第51話 運命の出会い

文字数 1,464文字

 有希の母は、シングルマザーだ。当時の恋人との間に子供が出来たと知ったとき、自分の判断で、一人で産むことを決めたのだという。
 母は言った。
「その人は、恋人としては素敵だったけれど、一生のパートナーになるに足る人ではないと思ったの。だから、あなたのことは、自分一人で育てることにしたのよ」
 母は、十代の頃から夜の世界に身を置き、現在は、三店のナイトクラブを経営している。有希は、強くて優しく、美しい母のことを尊敬している。
 
 有希は、今まで生きて来て、まだ一度も恋をしたことがなかった。きれいな女の子を見ても、付き合いたいとも、セックスしたいとも思わないし、だからといって、同性に興味があるわけでもない。
 母のことは大好きだから、多分、自分は極度のマザコンなのだと思う。友達と遊ぶよりも、母と買い物に行ったり、旅行に行ったりするほうが、ずっと楽しい。
 だから、別に友達も恋人も、いなくてかまわないと思っていた。
 
 母は、やり手の経営者だったから、経済的な余裕があって、お小遣いも、使いきれないくらいたくさんくれる。だから、クラスメイト達のように、お金のためにアルバイトをする必要もない。
 だが、母はとても忙しく、あまり家にいない。一人ぼっちで家にいるのは、寂しくもあり、退屈でもある。
 それで、時間つぶしと社会経験をかねて、アルバイトをしてみようと思い立ったのだった。
 
 職種は、なんでもよかったのだが、漠然と、いつか母のそばで仕事がしたいと思っていたので、飲食業を選んだ。
 たまたま、フォレストランドというテーマパークの中にあるレストランの求人を見つけ、面白そうだと思って応募したのだった。
 小規模なファミリーレストランのような、その店で、まさか運命の出会いが待っているとは、夢にも思わなかった。
 
 
 白いユニフォームを着たその人が振り返った瞬間、頭の中で何かがはじけ飛んだ。洪水のように、様々な映像が襲いかかって来る。
 さらりとした素直そうな髪を額に垂らした少年、ブルーのギンガムチェックのシャツ、窓から見える満月、裸の胸、熱いキス、体の奥深くを何度も突き上げられる感覚……。
 パニックを起こしそうになり、倒れかけたとき、その人が支えてくれた手の感触で、すべてのピースが、カチッと音を立てて、はまった気がした。その手は、何度も触れられ、抱きしめられたことのある手だ。
 彼の名前なら知っている。伸くん。僕は、いつもそう呼んでいた。
 僕は、僕の本当の名前は、桐原行彦だ。そしてあのとき、僕は、すでに死んでいた!
 
 自分が知っている彼よりも、ずっと大人になっていたけれど、その人が安藤伸だということは、すぐにわかった。髪の感じも、真っ直ぐに見つめる瞳も、思わずしがみついた胸の感触も、何一つ変わっていない。
「伸くん」
 思わずつぶやくと、その人は言ってくれた。
「……行彦?」
 あぁ、間違いない。この人は、僕が愛した、たった一人の人だ!
「伸くん!」

 そのとき、ドアが開いて、さっき、ここまで案内してくれた、胸に「中本」のネームプレートをつけた人が入って来た。僕たちは、あわてて離れる。
 二人が話している間に、持って来た履歴書を、さっき伸が手にしていたバインダーに、急いで挟んだ。伸が用事を足しに行ってしまった後、中本という人に、気分が悪くなったと言って、その場を後にした。
 いったん一人になって、頭の中を整理したかったのだ。履歴書を見た伸くんが、連絡をくれるのではないかという期待もあったが、もしなければ、再びここに来ればいいと思った。
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