6-5 お泊まり(恋人編)
文字数 3,691文字
満面の笑みの碧人さんを見送った後、僕はキスされた口……の端に手を当て、おずおずと実ちゃんを見上げた。実ちゃんは相変わらずぽかん、と口を開けたまま僕を見つめていたけれど、
こくこくと必死に首を縦に振る僕に、実ちゃんがホッとしたように目尻を緩めて笑った。
おしゃれなジャズピアノと、盛り上がる大学生の集まりっぽい隣席に対し、テーブル席でもそもそとポテトピザを食べる僕らは開始20分経っても盛り上がる気配が一切なかった。
折角実ちゃんが休憩時間を利用して、僕と一緒にご飯食べてくれてるのに。ここに連れてきてくれた碧人さんの気遣いが無駄になっちゃうし、何かこう、もうちょっといい雰囲気にするにはどうすればいいんだろうか。
言いよどんでしまうのは、さっき、実ちゃんに触られそうになって怯んでしまった自分のことを思い出してしまったからだ。
実ちゃんと一緒にいられるのは嬉しい。でも、それは同時に触れない問題をより強く意識しちゃうことでもあるから、余計に空回りして、結局今日も落ち込む羽目になっちゃうんじゃないかって。そんなギクシャクした恋人じゃ、実ちゃんもいい加減イライラするだろうし……。
ーーいや。ダメだ、小晴。折角碧人さんが掴んでくれたチャンスで、実ちゃんからのお誘いだ。断るなんて言語道断、ただ乗るだけじゃなくて、もっと大胆にいかないと! いい加減やることやれよっていう声も色んなところから聞こえてくる、今こそ!
白ワインお代わり〜〜と明らかに出来上がってる隣席の女の人の声と豪快な笑い声をバックに、僕は顔から火が出る思いでそう告げた。
その途端、実ちゃんの顔がアルコールをたくさん飲んだ後みたいに真っ赤っかになっちゃった。
真っ赤な実ちゃんから無事にオーケーをもらい、僕は実ちゃんのお家にお邪魔することになった。
時間は既に11時前。時間も時間だから先にお風呂に入ろうって実ちゃんが提案してくれて、お湯を張ってくれた。
碧人のワガママに付き合ったり、<SHIWASU>で時間潰したりして疲れてるだろ? だからゆっくり入れよ。
勇気出して誘ったのに、マジレス!!
がぁん、と頭の中で盛大な落胆の音が響くのを聞きながら、僕はぷるぷると首を横に振った。
ばっと実ちゃんが僕の顔面に右手のひらを向けた。驚いてパーカーの裾から手を離すと、そのまま実ちゃんがずりずり、と後退する。
右手のひらの隙間から見えた実ちゃんは全身をぷるぷると震わせて、耳まで真っ赤になっていた。
僕の返事を待たずに、実ちゃんはダッシュで浴室に駆け込んで行ってしまった。
ええっと、今のリアクション……は、効果あったの? でも、結局断られたから失敗、かな……?
お互いに何とか体を温めることに成功した僕たちは、そのまま就寝……する雰囲気になれなかった。実ちゃんが入れてくれた緑茶を飲みつつ、適当に借りた雑誌を捲っているけど、全然頭に入って来ない。ちら、と左隣で漫画を読んでいる実ちゃんを見るけど、いつになく真面目な表情を浮かべている。……あ、よく見たら手がぷるぷる震えてる。
なんて思いながら見つめ続けていたら、不意に実ちゃんが勢い良くこっちを向いた。
ごくん、と実ちゃんの喉が鳴る。驚きに見開かれていた赤い目が、そっと瞼の向こうに消えていった。
無言の了承に、僕の体が思い出したように緊張で震え始める。だけど、折角作ったこの雰囲気を無駄にする訳にはいかない。
大丈夫。僕は日々、「練習」してるんだから。僕ならできる。実ちゃんのことが大好きなんだもん。
そう言い聞かせて、僕も瞼を下ろした。
えぐえぐ、と泣き出した僕に、実ちゃんが目を丸くして、
お前のこと、ちゃんと恋人だって思ってるし、色んなことをしたい気持ちだってある。でも、どうしてやるのがいいのか、分かんなくてな。お前にはすげーひでーことしちまったしさ。無理矢理どうこう、ってことは絶対したくねえって思うし。
それも、恋愛感情の1部なんだけどさ、そもそも俺たち、恋人になる前から長く深い付き合いな訳じゃん。
それを無理に変えるやり方は何か違うっていうか……とにかく、1度、やめてさ。もっと、肩の力を抜いて楽しいことしようぜ。