2-7 ラブラブカップルは怖いよ
文字数 5,810文字
どうも、魚谷小晴です。
ただいま午後九時を回ったところ。
現在、僕がいるのは××駅南口。直結する百貨店は既に閉まっている時間ですが、繁華街が近いため、通行人の数はそれなりにいます。
「今から飲みにいくぜー、ウェーイ!」なサラリーマンも、います。お酒は得意じゃない僕ですが、今だけはそのサラリーマンたちと一緒に飲みにいきたい気持ちでいっぱいです。
何故なら。
……いやいやいや?! 公衆の面前で大胆すぎませんか?!
変装しているとは言え、目を惹く容姿の二人のキス、しかも男同士。
その気がなくても、色んな人が見ちゃうから! もし特定されちゃったらどうするの! 特に瞳さんなんて、雑誌に限らずテレビにもバンバン出てるじゃん! 今度、映画の主演までしちゃうしさ!
っていうか、僕、てっきり瞳さんと一対一かと思ってたのに、何で当たり前のように碧人さんがいるの……って!
し、ししししっ、舌を入れないで下さい! 音を、立てないでくださあああいっ!
見ていられなくて、思わず両手で顔を覆う僕。
その目の前で、キスを続けるカップル(どっちも顔面偏差値高め)。
何これ、罰ゲーム? 僕何もしてないんですけど……多分。
顔を両手で覆いながら一人アワアワしていたら、碧人さんの不機嫌そうな声が聞こえてきた。
指の間からそっと窺って見れば、碧人さんと瞳さんのキスは終わっていた。
といっても、互いの吐息を感じちゃいそうな距離のままだし、碧人さんは頬をピンク色に染めて、小さく舌を出している。
キスしてなくても目のやり場に困る。
ちらり、と碧人さんが僕に視線を寄せる。
熱烈なキスで既に頭の中がぐちゃぐちゃだった僕、キスの後に続いた痴話げんか(?)にも更なるダメージを受けて、最早虫の息だ。
ラブラブカップルって怖いよぅ。
恋愛経験ゼロの僕でも分かるくらい、ラブラブなんだなあ、この二人。
僕と実ちゃんの恋人ごっこが、いかに生温いかよく分かる気がする……。
碧人さんの言葉に僕は思わず両手を下ろして、仏頂面で腕を組んでいる瞳さんに視線を向ける。
僕は元々、瞳さんに呼び出されたからここに来ただけで、具体的に何をするのかまでは聞いていなかったんだけど。
にやり、と意地悪そうに笑った瞳さんに、僕はまたお腹の底からふつふつと熱いものが込み上げるのを感じた。
実ちゃんが僕以外の誰かと恋人になるところなんて、もう嫌というほどたくさん見てきた。
瞳さんの時も例外じゃない。
実際にこの目で見た訳じゃないけど、僕が聞かなくても実ちゃんは遠慮なく惚気るから、瞳さんとどういう付き合い方をしていたかも大体知っている。
それを今更、元カレの口から聞いても別に意味なんてない、はずだ。
思わず元気よく右手を挙げて答えた僕に、瞳さんが「そうか」と目を細めた。
碧人さんが熱烈なキスの余韻を感じさせないクールな顔のまま、瞳さんの右腕にぎゅっと抱きついた。それに対し、瞳さんはふっと微かに笑みを浮かべて、ぽんぽん、と碧人さんの頭を撫でる。
さらさらと音を立てる碧人さんの髪に、瞳さんのしなやなか白い手が絡む姿は妙に色っぽくて、僕は思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。
僕の戸惑いなんてお構いなしに、寄り添った二人はそのまま駅の出入り口へ向かって行く。
葛藤を思い切り蹴り飛ばすと、僕は慌てて二人の後を追いかけた。
目の前を歩いていた二人が不意に路地裏に向かったのを見て、僕ははあ、と深々とため息を吐いた。
これで五回目だよ。
ふらっと人気のない通りに入ったかと思ったら、キス祭りが始まっちゃう。
駅で堂々とキスしてたのに、今更隠れてするのもどうなんだろうとか、そういう野暮なツッコミは多分、しちゃいけないんだろうなあ。
もちろん、僕は直視なんかできない。時々チラッと見るだけだ。
でも、そのチラ見だけでも、二人のキスシーンは刺激的すぎる。
暗がりという効果に加え、駅の時とは違って、瞳さんが碧人さんの体をいやらしく撫でてるんだもん。特に下半身への撫で方が一番いやらしく見え……うう、やっぱり見ていられない。
慌てて二人から視線を逸らして、繁華街の煌びやかな光を見つめる。
でも、視線を逸らしておけば大丈夫……という訳でもなくて。
折角見ないようにしてるのに、頭の中で勝手に二人の表情を妄想しちゃうんですけど。
背中に視線が突き刺さったような気がして、僕は恐る恐る振り向く。
瞳さんにぴったり密着した碧人さんが、じ〜っとこっちを見ている。
キスの余韻か、碧人さん目はうるうると潤んでいる。
その眼差しで見つめられると、こっちもむずむずと変な気分になってくるから止めて欲しい。
僕の頭の中で、さっきのキスシーンの碧人さんが実ちゃんに変わる。
ただ、それだけなのに、僕は首をぎゅっと締められたように苦しくて仕方なくなった。
いつの間にか至近距離まで詰めていた碧人さんに、僕は慌てて後ずさりをする。
吐き捨てるようにそう告げると、瞳さんは何事もなかったかのように路地裏から出て来て、再び歩き始めた。
碧人さんがひそひそと僕に囁く。耳の奥に響くこしょこしょと碧人さんのソプラノボイスにくすぐったさを覚えながら、僕は地面に視線を落とした。
瞳さんの思惑はよく分からない。
でも、僕に対して意地悪な態度を取っているというのは何となく伝わってくる。この後も、「ハルと俺はこうやって愛を育んでいた」と、過去を見せつけて来るんだろう、ということも予想できる。
このまま付いて行ったって、ろくな目に遭わない。
でも。
絞り出すような声で、僕はそう答えていた。
僕はそっと顔を上げ、呆れ顔をしている碧人さんに精一杯笑いかけた。
瞳さんが冷たい声音で碧人さんを呼ぶ。その声にほんの少し目尻を下げた碧人さんがくるりと踵を返し、瞳さんの元へ駆けていく。
瞳さんの右腕に碧人さんが再び寄り添ったところで、僕もそっと歩き出した。
じくじくと、胸の奥が変な音を立てるのを聞きながら。
ドアを開けた途端、大きな目をまん丸に見開いた実ちゃんの姿を見て、僕は全身から力が抜けるのを感じた。
店員という立場なんて忘れました、と言わんばかりに、実ちゃんが瞳さんに食って掛かる。
あ、SHIWASUの制服姿の実ちゃん、初めて見た。
どちらかというとフォーマルっぽい制服だけど、実ちゃんによく似合うなあ。普段パーカーとかカジュアルな服を着てる実ちゃんがそういうカッチリした格好してると、グッと大人っぽく見える。きっとおばあちゃんが大喜びするよー。(現実逃避)
その場にへたりこんでしまった僕に、実ちゃんが珍しく狼狽えた声を上げる。
ダメだ、色んな刺激を受けすぎて、頭の中がぼーっとしてる。
あれから色んなところに連れ回された気がするんだけど、二人がチューしてたり、瞳さんがえげつない笑顔で「この時のハルはエロい顔をしてた」って余計な情報をくれたり……胃がギシギシ痛むような内容しか覚えてない。
実ちゃんが不意に声のトーンを落とした。
ぼんやりした僕の視界の中で、実ちゃんが珍しく真剣な眼差しを瞳さんに向けている。
実ちゃんにしては珍しい、感情を抑えた声と表情に、僕の心臓がどきん、と一際高い音を立てる。
それとほぼ同時に、はっと瞳さんが小さく笑った。
瞳さんが冷たくそう言い放つと、実ちゃんを横切って奥のカウンターへ向かう。
その隣に控えていた碧人さんも何も言わず、瞳さんの後を追いかけて行った。
すると、さっきまでの真剣な表情から一変し、実ちゃんは気弱そうに眉を下げ、ぐっと唇を噛んだ。
それを目にした途端、僕はか〜っと目頭が熱くなるのを感じて、
僕の呼びかけを遮るように、こっちを振り返った実ちゃんがにっと笑って手を差し伸べる。
実ちゃんの笑顔を見て泣きたくなったのは、生まれて初めてのことだった。