5-1 恋は意外と足元に落ちている
文字数 3,332文字
今日は、スマホの目覚ましよりも、ご飯の催促に来るまぐろよりも早く目が覚めた。
ベッドで微睡むことなくちゃっちゃとお弁当も作り終え、今はこうして鏡の前で身だしなみチェックを行う余裕すらあった。
ほら、僕だってやればできるんじゃん。まぐろの力も、実ちゃんのモーニングコールもなくても、全然大丈夫だ。
ネクタイの結び目を整え、リュックを背負ったところで、僕はようやく学習机横のポスターへ――実ちゃんへ視線を向けた。
ポスターに挨拶しただけなのに、声が少しうわずっちゃったし、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
でも、しょうがない。だって、人生初の失恋を経験したばかりなんだ、そう簡単に切り替えられないよ。
だけど、僕はちゃんと従兄弟に戻るって宣言したんだ。
だから、辛くても続けなくちゃ。
その言葉で、ふとあることを思い出した。
夕焼け色に染まった教室で、当時中学生だった実ちゃんが泣きながら僕にある告白をしたことだ。
『俺、あいつが好きなんだ。男同士だって分かってるし、思い続けてたってどうしようもないけど、気持ちが抑えられないんだ』
そんな実ちゃんに、僕は『誰かを思う気持ちは無駄じゃない。思い続ければ何とかなる』って言ったんだ。
同じだ、あの時と。
前向きなこと言ってるつもりなのに、胸が苦しい。
記憶を追い払うように大声を上げると、僕は自室を飛び出した。
にゃあ……とまぐろの寂しそうな鳴き声は聞かなかったことにして。
午前11時前。
編集部外での打ち合わせのため、少し早めの昼食を取りに僕は〈カフェうのはな〉を訪れていた。
できれば、木谷くんに会いたいな、と思ってドアを開けたら、ちょうど彼の背中を見つけた。
急に後ろから声を掛けたせいか、木谷くんがびっくりした顔で振り向いた。
持っていたパンケーキが一瞬傾きかけたけど、上に乗せられたバターも落ちずに済んだ。
爽やかな笑顔と共に木谷くんが足早に去って行く。それを見送った後、僕は隅のテーブル席に座った。
時間はギリギリモーニング。テーブルにあったメニューも、モーニング専用になってる。
よし、今日は折角だから小倉あんトーストとフレンチトースト、それにスープまで頼んじゃおう。コーヒーも1番大きなサイズにして。
自分にしてはてきぱきとメニューを決定し終えると、ちょうど木谷くんがぱたぱたとこちらに駆け寄って来てくれた。
コーヒーのお代わりを淹れにやってきた木谷くんに、思い切って僕はそう打ち明けた。
木谷くんはぴくり、と一瞬体を揺らしたけど、熱々のコーヒーを僕のカップに注ぎ終わると、
でも、ずっと苦々しく思い続けていたくないな。次に会う時、気まずくなっちゃうのは嫌だもん。
前みたいに笑って話がしたいし、その時に意識もしていたくないし。
……気まずくならない自信、どうやったらできるかな……。
そうです。敢えて、恋愛に関するもので。
最初は水野先輩とのこと思い出して辛くなるかもしれないんで、思い切り笑えるコメディーがお勧めです。
それか、色気のあるシーンの多いものとか……俺の場合だと、グロいのが苦手なんで、そういうものが敢えて含まれるものを読んでみたりしましたよ。
……俺の場合、失恋しては再燃して、また失恋して……って感じで普通じゃないんで、経験って呼べるものと言えるかどうかは分かんないですけどね。
とにかく先輩、今は水野先輩との関係を元通りにすることに集中するより、先輩が毎日楽しく過ごせることを優先させた方が良いです。
俺、先輩には笑っていて欲しいっていうか、元気になって欲しいんです。先輩は、その方がずっとらしいですから。
本当に、この後輩はどこまで優しいんだろう。
一瞬だけ。本当に一瞬だけだけど、好きになったのが木谷くんだったら。今、この瞬間に告白しちゃうだろうなあって思う。
ううん、そうじゃなくても。僕が次に好きになる人は、彼のような人がいいなあ、なんて、ちょっと贅沢がすぎるだろうか。
そう言いながら腕時計に視線を落とした僕は、「げげっ!」と叫んだ。
電車に乗らなきゃいけない時間が迫ってる。
ぐいっとコーヒーを飲み干すと、僕はそのまま木谷くんにお会計まで付き合ってもらった。
そんなことを考えつつ、駅へ走って行く。
と、不意に左腕をぐいっと強く引っ張られた。
反射的に振り向くと、何とそこにいたのは木谷くんだった。
じゃあ、と頭を下げ、木谷くんは足早にうのはなへ戻って行ってしまった。
対する僕はというと、頭のてっぺんから爪先まで熱が迸るのを感じ、今起きた出来事を理解するのに精一杯だった。