにも慣れてきた! 

さあ、実ちゃんどんとこい! 僕はもう準備万端だか

っしっかりしろ、小晴! 聞こえてるか?!
らひゃあっ?!

 いきなりがくがくと激しく揺さぶられて、思わず瞼を開けたら、実ちゃんのドアップ。

 たまらず悲鳴を上げた僕は、そのままずざざざ〜〜っ!と後ずさりをしてしまった。

あっ、こ、これはそのっ、お、驚いちゃっただけでっ……別に、嫌だった訳じゃ……!
……お前、今どういう顔してるか、分かってるか?
へ?
顔、すっげー真っ青だぞ。

呼吸もぜーはー荒いし、体もぷるぷる震えて今にも倒れるんじゃないかってヒヤヒヤすんだけど。

ええっ?! そ、そんな瀕死の状態じゃん!
そうだよ、その瀕死の状態なんだよ、今も。
ええっ?!
 慌てて自分の顔をペタペタ触る僕に、実ちゃんは頬を掻きながら苦笑いした。
あのさ、小晴。俺は別に嫌な気持ちにもなってねえし、焦ってもねえからな。
えっ。
確かに、キスもできない、手を繋ぐのもできなくなっちまったのは……まあ、今まで普通にできてたから、寂しいなって思うけどさ。
……ごめん。

落ち込むなっての。ここまで来るのに、色々あったじゃん。しかも、その原因は全部俺だし。

だから、お前が俺に触られるのを異常に怖がってるのは、多分そのせいかなって。

怖がってるつもりはないんだ。

でも、いざ触られると頭の中がグチャグチャになっちゃって、自分でも自分のことがよく分からなくなっちゃって……。

で、でもっ、さっきも言ったけど実ちゃんとデートするのが嫌とか、触られることが嫌ってことじゃないからっ! むしろ、嬉しいんだからっ!!

ん。そう思ってくれてるんなら、それだけで十分だよ。
 にひ、と笑う実ちゃんに、心臓がきゅん、と鳴いた。
……っ実ちゃん、腕、広げて。こうやって。
 両腕を伸ばしてそう言うと、実ちゃんはきょとんとしながらも、「こうか?」と僕の真似をした。
そのまま、動かないで。

 すぅ、と息を深く吸い込むと、僕は実ちゃんとの距離を縮めた。黒いパーカーの胸元にほんの一瞬だけ、自分のおでこを押し当てる。

 できたのはそれだけで、おでこが熱を帯び始めた時には既に実ちゃんとの距離をまた空けていた。

 肩で呼吸する僕に対し、実ちゃんは赤い目をまん丸にしたまま呆然としている。

ぼ、僕からならちょっとは触れるかも……って思ったんだけど……ごめん、これが精一杯……。
 すると実ちゃんは呆然としたその顔を、両手でゆっくりと覆い隠してしまった。
……ご、ごめん、そ、そうだよね、おでこを1秒こっつんするので精一杯ってどんだけ弱腰なんだよって話だよね。
 やっぱりやらなきゃ良かったと落ち込む僕に、実ちゃんがぶんぶんと首を横に振った。顔を両手で覆ったまま。
やべー……不覚にもギュンとしたわ……お前、可愛すぎるだろ。
か、可愛い、の……? 今の。

うん。元気、出た。明日からも頑張れそう。

ありがとな。

 両手を下ろした実ちゃんが、はにかんで言う。

 目をキラキラさせて頬を赤くするその笑顔がすごく可愛くて、まさに実ちゃんの言う「ギュン」が僕の胸の奥から聞こえてきた気がした。

 

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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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