碧人番外編 〈ウラ・イミテーション〉9.行き止まる思い

文字数 2,770文字

 僕らはそれからも、体を重ね続けた。ほぼ毎日のように。

 瞳は以前の乱暴さが嘘みたいに、丁寧に抱いてくれるようになった。


 だけど、瞳がハルから離別宣言を受けた日以降、恋人のフリをしてデートをすることはなくなり、セックスの最中に「ハル」と呼びかけられることもぱったりとなくなった。

「瞳……もっと、くれよ」

 ハルの真似をしてみても、瞳は反応してくれなくて、ただ事務作業のように僕のことを抱く。

 丁寧に抱いてくれるけど、それはきっと、僕にハルを見いだしたくないからなんだろう。



 僕は知っているんだ、瞳。

 事務所でハルの姿を見つける度、瞳の視線は必ず彼の方を向いてしまうこと。瞳が1人で、〈SHIWASU〉に足繁く通っていること。

 瞳のスマートフォンには、ハル宛であろう未送信のメールが大量に保存されていること。



 以前よりももっと、瞳はハルのことを求めている。

 それは誰よりも一緒にいて、無感情に抱かれている僕が1番知っている。




……っ、離せ、瞳!
 魚谷小晴を巻き込んだデートから、2週間ほど過ぎた頃。

 ハルの怒声を聞いたのは、事務所のとある部屋を通り過ぎた時だった。

 薄く開いたドアから覗き見れば、瞳がハルの腕を掴み、ぞっとするほど怖い顔で彼を睨んでいた。

瞳、まじでいい加減にしろ! 関係ねーのにこれ以上首突っ込んでくん……。
辞めるなんて、言わせない。
 それは逆らうことを許さない、と言わんばかりの命令だった。一瞬、ハルの背中が大きく揺れたけど、すぐに「うるせぇ!」と怒声が響いた。
これは俺の問題なんだよ! どうするか決めるのも俺だ! お前にどうこう言われる筋合いはねえ!
ハル。
っ今更恋人面すんな! 別れるって言ったのはお前だろ!

 ハルがそう怒鳴った途端、瞳が我に返ったように顔を強張らせた。腕を掴む手も弱まったのか、ハルが振り落としても、再度掴む様子はなかった。

 扉を蹴飛ばし、ハルが僕を横切っていく。頭に血が上るあまり、僕が見えなかったみたいだ。

 ちら、と室内へ視線を寄せると、瞳が顔を強張らせ、ハルの腕を掴んでいた手をこちらに向けたまま佇んでいた。

 が、すぐにその手に拳を作り、部屋から出てきた。僕の視線を無視し、ハルが去っていた方向とは反対へ行ってしまった。


 ハルが事務所との契約解除を迫られている。確かに、その話は以前から噂で聞いていた。ハルが自分から「まだ頑張らせて欲しい」って粘って保留になったって話だったけど、やっぱり事務所としては実績の出せないモデルは切りたいんだろう。

 多分、瞳くらいだと思うな。モデルとしてのハルのことをあれだけ求めて、諦めきれない人間なんて。


……馬鹿だな、瞳って。

前々から思ってたけど、瞳は救いようのないバカだ。

だけど、それ以上にバカなのは、そんな瞳のことを突き放せない僕だ。





『話があるんだけど。できれば電話がいいな』
 翌朝。僕はハルにそうメッセージを送った。ハルはすぐに電話を掛けてきた。昨日の瞳とのやり取りを引きずっているのか、それとも寝起きだったのか、気怠げな声が僕の鼓膜を打った。
『何だよ、仕事の話か?』
単刀直入に言うよ。僕と瞳はずっと嘘を吐いてたんだ。
『…………は?』
僕らは恋人なんかじゃない。全部、ハルを欺くためのお芝居だったんだよ。
『……何言ってんだよ、お前』
瞳の近くにいて、よく分かったよ。瞳がいかにハルのことしか見えてないってこと。

瞳は、ハルのためなら何でもする。そのためなら、恋人関係を壊すための演技をすることだって厭わないんだよ。

……だから、何が言いたいんだよ。回りくどいこと言ってねえで、はっきり言いやがれ
昨日、瞳と事務所で言い争いしてたでしょ。

事務所との契約解除の話、また出てるんだね。そのことで、瞳に口を挟まれたんじゃないの?

それが、何だってんだよ
そもそも、何で君たち一緒にいたの? 普段徹底して会わないようにしてたし、会っても挨拶すらしなかったくせに。
偶然、瞳が事務所にいただけだ。あいつがそこに勝手に割り込んできたんだよ
本当に偶然だったと思ってる?
決まってんだろ。俺と瞳はもうそういう関係じゃない。あいつに対する未練もない
 迷いのないハルの発言に、僕の中の苛立ちが昂り始める。
別れてから間もないのに、あっさりそう言えちゃうなんて、瞳とのことは遊びだったんだ?
ふざけんな、遊びじゃねーよ
……瞳も、今も同じ気持ちだよ。

瞳が愛してるのはハル、君だけだ。

っはあ?! そんなこと、信じられるか、俺を振ったのは瞳の方だろ!

…………それでも、瞳が求めているのは君だけ。言葉では何とでも言えても、態度は繕えてないんだ。瞳は、君と別れてから不安定になってる。このままじゃ、壊れちゃいそうなんだ。
 自分で口にして、吐き気を覚えた。本当に馬鹿げた話だ。

 何で僕が瞳のためなんかにこんな辛い思いをして、ハルに訴えなくちゃならないんだ。

……瞳の恋人はお前だろ。

お前が何とかしろよ。俺は……俺が出る幕なんかねえよ

 その台詞を最後に、ハルとの通話が切れる。

 その途端、僕は全身から力が抜けるのを感じて、その場にしゃがみ込んだ。真っ黒なディスプレイに映った自分が、歪んでる。

僕がどうにかできるなら……もう、とっくにしてるよ……。

 思わず漏れた呟きは、自分でも笑っちゃうくらい弱々しかった。


 








 その翌晩。僕はいつものように瞳に呼び出された。

 いつも通りホテルへ向かうかと思いきや、連れて行かれたのは〈SHIWASU〉だった。

……ハルのこと、見に来たの?

 テーブル席に着いてからそう尋ねたけど、瞳は答えず、ウエイターを呼び止めてウイスキーを注文した。

 すぐに運ばれてきたウイスキーに口をつけ、あっという間に空にしてしまう。かつん、と空になったグラスがテーブルにやや強めに置かれるのを横目に、僕も運ばれてきた梅酒を口にした。

ハルに何を吹き込んだ。
 こくり、と1口飲んだタイミングで、瞳が低い声音でそう尋ねた。冷え冷えとした鳶色の目に射止められ、喉を通る梅酒が焼け付くような熱を帯びたような気がして、僕はけほ、と軽く咳き込んだ。
ハルに、何か言われた?
答えろ。
ああ、ハル、隠し事とか苦手だもんね。態度に出てたのかな。
碧人。

 名前を呼ばれたのは、久しぶりだった。最後に呼ばれたのは、あの『本命』くんを巻き込んだデートの時以来。

 同時に悟ってしまった。僕はもう、後戻りできないところまで瞳と関わりすぎてしまったんだ、って。

 だって、名前を呼ばれただけで、抱かれている時みたいな甘い痺れが全身を通り抜けていったから。

ねえ、瞳。いい加減、ハルとヨリを戻してくれない?
何?
僕、もううんざりなんだ。君の茶番に付き合うのは。

 そう告げた瞬間、腹の底に落ちた梅酒が熱を帯びたみたいに、体中がカッと熱くなった。


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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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