第88話 疎井冬

文字数 2,322文字

 私が生まれたのは大阪のとある駅のコインロッカーだったらしい。もう、駅の名前も覚えてないけど。

 だから私の親はその「もうどこだったかも忘れてしまった駅のロッカー」だということになる。

 私の名前らしきものが書かれた1枚のメモ用紙。今となってはそれが私の名前なのかも定かではないけれど、疎井冬とその紙にはそれだけ書いてあったらしい。

 駅員さんが私とその紙をロッカーの中から取り出してくれた。私が聞く限りではそれが私を1番最初に抱っこしてくれた人だ。

 その後警察や市役所、児童相談所などをたらい回しにされ私の引き取り手が決まった。

 それが愛光園という児童施設だった。私は小学校までそこで育った。

 愛光園なんて言う名前とは裏腹で子供の間ではつまらないイジメが流行り、そこの大人たちも肝心なことは何も見えていないマヌケばかりだった。

 自分で選んで働いてる割りに影では愚痴ばかりこぼして、所詮自分のことしか考えていない信用できない大人だった。

 だけど…園長先生は違った。

 園長は捨てられていた私を進んで引き取ってくれたらしく、園長だけは優しくて私の味方だった。私の感じ方が間違っていなければ親のような人だった。

 お父さんだと思っていた。

 私がいじめっこにいじめられているといつも助けてくれて、いじめっこを叱ってくれた。

 園長は私だけに特別だった。

 だから他の子にはしないことも私だけにはしてくれた。私はそれが嬉しくて良いことだと思っていた。

 だから園長の言うことだけはちゃんと聞いてきた。

 私は捨て子だったからいつもいじめられていたけど、園長はそんなこと関係なく愛してくれた。私にとってそれが何よりも心の支えだった。

 だから園長の言うことはなんでも聞いた。嫌われたくなかったから。

 学校では他の子と口をきいてはいけないよと言われていた。園長先生にしてもらってることも人に話したらダメだよと言われた。

 それが何故なのかは分からなかった。話してはいけないのに何故そんなことをするのか私には理解できなかった。

 園長先生になんでこんなことするの?と聞いたことがあった。すると園長は冬のことが大好きだからだよと言ってくれた。そう言われて私は安心していた。

 だけど少しずつ成長していく度、少しずつそれがそうではないことが分かってきた。


 私はあのクズに汚されていた。


 そうとは知らず何年も何年も、その言葉を信じ受け入れてきてしまった。

 私には友達なんていなかったから話をできる人なんていないし、簡単に話せるような内容じゃなかった。

 じゃあどうする?ずっとこのままでいるの?

 どうしたらいいかなんて分からなかった。私には行く場所なんてないのだから、ここで生活させてもらう為には黙って言うことを聞き続けるしかない気がした。

 そうやって私が1人で悩んでいた時だった。


「あんな奴殺しちゃえばいいんだよ」


 誰かが私にそう言った。私は辺りを見回した。だけど誰もいなかった。

「あたしだよ」

 誰もいないのにまた声が聞こえてきた。

「探したっていないよ」

『誰?』

 私は聞いた。その時はお化けかと思って本当に怖かった。

「あなたがいつも描いてくれてたでしょ?あたしだよ」

 私は驚いた。その声というのは私自身の心の中から聞こえているようで、でもちゃんと耳に聞こえているような、とても不思議な感覚だった。だけど確かにそれはいた。

「あなたが思ってたことでしょ?1人は嫌だって、話し相手や友達が欲しいって、ずっと思ってたじゃん。あたしは全部見てきたよ?」

 信じられなかった。そんなマンガみたいな話ある訳ないと思いながらも起きていることは現実で、確かに私が願っていたことだったのだ。

 小学校の頃、私はいつも私と私にそっくりな子とで遊んでいる絵を描いていた。一緒に手をつないでいる絵、ボール遊びをしてる絵に駆けっこをしてる絵など、絵の中の私の遊び相手はいつも私だった。他の人とは遊んだことがなかったからだ。

『どうしていきなり出てきたの?』

「あなたが出てきてほしいって思ったからじゃない?」

 確かに私が望んだことだ。でも本当にこんなことがあるなんて信じられなかった。

「だったら信じさせてあげるよ」

『え?』

「今日の夜、布団に入る時ハサミを持っていて。あたしがあなたを助ける」

『助けるって、どうやって?』

「あなたは言う通りにしてくれればいいから。余計なことは気にしないで」


 そして私の中のもう1人はその夜、私の隠し持っていたハサミで私の布団に入ってきた園長を刺した。

 私はその瞬間をずっと見ていた。私の体がハサミを園長の首に突き刺し血が吹き出るのを私の中で。

 それはとても不思議な感覚だったが、園長が私を見て恐怖に怯え、腰を抜かしながらも後ずさるその光景は正直笑えてしまった。当然の報いだと思った。

 私はそのまま施設を出た。また、もっと違う檻のような施設に連れていかれるのは目に見えていたからだ。

 育った場所になど全くなんの未練もなかったし、学校にもその地域にも何か1つでも心残りがあるかと言えばそんなものはなかった。

 夜道を1人でひたすら歩いた。

『あの、あなた名前とかないの?』

「名前かぁ。考えたことなかったものね。あたしはあなただけど、あなたじゃないから…人を殺めるとかいてアヤメでどう?アヤメって呼んで」

『アヤメちゃん…』

「ちゃんなんてやめてよ。あなたはあたしを産んでくれた、もう1人のあたしでしょ?あたしたち姉妹なんだよ」

『姉妹…』

「そう。あなたがお姉さんであたしが妹」

 疲れたし不安だったけど、私は自由というものを手に入れた気がした。

 それに私はもう1人ぼっちなんかじゃなかった。それが1番嬉しかった。
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