5-7 夢の中でも、君の手は温かい

文字数 3,882文字

小晴! 俺、やっと××先輩と付き合うことになったんだ!

 えっ。

 嫌だ。

おめでとう! 頑張ってアプローチした甲斐があったね! お幸せに!

 嫌だ。付き合わないで。

 誰かのものにならないでよ。


小晴、俺、やっぱり大学は行かねーことにしたんだ。今はモデルとして全力疾走したいんだよ。


うちも出るつもり。1人暮らし、してみたかったし、ちょうどいい機会だなって思って。

 どうして?

 モデルは高校卒業したら辞めるって言ったじゃん。


 一緒に大学行こうよ、叔母さんだって心配してるよ。勉強ならいくらでも教えるから。

そっか。分かった、僕、応援するよ!

 もちろん、応援したいよ。モデルの仕事、本当に楽しそうにやってるし、そんな実ちゃんのことも大好きだから。

 でも、雑誌やSNS越しでしか姿を見られなくなって、会話もできなくて、家に行っても会えないなんて……そんなの寂しいよ。


 小さい頃、実ちゃん、夜空の星よりも輝きたいって言ってたよね。

 あの時も本当は僕、怖かった。実ちゃんが、うんと遠くに行ってしまうことが。


  離れて行って欲しくない。

 これからもずっと、ぼくの手の届く場所にいてよ。



じゃ、またそのうちな。

待って!!!

っ嫌だ!!

 離れて行こうとする実ちゃんの右手をがっちり掴んだ瞬間、「小晴」、とその声が大きくハッキリ僕の名前を呼んだ。


……へ?

気がついたか。

 背中を向けていたはずの実ちゃんが、僕を見下ろしている。

……実、ちゃん? 幻?

本物だよ、ほら。

 ぎゅ、と両手に温かいものが絡んだかと思うと、ぐい、と引っ張られた。

 僕の両手と、実ちゃんの両手がしっかりと繋がって、ゆらゆらと左右に揺れる。


 それをぼんやり見ている内に、僕はじわじわと状況を思い出した。

 立ち寄った本屋さんで、サイン会イベントに殺到したお客さんに揉みくちゃにされてたら、実ちゃんが急に現れて――それで?


っ?!  何でいるの?!

そりゃこっちの台詞だよ。

しかも、俺が見つけた途端、あんな人混みでぶっ倒れてさ、マジでビビったんだからな。

僕、倒れたの?

そーだよ、すっげえ真っ青な顔してたぞ。指先も冷え冷えだったんだぜ?

今は大丈夫みたいだけど。

 する、と実ちゃんが指先をゆっくりと解いた。

 改めて、手を握られてたんだと実感し、僕の頰がじわじわと熱くなる。

 恥ずかしさから視線を逸らすと、ようやくここが見慣れない部屋だと気づいた。


ここって……。

本屋の控え室。イベントのゲスト用のな。

だから今は瞳の部屋でもあるけど。

 実ちゃんの口から発せられた瞳さんの名前に、僕はビクッと体を震わせた。

何で、僕が瞳さんの部屋に?

瞳が使えって言ったんだよ。その方が手っ取り早く介抱できるからって。

体、もう平気か? 病院行くなら付き添うけど。

だ、大丈夫。ちょっと寝不足だったし、人混みに酔ったことで気持ち悪くなっただけだから。

そっか。相変わらず忙しいんだな。

……実ちゃんは、仕事でここに来たの?

そ。って言っても、やってるのは瞳のマネージャーという名の雑用だけどな。

ま、マネージャー?

ああ。瞳に張り付いて勉強させてもらってるんだ。モデルの仕事の色んなことをな。

っていっても、アイツ遠慮なく雑用振ってくるしパシらせるからさあ、正直それどころじゃないくらい忙しいんだけど。

いつも一緒、なんだ。

ああ。でも、だからって、もう恋愛感情はないけどな、俺は。

……

な、何だよ、その目は!

いや、マジで。もう未練はないって。

復讐しようとしてたくせに?

あー、それは忘れろ……って無理かお前に嫌な思いさせちまったしな。

 けどさ、と実ちゃんがその場にしゃがみ込み、長椅子に横たわる僕の顔を覗き込んだ。

俺、瞳とはマジで恋人に戻るつもりはねーんだ。

今、2人きりでラブホに放り込まれたって、何もしないから。むしろ、ベッドに籠もって速攻寝てやるし。

……。

だから、マジだっての。

俺は……瞳じゃなくて……。

 不意にごにょごにょ言って視線を逸らした実ちゃん。こんなに近くにいるのによく聞こえない。


瞳じゃなくて……何?

……秘密。

また、言ってくれないんだ。

ごめん。

その代わり、お前に伝えたいことがある。

……なに?

昔、言ったことあったよな? 

星よりもでっかくでキラキラしたもんになりたい……とか、そういう無駄にデカくて、でもフワッとした願い事をさ。

すげー昔のことだし、お前はもう覚えてないかもしれないけど。

覚えてるよ。ずっと……忘れられなかったから。

……そっか。

あの願い事をした時は、具体的にどう『キラキラする』かなんて全然分からなかった。

読者モデルとしてスカウトされて、事務所の専属モデル契約交わした時も、『星みたいにでっかくてキラキラした』モデルになる、なんてことも思わずに、ただ求められるがままに仕事してたけど……今になってようやく分かった。



俺にとって、モデルの仕事こそが本当の自分の夢を叶える舞台なんだって。モデル以外の仕事も考えたけど、やっぱり俺は、モデルの仕事、諦められない。


忘れられないんだよ。モデルになってさ、『かっこいい』って褒められたこととか、『雑誌を見たよ』って欠かさず報告してくれることとかさ。全部、俺にとって大事なものでさ。

自覚全然なかったけど、俺にとっての本当の原動力はそれだったんだなって、ようやく気がついた。

それ……。

そう、お前がくれた言葉。ファンがくれた言葉だよ。

俺のことを信じて、エールを送ってくれるファンの……笑顔が俺は見たい。この先もずっと。

だから、俺は笑顔の源になる存在でありたい。そのために、できることは何だってやる。

瞳のマネージャーしてるのもそのためだ。単にマネージャー業をするだけじゃなくて、モデルとしての振る舞いや営業の方法なんかも教えてもらってんだ。

碧人は後輩だけど……あいつもただ見た目がいい期待の新人ってだけじゃないからさ、たくさん意見をもらってる。

実ちゃん……。

口先だけなんて言われるのは嫌だから、仕事が良い方向に動き出したら謝るのも兼ねて伝えようと思ってたんだけどな。このタイミングで会えたってことは、多分、今が伝える時だと思ったからさ。

あんな変なことに無理矢理付き合わせたから、俺のこと、すげー嫌いになったかもしれない。それは、仕方ねえことだ。嫌いにならないでくれ、なんて都合のいいことは言えない。


……だけどさ。お前がまた、モデルとしての俺を見てくれて、ハルってモデルをまた好きになって応援してくれたら……それだけで俺、滅茶苦茶嬉しいから。

……っ嫌いになんて、ならないよ! なる訳ないじゃないか!

……そっか。うん……ごめん。

 不意に眉を下げてその強気な目を潤ませた実ちゃん。でも、その口元はふにゃり、と笑っている。

やべ、全然まだ何もできてねーのに、滅茶苦茶嬉しい。満足しちゃいそう。

ま、満足しないでよ、もっと……キラキラしようよ。

当たり前だろ。まだまだ俺はやるんだからな。


……うん。

 実ちゃん、今にも泣きそうだけど、嬉しそうだ。

 僕も、鼻の奥がツン、とする。


 笑顔の実ちゃんを間近で見ていられること。

 今まで当たり前だと思っていたそのことが、泣きたくなるくらい嬉しいんだって改めて実感してしまう。

 ああ、もう嫌だ。泣いちゃいそうだ、何か言って紛らわさないと。


 と思ったら、実ちゃんがこほん、と咳払いをした。


……小晴。

何?

いつか……さ。

俺、もうひとつ、お前に言おうって思ってることがあるんだ。

 泣きそうな顔から一変して、実ちゃんは真顔でじっと僕を見据えている。

今は言えないけど、すげー大事なことなんだ。

お前のためを考えるんなら伝えるべきじゃねえんだろうけど、お前にはもう嘘吐きたくねーし、けじめとして言わないとって思ってる。

な、何それ。何か怖いんだけど。

怖い、か。……そうだな。言ったら、多分、また色々悩ませちまうな。それはごめん、先に謝っておく。


でも、お前を困らせるって分かっても、伝えたいことなんだ。

だから……ちゃんと伝える。全部。

聞いてくれるか?

大事なこと、なんだよね。

それなら僕、どんなことであっても知りたいよ。ちゃんと。

……っありがとな、小晴。

そのためにも俺、すげー頑張るから!

 ぱっと、また花咲くような笑顔を見せてくれる実ちゃん。


 実ちゃんのけじめとして言わなくちゃいけないこと。それが、僕を悩ませるかもしれないと分かっていても、ちゃんと伝えると約束してくれたこと。

 何も分からないのに、僕の中で今まで覆っていたモヤモヤが消え失せて、晴れ晴れとした青空が広がって行くような、とても清々しい気持ちでいっぱいになった。


……ありがとう、大事なこと……ちゃんと伝えてくれて。すごく、嬉しかった。

まだ、半分も伝えられてねえけどな。

でも、俺もお前に会えて、お前の返事聞いて、すっげー嬉しい。

ほんと、ありがとな!

 明るく答える実ちゃんを見て、僕はようやく決めた。


 どう誤摩化したって無駄だ。僕は実ちゃんのことが好き。

 それは例え彼に別の好きな人がいたとしても変わらないんだと、認めざるを得ない。

 実ちゃんが、大事なことを僕に伝えると約束してくれたんだ。

 僕も、この気持ちを今度は誤摩化さずに、ちゃんと伝えよう。

 元の従兄弟関係に戻るのは、今度こそ困難になっちゃうかもしれないけど、それでも、伝えたい。


 その前に、僕にはしなくちゃいけないことがある。

実ちゃん、僕、そろそろ戻るよ。

仕事、まだ残ってるから。

マジで平気か? 送るぞ?
大丈夫。むしろ、元気満タンになったって感じだよ。

仕事、頑張ってくる。実ちゃんも頑張ってね。

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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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