第51話 不気味な容疑者

文字数 3,361文字

『冬。今日は叶泰くんの命日だね。あたしに任せて、冬は何もしなくていいから』

 これは盗聴機のデータである。

 小林と話を終えた松本は知り合いの探偵浜田という男から呼び出され急いで彼の事務所を訪れていた。

 これは警察として、そして人として間違っていることだと松本は分かっていたが、疎井冬について何も手がかりになりそうな物が全く見つからないこと、今も暴走族襲撃事件の犠牲者が増え続けていることを天秤にかけ、真実を知る為には仕方のないことだと自分に言い聞かせた。

 松本はこの浜田に協力してもらい疎井の自宅に盗聴機をしかけたのだ。

 鏡叶泰が死んだのがチームのケジメによるものではないのなら、それは他の誰かがその後に叶泰を刺しに行ったということだ。

 だが一体誰が?

 松本はこの1年あらゆる可能性を考えてきた。

 まずは全くの他人、無差別の可能性。しかし現場近くのコンビニやドライブレコーダーなどの映像を何度解析しても全くと言っていい程それらしい人物も怪しい車なども確認できなかった。

 現場となった場所も廃工場の中ということで、まず一般人が通ることはないということからこの可能性はほぼないとしか言いようがなかった。

 その点で言えば他のチームとの抗争や、例えば見せしめなどの理由からという犯行もないことになる。

 そもそも叶泰は他のチームの人間とはわりと仲が良く、どちらかと言えば好感を持たれており、そんな計画的に殺される理由がなかった。

 それではやはりチームのケジメで殺されてしまったのか?

 残念ながらそれもない。逮捕された全ての少年たちにポリグラフ検査、いわゆる嘘発見器まで使われたが全員の証言は一致し誰も検査にはひっかからなかった。逆に嘘ではないことが証明されてしまったのだ。

 仮に彼らの犯行だったとしても、確実な証拠がなければもう捕まえることはできない。

 そして、松本が今動いているのが女関係だ。まずは1番最近の元彼女の誘木浬。突然の別れ、それに続く婚約の話に恨んでいただろうか?

 それから椿原萼。この女が関係していたのは昔のことだが噂によれば別れたことを根に持っているらしい。現場からは家も近い。犯行は可能と思える。

 そして風矢咲薇。自分ではただの幼馴染みと言っていたが少なくともそれだけとは思えなかった。何かしらの気持ちがあったように見えたが関係があったという情報はない。

 最後にこの謎の中心人物として見ているのが疎井冬である。彼女に関する資料や情報は全くないも同然で実に不可解なことが多い。叶泰の携帯から身近な存在であるということは分かったが聞きこみではその存在を知る者はおらず、婚約者が疎井冬であることは明白だがその証言は得られなかった。

 婚約者でありながら叶泰が死んだ時、一瞬その確認に警察署を訪れたらしいのだが、事情聴取に応じないどころかいつの間にか姿を消してしまってそれっきりらしい。葬儀にも現れなかったという話だ。

 分かっているのはそれらのことと住所だけ。だから松本は疎井の自宅に度々張り込み行動を監視してきた。

 普段はマスクをしていて顔はよく分からなかったが体型はスラッとしていて細くきつい目をしていた。今は花屋で働いていてよくペットショップに立ち寄っていく。

 他、買い物に出かけることなどもあるが他の誰かと遊びに行ったりすることは一切ない。

 一見怪しい所もなく疎井冬はただの婚約者というだけなのかもしれないと思ってしまいそうだが彼女は時々急に出かけ、ふとした瞬間に姿を消してしまうことがあった。

 そんな時に限って例の暴走族襲撃事件が起きるので、松本はその犯人を疎井だとにらんでいた。だがそれを決定づける証拠はないままもう何ヵ月も過ぎている。

 それでも松本は張り込みを続けついに最近家を訪ねたのだ。しかし応答した女は疎井冬のことを姉だと言った。実に興味深い話だった。

 出生の情報が定かではない以上半信半疑でしか聞けないがそれが嘘にしろ本当であるにしろ聞くだけの価値がある話だ。

 だが疎井が姉妹、もしくは双子だったなどという話は以前の施設や小学校からは確認できなかった。捨て子だったのは冬1人だったし、少なくともそうではなかったはずということだ。

 だとすると謎の妹アヤメはいつどこから現れたのか。姉の冬はどこへ行ってしまったのか。

 松本の頭の中はとうとうどうにもならなくなった。

 疎井冬だと思っていた人物がアヤメと名乗ったことを受けて松本は浜田に無理矢理頼みこみ行動に出た。疎井の留守中に自ら盗聴機をしかけに入ったのだ。

 もちろんそれは警察がしていいことではない。犯罪だ。浜田にもやはり止められたが自分が刑事であることなどこの際どうでもいい位、真相が知りたかったし止めなければならないという使命感が勝った。

 疎井が出かけ家の中が留守なのを確認すると浜田に鍵を開けさせ、中には松本1人で侵入し天井裏やステレオの中、キッチンの戸棚の死角に用意してもらった小型の盗聴機を設置した。

 刑事でありながらこんな空き巣まがいなことをして正直心臓が破裂しそうだったが、これで何かが分かると思うともう止まれなかった。

 その興奮はヤバいという感覚ではなく、初めて女の裸を見てこれからいざ触ろうか、それとも舐めようかというそんな性的なものに近かった。

 盗聴機の音声は録音され、そのデータはその都度浜田が確認し、何かあれば松本に連絡がくることになっていた。

 浜田は松本が来るなりその録音されたデータを聴かせた。

『冬。今日は叶泰くんの命日だね。あたしに任せて、冬は何もしなくていいから』

 疎井アヤメの声だ。1度家を訪ねた時に声を聞いているのでそれは分かる。

『なんやこれ』

 浜田は冷蔵庫から缶ビールを2本出すと1本を松本の前に差し出し、さっさとフタを開けのどを潤すように半分近く一気に飲み干した。何やら具合でも悪いのか表情がいつもと違っている。何かまずいことがあった時の顔だ。

『これ、よぉ聞いてくれ。これ一言だけや。いきなり無言だったんがもしもしも言わんと目の前の人間にでも話しかけるようにこの一言や』

『どういうことや?』

 松本は浜田の言いたいことがまだよく分からないでいる。この一言だけ聞くと疎井アヤメは今日何かをするらしいことしか分からない。

 それが亡き鏡叶泰のバースデーパーティーで料理やケーキを作るというのなら松本も賛成だが残念ながらそれは期待できない。

 この女は今夜も急に出かけ、突然消え何かをしでかすつもりだろう。

 だが、浜田の用件はそこではなかった。浜田は次のデータを再生した。

『おはよう冬。起きてたの?ねぇ聞いて。今日あの女が夢に出てきたの。ホントいまいましいったらありゃしない…今すぐ崖から突き落としてやりたいよ。』

 その再生はそこで終わった。

『今のが昨日の朝1発目の言葉や。ほんで次が昨日の夜や』

 続けてデータを再生していく。

『この入浴剤、とても香りがいいの。冬もたまには出てきて入ったら?』

 3つ目の再生が終わると松本の鼓動はだんだん強くなっていった。

『浜田…お前なんて言うた?…昨日やと?』

 最初の再生を聞いて当然のように疎井アヤメが姉の冬と電話で話している絵が浮かんだ。

『昨日や…お前、朝から張りこんどったやんか』

『疎井冬がいつの間にか帰っとった言うんか?』

『それやったらえぇねん。まだな…』

 松本はまだ浜田の言いたいことが分からなかった。

『誰もおれへん。なんにも答える声もせぇへんしやな…声どころかこいつが出てってから物音1つせぇへんねんで?こいつ、薬でもやっとんのと違うか?』

 2番目の再生まではまだ電話の通話で説明がつく。だが3番目の内容では「この入浴剤」と、まるで見せながら話すように言っている。

 とても気持ち悪かった。真相に近づいたはずがまんまと招き入れられているように思えてしまった。

 ここでこのまま考えていても答えは出ないだろう。そんなことより今日何かをするつもりならそれを止めるべきだ。

『俺は今から張りこむから、またなんかあったら連絡してくれ。こいつの喋ったことを最初から書き写しといてくれると助かる』

 浜田は非常にめんどくさそうな顔をしたが、いくらか札を渡されると渋々今までのものから聞き直していった。
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