6-5 お泊まり(恋人編)

文字数 3,691文字

じゃあ、楽しい夜を。

 満面の笑みの碧人さんを見送った後、僕はキスされた口……の端に手を当て、おずおずと実ちゃんを見上げた。実ちゃんは相変わらずぽかん、と口を開けたまま僕を見つめていたけれど、

おい、水野。何突っ立ってんだよ、邪魔。
 通りかかったウエイターさんに小突かれ、我に返ったようだ。
え、ええっと……とっ、とりあえず、何か食う?
あ、う、うん! そうする!

 こくこくと必死に首を縦に振る僕に、実ちゃんがホッとしたように目尻を緩めて笑った。

 




このピザ美味しいね。
海苔と醤油で和風テイストだから、お前、好きな味だろ? 俺も好きだけど。
う、うん……大好き、だけど……。
お、おう……。

 おしゃれなジャズピアノと、盛り上がる大学生の集まりっぽい隣席に対し、テーブル席でもそもそとポテトピザを食べる僕らは開始20分経っても盛り上がる気配が一切なかった。

 折角実ちゃんが休憩時間を利用して、僕と一緒にご飯食べてくれてるのに。ここに連れてきてくれた碧人さんの気遣いが無駄になっちゃうし、何かこう、もうちょっといい雰囲気にするにはどうすればいいんだろうか。

あのさ、俺、あと1時間ちょいで上がりなんだ。
あ、そ、そうなんだ……?
だから、お前が待ってくれるって言うんならさ、一緒に駅まで帰らねえ?
え、と……。

 言いよどんでしまうのは、さっき、実ちゃんに触られそうになって怯んでしまった自分のことを思い出してしまったからだ。

 実ちゃんと一緒にいられるのは嬉しい。でも、それは同時に触れない問題をより強く意識しちゃうことでもあるから、余計に空回りして、結局今日も落ち込む羽目になっちゃうんじゃないかって。そんなギクシャクした恋人じゃ、実ちゃんもいい加減イライラするだろうし……。



 ーーいや。ダメだ、小晴。折角碧人さんが掴んでくれたチャンスで、実ちゃんからのお誘いだ。断るなんて言語道断、ただ乗るだけじゃなくて、もっと大胆にいかないと! いい加減やることやれよっていう声も色んなところから聞こえてくる、今こそ!



あ、べ、別に強制じゃねーから!

お前、明日も仕事だよな? じゃあここで油売ってる暇なんて……。

実ちゃん家に、行きたいな。
へ??
今日は、か、かっ、帰りたくないから、実ちゃん家に泊まらせて……くれませんか?

 白ワインお代わり〜〜と明らかに出来上がってる隣席の女の人の声と豪快な笑い声をバックに、僕は顔から火が出る思いでそう告げた。

 その途端、実ちゃんの顔がアルコールをたくさん飲んだ後みたいに真っ赤っかになっちゃった。





 真っ赤な実ちゃんから無事にオーケーをもらい、僕は実ちゃんのお家にお邪魔することになった。

 時間は既に11時前。時間も時間だから先にお風呂に入ろうって実ちゃんが提案してくれて、お湯を張ってくれた。

お前、先に入れよ。
え、ええっ、そんな悪いから、いいって。
いいって。客優先。

碧人のワガママに付き合ったり、<SHIWASU>で間潰したりして疲れてるだろ? だからゆっくり入れよ。

 ほらほら、とふわふわとタオルやグレーのスウェットを僕の腕に抱えさせてくれる。実ちゃんの匂いがするそれをもじもじしながら受け取ると、僕はごくり、と喉を鳴らして震える唇を動かした。
……じゃあ、あの……。
ん?
……一緒に、入る?
いや、一緒に入ったらお前、気絶しそうだし止めようぜ?

 勇気出して誘ったのに、マジレス!!

 がぁん、と頭の中で盛大な落胆の音が響くのを聞きながら、僕はぷるぷると首を横に振った。

だっ、大丈夫だよ! 入るだけだもん、触る訳じゃないから!!
今だってぶるっぶる震えてるだろーが。
武者震いって奴だよ!
何かこの下り懐かしいな? 

っていうか、マジで止めとけって。無理しすぎ。

むっ、無理じゃないもんっ!
 焦るあまり、思わず僕の右手が実ちゃんのパーカーの裾を掴んだ。ぎょっとして表情を硬くする実ちゃんを見上げ、恥ずかしさで死にたくなりそうな自分を奮い立たせながら言葉を紡ぐ。
き、今日は1人で入りたくないっていうか……せ、折角泊まりに来たんだから、その、できるなら実ちゃんと離れていたくない、んだってば……。
……。
僕、ほんとに大丈夫だから、だからぁ……。
…………ごめん。

 ばっと実ちゃんが僕の顔面に右手のひらを向けた。驚いてパーカーの裾から手を離すと、そのまま実ちゃんがずりずり、と後退する。

 右手のひらの隙間から見えた実ちゃんは全身をぷるぷると震わせて、耳まで真っ赤になっていた。

お前じゃなくて、俺がヤバいから、ほんと、今日は無理。ごめん。
え。
悪いけど、俺、先に入るわ! ちょっと頭冷やしたいからっ……!
さ、実ちゃっ……!
すぐ上がるからっ!

 僕の返事を待たずに、実ちゃんはダッシュで浴室に駆け込んで行ってしまった。

 ええっと、今のリアクション……は、効果あったの? でも、結局断られたから失敗、かな……?





 お互いに何とか体を温めることに成功した僕たちは、そのまま就寝……する雰囲気になれなかった。実ちゃんが入れてくれた緑茶を飲みつつ、適当に借りた雑誌を捲っているけど、全然頭に入って来ない。ちら、と左隣で漫画を読んでいる実ちゃんを見るけど、いつになく真面目な表情を浮かべている。……あ、よく見たら手がぷるぷる震えてる。

(どうしよう……話、したいんだけどな。そして、あわよくば……

 なんて思いながら見つめ続けていたら、不意に実ちゃんが勢い良くこっちを向いた。


な、ナニ?
べ、別に、何も?
そ、そっか……。
おぉ……。
……。
……。
(会話おしまい?! 実ちゃん、目逸らしたし!)
(いや、受け身じゃダメだ! 僕だってイチャイチャしたいもんっ。攻めなきゃ!)
実ちゃん!
なっ、何だよ?!
キス、しよう!
 雑誌を放り出して、僕は実ちゃんにずいっと顔を寄せた。ぽかん、と口を大きく開く実ちゃんだったけど、すぐにぶんぶんと激しく首を横に振った。
い、いやいやいや! お前っ、急に何だよ!
急じゃないよ、ずっとしたかったもん! 実ちゃん、目、閉じて!
でも、お前、触れられないんじゃ……。

僕からなら大丈夫……かもしれないから! 

とにかく、僕はもう、限界なの! このままじゃ嫌なんだよ!

小晴……。
だから……お願い。

 ごくん、と実ちゃんの喉が鳴る。驚きに見開かれていた赤い目が、そっと瞼の向こうに消えていった。

 無言の了承に、僕の体が思い出したように緊張で震え始める。だけど、折角作ったこの雰囲気を無駄にする訳にはいかない。

 大丈夫。僕は日々、「練習」してるんだから。僕ならできる。実ちゃんのことが大好きなんだもん。

 そう言い聞かせて、僕も瞼を下ろした。

……っ。(ぷるぷるぷるぷる)
(ばしっ)
あいたぁ?!
 おでこの痛みに思わず目を開ければ、実ちゃんが苦笑いを浮かべてこっちを見つめていた。
無理すんな、ばか小晴。

……っ、するよ……だって……実ちゃんと本当の恋人になれたのに……触りたいのは本当なのに、全然できないなんて……。

泣くな。ほら。
 じわじわと目尻から溢れるものを堪えながら訴える僕に、実ちゃんがティッシュ箱を差し出す。遠慮なく数枚のティッシュを取り、ちーんと派手な音を立てて鼻をかむ僕に、実ちゃんが頭を掻きながら口を開いた。
あのさ、小晴。1度、こういうの止めねえか?
止めるって……。
恋人っぽく振る舞うの。
 僕の我慢のダムが凄まじい音を立てて崩壊した瞬間である。

 えぐえぐ、と泣き出した僕に、実ちゃんが目を丸くして、

ばか、別れるとかそういう話じゃねーよ。落ち着け。
……っ違うの?
ぜんっぜん違ぇよ。

俺が言ったのは、恋人そのものを止めるってことじゃなくて、手を繋ごうとしたり、キスしようとしたりとか……そういう『らしい』行動を一旦止めようって話。

……正直言うとさ、俺もお前に対してどう接していいか、分かんなくなってるとこあんだよ。

お前のこと、ちゃんと恋人だって思ってるし、色んなことをしたい気持ちだってある。でも、どうしてやるのがいいのか、分かんなくてな。お前にはすげーひでーことしちまったしさ。無理矢理どうこう、ってことは絶対したくねえって思うし。

……確かに、今まで色んな男の人と付き合ってきて経験はすごく豊富なはずなのに、あんまり余裕ない、よね?

ニブいお前にも分かるんなら、相当だな、俺。
そもそもさ、この空気、俺たちらしくないだろ。お互いに遠慮し合うとか、緊張するとか、そういうの。

それも、恋愛感情の1部なんだけどさ、そもそも俺たち、恋人になる前から長く深い付き合いな訳じゃん。

それを無理に変えるやり方は何か違うっていうか……とにかく、1度、やめてさ。もっと、肩の力を抜いて楽しいことしようぜ。

……。
お前はそういう始まり方じゃ、嫌か?
ううん。僕もするなら……もっと楽しいことしたいな。
きーまりっ! じゃ、今はとりあえず……ミラオニやろうぜ! 実は実家から持ってきたんだよ。
 ひひっ、と懐かしい笑い方をして、テレビへ向かう実ちゃんに、僕はもう1度鼻をかみながら呟いた。
ボス戦、僕にもやらせてね。
そりゃ、4面まで俺の援助なしでクリアしてから言えよな。
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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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