4-2 エンカウント!

文字数 5,338文字

んじゃ、かんぱ~い!

……ぱ~い……。

おいおい、魚谷、もっと元気よくいけよ! 

俺1人じゃ寂しーだろっ!

ふ、2人しかいないんだし、別にいいんじゃ……。

2人しかいねーんだから、頑張って盛り上げるんだよっ! 

ほら、かんぱ~い!

か、かんぱ~い……。

 ビールジョッキをぐいぐい寄せてくる渡辺くん。その笑顔に押されるように、僕は無理矢理唇の端を上げながらノンアルコールビール入りのジョッキを掲げた。

 

 ここ、レストランバー<SHIWASU>を訪れるのは3回目だけど、僕にはあまり良い思い出がない。(主にシュラバ的な意味で)

 その上、実ちゃんのアルバイト先という、今の僕にとって回避したい場所だった。


 飲むにしても、場所はいつもの居酒屋さんにしてもらおうと思ったんだけど、

いつもと同じじゃ味気ないじゃんか。

それに、ここのクーポン、俺持ってるんだよ。それ使えば断然<SHIWASU>の方が安く飲めるし。

で、でも……っ僕、だ、ダーツとかできないし。

何事も挑戦だろ、魚谷! 

しゃあねえ、俺が奢ってやるからさ、なっ

 と、押し切られてしまい、結局ここに来てしまった。1度オッケーを出してしまった手前、飲みを断るのも申し訳ないからねえ……。



 実ちゃんにうっかり遭遇しないかどうか。それを考えるだけで心穏やかになんていられない。

 実ちゃんはモデルだけじゃ食べていけないから、ここでバイトしてるって言ってたけど……週にどのくらい働いているかについては聞いたことがないんだよね。


(モデルと兼業してるし、毎日出勤してる訳じゃないとは思うんだけど…………)

 ちらちらと周囲を見てみたけど、お客さんの姿が多くてよく分からない。

 ウエイターさんが通り過ぎる度、ビクッとしつつ確認するけど、実ちゃんには今のところ遭遇していない。

 でも、ホールじゃなくてキッチンにいる可能性だってある訳だし……。

っぷはあ! 仕事終わりのビールは格別だな!

(ちらちら)

ん? どうした、魚谷。飲まねえのか?

うっ、ううん、何でもない!

いただきまーす!

 僕は慌ててジョッキに口をつけた。

 うん、この喉ごし、仕事終わりの1杯によく合うなあ。アルコールはてんでダメな僕だけど、ビールのこの喉ごしだけなら好きだ。

 ぷはぁ、とビールの余韻に浸っていると、


お前さ。

んー?

彼女と喧嘩でもしたのか?

ぶふっ?!

 僕の口から思い切りノンアルコールのビールが噴出され、落ち着いたダークブラウンのテーブルを汚してしまった。

 途端に、向こう側のソファー席にいた渡辺くんが「うげえっ?!」と悲鳴を上げて、傍にあったナプキンで手早くテーブルを拭いてくれた。

ご、ごめん。

ホントだよ。まだ1杯目だっつーのに勘弁してくれよ。

うう……。

彼女と喧嘩っていうのは勘だけどさ。

お前に何かあったのは多分、俺だけじゃなく、編集部のみんなも分かってると思うぞ。

そっか……。

 以前から「お前は分かりやすい」ってよく言われてたから、思いのほかあっさりと「そっか」と言えてしまう自分がいた。

 けど、家族や仕事仲間にも僕の落ち込みが伝わっていたのだと改めて知ってしまうと、申し訳なさでいっぱいになる。


なあ、何があったのか、教えてくれねーか? 

恋愛関係なら尚更、相談に乗れるし。

そういや、前に恋愛相談に乗ってくれ、みたいなことを頼んで来ただろ。

そ、そんなこともあったね……。

全部曝け出せ、とは言わねえけどさ。

少しずつでも吐き出さないと、倒れちまうぞ。

どんなに小さな悩みでも、ちゃんと聞くからさ。そのために来たんだからな。

全部言うのはちょっと……って言うなら、少しだけでもいいし。

だからさ、言ってくれよ。魚谷。

 な、と渡辺くんが促してくるのを見て、僕は眉を寄せた。


 深く考えたくなくて、自分の中に沈めていた実ちゃんとのあれこれ。

 こうしてみんなに見えてしまっているのなら、このまま沈めていても意味がないな。

 たとえ、誰かに悟られないくらい上手く隠せていたとしても、現状は変わらない。

 このままじゃダメなことは、僕だって分かってるから。


……そうだね、言っちゃおうかな。

おう! 酒の勢いで1発ドバッと吐いてくれ。愚痴でもゲロでも受け止めてやんよ。

 胸板をどん、と叩いて爽やかな笑顔を浮かべる渡辺くん。

(酒の勢いで、か……それなら、何言っても許されるっていうか、そんなに深刻に受け止められないだろうから、気楽かも。

それに、誰かから意見を貰うことで、客観的に考えられるかもしれない)

……別に、面白くも何ともない話なんだけどさ。

 そんな前置きをしてから、僕は話し始めた。

 ……と言っても、そのまま語るのはさすがに憚られたので、『恋人ごっこ』云々は言わず、所々ぼかしたけれど。



 僕には好きな人がいる。

 その人は恋人と別れたばかりで、ずっと恋人がいない僕のことをあれこれ心配してくれてた。最初は全然自覚していなかったんだけど、本当につい最近、その人のことが好きなんだと僕は気づいた。

 別れた恋人とのことは吹っ切れたと言っていたんだけど、この前偶然、その恋人が僕の好きな人に未練があるという話を聞いてしまった。

 しかも、僕の好きな人も、どうやら元恋人にまだ未練があるらしい。



 ……と、こんな風に。


ほーん……未練ねえ。

 できたてほやほやの分厚いフライドポテトをつまみながら、渡辺くんは神妙な顔でふむふむ、と1人頷いている。


まあ、恋人同士だったんなら、色々あるだろうし。

ない話じゃないよな。未練があるってのは。

じゃあ、やっぱり……。

本人の口から直接聞いた訳じゃねえんだろ? 

決めつけるのは早いだろ。

そ、そうだけど、今までのこと考えるとさ。

 こうして話している間も、実ちゃんとエンカウントしてしまうんじゃないか。

 そんな不安も混じって、僕は手元のジョッキを無意味にくるくると回してしまう。

まー、ハッキリ聞くのは難しいかもだけどさ。

このまま距離を保ったままだと、自分もモヤモヤするし、相手も戸惑うだろ。

特にお前は分かりやすいんだからさ。

うっ、そ、そうだよ、ね……勘づかれちゃうよね……。

っていうか、勘づいてるだろ、間違いなく。

だから、ここは1発、お前から動くべきだって。

相手から直接、ちゃんと聞くんだよ。ホントのことをさ。

や、やっぱりそうするしか……ないよね……。

けど……もし、実……じゃなくて、その人がまだ未練を持ってたら……。

そうだとしてもよ、大事なのはお前の気持ちだろ?

つか、お前はその人と付き合いたいんじゃないのか? 好きなんだろ?

 ビールジョッキをどん、と置いて、渡辺くんが鼻息荒く問いかけてきた。


 好き。その気持ちは確かだ。

 でも、「付き合いたいか」と聞かれると。


……分からない。

い、いやいやいや、付き合いたいだろ?! 

いくら彼女が別の人を好きかもしれないからって、簡単に諦めるなよな。お前の隠された男気を今こそ発揮する時だろうが!

……。

……あー……まあ、好きになったからって言って、みんながみんな付き合いたい訳じゃねえよな。

お前にも色々複雑な思いとか、事情っつーのがあるのかもしれねえし。

うん……。

 ありがとう、渡辺くん。

 何だかんだで察してくれる君の存在は、仕事でもプライベートでもありがたいと思ってるよ。

まずは話してみろよ。

彼女も、きっと今のお前みたいに混乱してるだろうし。

お互いに気持ちを落ち着かせるために、今みたいな感じでかるーくメシに誘ってみてさ。

軽く誘う、か……。

そーそー。軽く世間話でもしようぜってノリが大事だな。

んで、気持ちが解れたら、ちょっと本題に踏み込んでみてさ。

まずは相手の今の気持ちをちゃんと聞くこと。否定はせずに、とりあえず受け止めることが大事だな。

んで、それからお前はどうすればいいか、考えてみろよ。どうしても分かんねえってんなら、また俺が飲みながら聞いてやるからさ。

 フライドポテトを豪快にかみちぎりながら、渡辺くんはウインクしてグッと親指を立てた。

そっか。まずは、ちょっとでも気楽に話せるように、だね。

そーいうこと。恋愛事は自分から動くことが大事だからな。

受け身のまま、勝手にあれこれ考えてたりしてても、何にも変わんねえ。ずっとモヤモヤしたまんまだろ?

そんなん抱えたままじゃ、仕事も捗らねえし、酒も美味くねえからな。

 うんうんと頷きながらビールを飲み干すと、渡辺くんはジョッキを持つ右手をぱっと挙げた。


すみませーん、お代わりと、焼き鳥三種盛り下さいっ!

ま、待って渡辺くん、君酔ってるよね?! 

メニューにないもの頼まないで!







 そんな調子で、渡辺くんはハイペースで料理やお酒をお腹に収めていった。酔いが回って「もっと食え」「お前も酒飲もうぜ!」と言ってくるようになった彼を宥めつつ、僕もちまちま料理を楽しんだ。


 そして、2人だけの飲み会が始まって1時間も経たない内に、渡辺くんがテーブルに突っ伏してしまった。


渡辺くん……大丈夫?

おぉ~……魚谷がキラキラに見えるぜ~……。

……ダメだ。もう、手遅れだった……。

 力なく首を横に振る僕に、渡辺くんが唐突にがばっと起き上がった。

うわっ?!

らーいじょーぶらってえ! もっとのもーぜ、うおたにぃ。

いや、もう止めておきなよ、ベロベロじゃん。

らいじょーぶらって、んぐ。

 渡辺くん、美味しそうにジョッキを傾けてるけど、中には1滴も入っていない。

 それでも、まるで本当に飲んだみたいにぷはぁ、と満足げな吐息を漏らしたかと思うと、

むにゃ……。

 ぱたん、と糸が切れたように渡辺くんが再びテーブルに突っ伏してしまった。

 今度は、盛大な寝息まで聞こえてくる。本当に意識を手放してしまったようだ。


(どうしよう。渡辺くん、通勤に使ってる電車の路線、僕と全然違うんだよなあ。

さすがにここからだとタクシー代が馬鹿にならないし、何とか酔いをさましてもらわないと……)

 頭を抱える僕をよそに、渡辺くんはすやすやと気持ち良さそうに寝ている。

 良い夢見てるのか、目尻も口元もゆるゆるだ。見ているこっちもつられて笑ってしまうくらい、良い寝顔だ。

(確かに、こうやって悶々していても何も変わらない、よね)

(それに、自分から避けているとは言え、本当は実ちゃんと話がしたいし、こうやって一緒にご飯食べたいし……笑顔が見たい)

 そんなことを考えていたら、胸の奥がきゅっと苦しくなってきた。

 誤摩化すようにお皿に残っていた唐揚げを頬張った瞬間、テーブルに置いていた僕のスマホが微かに振動した。

 画面に表示された『実ちゃん』の文字に、心臓が早鐘を打ち始める。

 振動はすぐに止み、『実ちゃん』の文字の横に、メールを示す封筒のアイコンが浮かび上がった。

 僕はこくん、と咀嚼した唐揚げを飲み込むと、恐る恐るスマホを手に取った。


『生きてる? まだ、モーニングコールとか夜の電話とか、できそうにないくらい忙しいのか? 

たまには、声、聞きたいなって思ってるからさ、暇なときでいいから、連絡くれ』

(……実ちゃん)

(こんな風に言われたら、ますます会いたくなっちゃうじゃんか)

 スマホをぎゅっと握りしめながら、僕は改めて店内を見渡した。行き交うウエイターさんの中に、やっぱり実ちゃんの姿は見当たらない。

 と、思ったら、その内の1人と視線が合ってしまった。

ご注文ですか?

あ、え、えと、お冷や下さい。

 かしこまりました、と穏やかな笑みを湛えたまま会釈し、ウエイターさんが去って行く。

 後ろに括った髪型といい、背格好といい、少しだけ実ちゃんに似ているそのウエイターさんの背中を見送った後、僕はよし、とスマホを操作し始めた。

(ちゃんと実ちゃんと話そう)

(僕も、声が聞きたいし、会いたいなって思ってる。

だから、また仕事帰りに待ち合わせして、一緒にご飯食べよう。誕生日の仕切り直しも、したいし……と)

 迷いなく『送信』の文字をタップすると、すぐに『送信完了』と表示された。

 その文字にホッと息を吐いた途端、トイレに行きたくなった。ノンアルコールビールやソフトドリンクばかりだけど、僕も結構飲んだもんなあ。

トイレ行ってくるね。

……んあ……いてらー……。

 眠っていてもちゃんと返事をしてくれた渡辺くんに苦笑しながら、僕はトイレへ向かった。






 『MAN』の文字が刻まれた、薔薇のボードの掛かったトイレのドア。

 薔薇を模した金色のドアノブを回した瞬間、ぱしん、と鋭い音が聞こえてきた。

――やっぱり、最初からこんなことしなきゃ良かったんじゃん。

 え、この声って。


 そう思った時には既に遅く、僕の手はダークブラウンのドアを押し開けてしまっていた。


拗ねてないで、さっさとハルを奪い返してき――。

 開かれるドアの向こうで、怒りを滲ませた丸眼鏡の美人――もとい、碧人さんと目が合う。

 次の瞬間、碧人さんがまん丸に目を見開いて固まってしまった。

君……。

 そう漏らす碧人さんの手前で、僕に背を向ける形で立っていたのはすらりとした長身の男。


 ゆっくりと振り返ったその人――瞳さんのシナモン色の目が僕を捕らえた瞬間、その眉間に2本の皺が刻まれた。


(……何で)

(何でいつも、この人たちとここでエンカウントするんですか、神様?!)

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色