第20話 タクシー

文字数 983文字

 そんなある日、滅多に来客のない洋館に、タクシーがやって来た。窓から、門の外に停まったタクシーを見て、行彦は、にわかに不安を覚える。
 ベッドに腰を下ろして、身を硬くしていると、玄関のチャイムが鳴るのが聞こえた。三階のこの部屋からでは、階下の様子はわからないが、おそらく、芙紗子が対応に出るのだろう。
 大丈夫。来客くらいで動揺することはない。
 
 そう思っていたのだが、数分後、部屋の外の廊下で物音がした。誰かがこちらに近づいて来るようで、母のものらしい話し声も聞こえる。
 いったい何が? 嫌な予感に、胸の動悸が早まる。
「やめて!」
 母が叫ぶのが聞こえたのとほぼ同時に、勢いよくドアが開いた。
 
 
 母より少し年下だろうか、小柄で痩せた女性が、ずかずかと部屋の中に入って来た。すぐ後ろから入って来た母は、困惑の表情を浮かべている。
 女性は、行彦を認めると、満面の笑みを浮かべて近づいて来た。行彦は、助けを求めて母を見る。
「ボクちゃん、大きくなって」
 それが、女性の最初の言葉だった。母が、女性の肩に手をかける。
「お願い、やめて」

 女性は、母のほうを見て言う。
「どうして? ようやく会えたんじゃない」
 この人は、僕を知っている? 呆然と見つめている行彦に、女性が言った。
「ボクちゃん、お母さん、会えてうれしいわ」
 ……え? 今、なんて? 行彦の思考を遮って、母が叫ぶ。
「志保、やめて!」
 名前を知っているということは、母の知り合いなのか。

 志保と呼ばれた女性は、どこか狂気めいた雰囲気を漂わせながら、まくし立てる。
「素敵な洋館で、優雅な暮らし。うらやましいわ。私は未だにアパート住まいなのに。
 資産家のご両親の遺産がたくさんあるんでしょう? 少し融通してほしいの。十万や二十万、あなたたちには、はした金よね。
 ねぇ、ボクちゃんからも響子さんにお願いして。お母さん、生活が苦しいのよ!」
 
 女性は、肩で息をしている。行彦は、その姿に釘づけになったまま、目を離すことが出来ない。
 白い肌、華奢な体つき。行彦に向かって、自分のことを「お母さん」と……。
 そのとき、母が叫んだ。
「いい加減にして! 約束が違うじゃない。お金なら払うから、早くここから出て行って!」
 そして、女性の腕を掴むと、強引に部屋から引きずり出した。大きな音を立ててドアが閉まり、バタバタと足音が遠ざかって行く。
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