番外編 クリぼっちの夜

文字数 2,960文字

メリークリスマス、まぐろ。

 雲ひとつない星空から、僕の背後でミルクを飲んでいるまぐろへ視線を向けた。

 ……んだけど、お皿がひとつあるだけで、無愛想な黒猫の姿は見当たらない。


……寒くて逃げたな。

 きっと、僕の布団の中でヌクヌクしてるんだろうなあ。

 さすがに、無理に引きずり出す訳にも行かない。僕はまぐろと二人きりの小さなクリスマスパーティーを諦めて、再び自室を背にした。


 ここは、僕の部屋の小さなベランダ。

 と言っても、小さいし狭いしで、大人だと座ることしかできない上に、二人以上だと定員オーバーになってしまう。ちょっとした屋外物置みたいなその空間は、昔から僕のお気に入りの秘密基地だった。

 

 一人だけになってしまったパーティーのメインデッシュ(と言っても、これしかないんだけど)は、ホットのカフェオレ。

 寝ている家族を起こさないよう、こっそりキッチンで作った。クリスマスだから、ミルクを多目にして、砂糖もたっぷりにして。

 ……けど、別にクリスマス感はないね、うん。ただの甘いカフェオレだし。

はー……寒い。
 日中は太陽が出てる分暖かいけど、夜、特に今みたいな深夜は寒くて震えが止まらない。

 それなら、部屋で飲めばいいって話なんだけど、ここのところ、ずっーと編集部にこもりきりで、外の空気をまともに吸えていなかったから、恋しかったんだ。


 結局、今日も午前様で帰宅だった。今年は就職してから、毎日こんな調子だ。

 今日もいつも通り、素早く布団に入って、それでクリスマス終了、は何だか寂しくて。

 だから、せめてベランダに出て、夜の空気を吸いながらクリスマス気分を味わおうと思っていたんだけど。

(寂しさが5割増しって感じ……)

 カフェオレから漂う湯気を見つめながら、僕ははあ、と寂しさを吐き出す。

 去年までだったら、恋人のいない友達と集まって「野郎だけのクリスマスパーティー」してたけど、今年は忙しくて参加できなかった。家族と、と思っても、家に帰って来るのが深夜じゃ、パーティーなんかできない。うちのおばあちゃん、10時に寝る人だし。


 今年は、クリスマスぼっち。略してクリぼっち。

 どうしようもないことだし、分かっていたことなのに、寂しい。

 嫌だな、一人が寂しいなんて子供みたいなこと思っちゃう自分がいるなんて。もう社会人だってのに。

(子供、か……)

 子供の頃のクリスマスは、いつもキラキラと眩しい笑顔が隣にいたっけ。

 一瞬、思い浮かんだ懐かしい笑顔に、僕はいやいや、と首を横に振った。


 クリスマスなんて特別なイベント、彼は絶対恋人と過ごしてるはず。

 現に、ゲイだと自覚し吹っ切れた高校生の頃から、彼は僕とクリスマスを一緒に過ごすことはなくなったから。

 今も、彼にはお付き合いしてる人がいるし。確かモデルだって言ってたっけ。




 今の僕には遠いお星様のお話

 そのお星様が僕の傍にいてくれた子供時代には、もう戻れない。




 舌先が温かさを求めてじん、と痺れた気がして、僕は2口目を飲んだ。

 思ったより早く温くなった中身に更に虚しさを覚えていると、てーてててててーとリズミカルなメロディが流れてきた。


ひぇっ?!

 まさか、こんな日に? 今日は絶対定期連絡はないと思ったのに。


 わたわたしながら、僕は部屋に放置していたスマホを取った。

も、もし、もしっ!
『おす、久しぶり』
ど、どうしたの、なんかあった?
『クリスマスだから、「メリクリ」って言いたかっただけだけど』
だってこんな日の夜に電話なんて……あっ、フラれたのか。
『勝手に人の恋愛を終わらせんな』
だって、クリスマスイブだよ?

実ちゃん、絶対彼氏と過ごしてるはずじゃ……はっ、まさか、そういうプレイ中

『変な妄想するな! 何だよ、そういうプレイって!』
そ、それくらい驚いてるんだよ。

この時期に実ちゃんの声聞くの、すんごく久しぶりだったから……。

『そうか? 俺はつい最近まで、お前と一緒に過ごしてた気がするけどな〜』
僕の記憶だと、実ちゃんがクリスマスを一緒に過ごしてた相手……っていうか、彼氏っていうと、赤井先輩が最近かなと思ったけど……。

ほら、マッチョの。

『赤井って、高3の時の話じゃん、それ。

しかも、クリスマスの日にヤッてから俺のこと振りやがった、最低野郎だし!

あ〜〜っ、くそっ、嫌なこと思い出させんなあっ!

あ、そっか、ごめんごめん。

じゃあ、一番新しい思い出のクリスマスというと、スカウトされた後に付き合った事務所のスタッフさんだっけ? それとも、アルバイト先の先輩だったかな?

『全部、クリスマスが来る前に終わってんだよ、つか、掘り返さなくていいから!

俺は今、アイツしか見えてねえのっ! 

俺の心もケツもアイツのもんなんだからな! 覚えとけ!』

つ、続いてるんだね、良かったねえ……。
『……なんて、言ってるけどさ。

今年のクリスマスは、向こうが仕事でこっちを離れててさー。

俺、今年は仕方なくクリぼっちなんだよ』

実ちゃんの口から『クリぼっち』なんて言葉が聞けるなんて、レアだね。
『つーか、小晴こそ、こんな時間まで起きて何してんだよ?』
実は僕もクリぼっちなんだ。

ずっと仕事で職場に缶詰になってたから、友達と過ごせなかったし、家族となんてもっと無理だったし、恋人なんている訳ないしさ。

でも、ちょっとくらいクリスマス気分を味わいたくて、外を眺めてたとこ。

『お前も?

何だ、それならお前と会えば良かったな』

えっ。
『彼氏がいないから、仕方なくモデル仲間とクリスマス会したんだけどさー、みんな俺より先輩だし、気が置けねえ感じで窮屈でさー。

ダチがいれば3次会も行けたけどさ、さすがに無理だったから、抜けて来ちまったんだよ。

実はさっき、ようやく帰ってきたところでさ』


そ、そうだったんだ。
『それなら、お前に会いに行っても良かったかなって。お前と一緒だとすげー落ち着くし。

終電が終わってなけりゃ、行ったんだけどな〜』

さ、さすがに終電は終わっちゃってるねえ。

こればっかりは、しょうがないね。

 何でだろ。ただ、「会えたかもしれない」って言われただけなのに、落ち着かない。

 まるでくすぐられてるみたいに、もぞもぞと足下を動かしてしまう。

『正月、会いに行けたら行くからさ。そん時、遊ぼうぜ。

ばーちゃんにも伯母さんにも会いたいしな』

あ、あのっ、実ちゃんっ。

『んー?』
 くすぐったさから逃げるように呼びかけたけど、何を言えばいいか分からなくなってしまった。

 電話越しの実ちゃんの息づかいがくすぐったい。外にいるのかな、ちょっとだけ荒く感じる。

えっと……そう、彼氏さん!

彼氏さんとはどんな感じなの? ほらっ、二ヶ月前、旅行に行く前日に連絡くれたでしょ?

どうだったかなって思って。

おっ、聞いてくれるか〜?

ノロケ、いつもの5割増しになるけどいい?』

ふふっ、いいよ。

 僕がそう言った途端、実ちゃんの怒涛の恋バナが始まった。

 やっぱり、「メリークリスマスが言いたかった」は建前で、本当はこっちの話をしたかったんだな。

 そうだよね。実ちゃんが僕に連絡するなんて、そういう時だけだから。クリスマスなんて、関係ないんだよね。



 うんうん、と相槌を打ちつつ、僕はカフェオレに口をつける。

 冷めた甘いカフェオレはなんだかほろ苦くて、あんまり美味しくなかった。

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登場人物紹介

魚谷小晴(うおたに こはる)

駆け出しの雑誌編集者。23歳。

何事にも一生懸命で人当たりもいいが、時折恐ろしい程の鈍感っぷりを発揮することがある。(主に恋愛関係において)

恋愛経験ゼロ。ファッションセンスもゼロ。

多分、ノンケ。

従兄弟の実治にいつも振り回されていて、彼の「お願い」を拒めない。



水野実治(みずの さねはる)

小晴の従兄弟。小晴からは「実ちゃん」と呼ばれている。23歳。

「ハル」という芸名で、ファッションモデルとして活動中。

ゲイであり、現在、モデルの恋人がいるらしいのだが……?

負けず嫌いで、ややワガママなところがある。

日和 智(ひより さとし)

小晴の上司。47歳。

小晴の母親(作家)の元担当であり、小晴が編集者に憧れるきっかけを作った人物でもある。

物腰が柔らかく、口調も穏やか。が、仕事に対しては厳しく、笑いながら容赦ない言葉を吐くこともある。

木谷新二(きたに しんじ)

小晴の職場に隣接しているカフェ「うのはな」でアルバイトをしている大学生。21歳。

小晴の高校生の時の後輩。

誠実で生真面目だが、動揺すると顔や行動に出てしまう。恋愛経験が乏しく、それ絡みの話にはウブな反応をする。

如月瞳(きさらぎ ひとみ)

実治の恋人。実治と同じ事務所に在籍するモデル。24歳。

ゲイ。タチ専門。

実治とは同じ時期にモデルデビューした経緯があり、ライバル兼友人としての付き合いが長い。最近はドラマや映画など、俳優としても活躍中。

実治曰く、性格は「すげー最悪」。

美樹碧人(みき あおと)

実治、瞳と同じ事務所に在籍する新人モデル。20歳。

仕事の時は笑顔を絶やさないが、普段は感情の起伏が乏しい。

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