第3話 洋館

文字数 1,924文字

 その洋館は、山道を少し上った人気のない場所に建っている。元はイギリス人が建てたものを、日本人の資産家が買い取り、親子で住んでいたというが、その住人も今は亡く、長らく空き家になっている。
 森の中に建つ、重厚な石造りの三階建ての洋館は、一見、今も威容を誇っているが、実際には、ときにホームレスのねぐらになり、ときに「お化け屋敷」として、子供たちの格好の遊び場になっている。
 門には鍵がかかっているが、屋敷をぐるりと囲む、石と鉄製のフェンスで造られた塀は、一部が破損していて、皆、そこから出入りしていた。
 
 洋館にまつわる、まことしやかに囁かれる怪談話もある。心を病んで自殺した、かつての住人が、幽霊となって今も住んでいて、夜な夜な三階の角部屋の灯りが点くというものだ。
 よくありがちなエピソードだと思う。伸は、そういう話はあまり信じないほうだし、だから、怖いとも思わないのだが。
 
 
 その日の夜更け、伸は、松園たち三人とともに、洋館の玄関の前に立っていた。
 古川に殴らせるだけでは飽き足らなくなったらしい松園に、誰にも知られず、そこまで来るように言われたのだ。
 松園が告げたのは、伸が予想していた通りのことだった。玄関ドアの脇の、かつてはステンドグラスがはまっていたらしい、今は暗く四角い穴となった空間を指して、彼は言った。
「三階の角部屋まで行って来い」
 幽霊が出るという角部屋。ようするに、肝試しだ。

 滋田と古川が、にやにやしながら見ている。松園が、手に持った懐中電灯を突きつける。
「そこまで行ったら、窓辺に立って、これで合図しろ。そうしたら、今回は許してやる」
 「許してやる」とはなんだ。憮然とする伸に、小馬鹿にしたように滋田が言った。
「あれ、びびってる? 言う通りにしないと、いつものお仕置きよ。泣いて謝ってもダメよ~」
 言う通りにしなければ、いつものように殴るということか。
 
 くだらないし卑劣だ。そんなことをしなければならない理由など一つもない。
 そんなことのために、わざわざこんな時間に、こんなところに集まっているこいつらは、どれだけ暇なのかと呆れる。
 だが、いくら正論を言ったところで通じる相手ではないし、殴られるのは嫌だし、それに、びびっていると思われるのは癪に障る。
 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、伸は、松園の手から懐中電灯をひったくるようにして、大股でドアの脇に向かった。
 
 
 体を硬くしながら、辺りを懐中電灯で照らす。大理石らしい、玄関の広い床には、割れたガラスと、空き缶やスナック菓子の空き袋などが散乱している。
 これからやらなければならないことを考え、胃の辺りがずんと重くなる。本当は、めちゃめちゃびびっている。
 幽霊を信じていないからといって、こんな時間に、こんなところに一人で入って、怖いと思わないほうがどうかしている。幽霊はいなくても、たとえばネズミとか……。
 うっかり余計なことを考えてしまい、伸はあわてて頭を振る。とりあえず、三階に行くのだ。
 
 玄関の奥に伸びる暗い廊下を照らすと、その先に、階段の上がり口らしい手すりが見える。足元に点在する、訳の分からない落下物を踏まないよう、注意を払いながら奥まで進むと、思った通り、闇の中を上に向かう階段があった。
 とりあえず、第一段階は突破だ。伸は、自分にそう言い聞かせる。第二段階は、この階段を三階まで上ること。
 実際に、ここを上る者は多くないのか、階段には埃が厚く積もっている。造りがしっかりしているのか、足を載せても、ほとんど軋むこともない。
 
 途中に踊り場を挟み、二階に着いた。左右に廊下が伸びているが、素通りして、さらに階段を上る。
 あとは、角部屋まで行って第三段階突破、窓から懐中電灯で照らして全段階クリア。なんだ、大したことないじゃないか。
 そう思いながら、三階まで一気に上る。もう、あまり怖くはないが、さすがに、少し足が疲れた。 
 三階にも、二階と同じように、闇の中を左右に廊下が伸びている。足元を懐中電灯で照らしながら、伸は「角部屋」がある右側に向かって足を踏み出した。
 
 
 気持ちを落ち着けるように、ゆっくりと進んで行くと、廊下の突き当りにドアが見えて来た。一枚板らしいドアに、意匠を凝らしたドアノブ。
 このドアの向こうに、自殺した住人の幽霊が? いやいや、そんなわけがない。あんなものは、誰かがふざけて言い出した、ただの作り話。ようするに、でたらめだ。
 かつての住人が使っていたのは本当かもしれないが、どうせ埃が積もった無人の部屋があるだけに決まっている。
 そう思いながらも、胸がドキドキする。一度、大きく深呼吸をしてから、伸は、ドアノブに手をかけた。
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